見出し画像

ワルモノは誰か|明治維新から見える日本人の心の動き

真菰(まこも)茶を戴きました。真菰とは、縄文時代から日本に伝わる植物です。2.5mと人の背丈よりも高く、出雲大社の大きなしめ縄にも使われています。

真菰のことを調べていたら、スピリチュアル界隈におけるひとつの視点に気づきました。見えない世界、不思議な世界を探究していると、埋もれてしまった日本古来の叡智と出会うことは多いです。真菰(まこも)もそのひとつ。明治維新をきっかけに、日本古来の叡智がすり替えられたり、失われたりしたとか。

甜茶や杜仲茶ような甘さがほんのり残るお茶です。ヨモギ+きな粉みたいな香り。

明治維新をきっかけに、日本古来の叡智がすり替えられたり、失われたりした。このように聞くと、明治維新がワルモノのように見えてきます。黒船でやって来たペリーが「国を開きなさい」と圧力をかけた。それにより日本は、仕方なく無理やりに開国させられたと。

弱者強者というコントラストが印象的な視点です。このようなコントラストは映画やアニメの題材にもなりやすく、実際に明治維新をテーマにした作品も数多く発表されています。

では実際に明治維新はワルモノだったか?真菰(まこも)をはじめ、日本古来の叡智が埋もれていくきっかけを作ったと、ワルモノ扱いされてしまう明治維新とは一体何なのか?

この問いを探るために2つのマガジンをご紹介します。僭越ながら親noteで公開している作品でございますことをご了承ください。小難しい史料やロジックの圧で伝えるより、楽しみながら面白く理解できると思い選びました。

史実を研究しながら、良いものを還元できるようにとかなりしっかり書いていますので、十分ご参考になるかと思います。

① 時代が大きく変わるとき『明治維新から見える日本人の心の動き』

幕末から明治初期という変化の時代における「日本人の心の動き」を新聞史料、語りの記録などに沿って、激動の時代を通して、民衆の意識はどのように変化したのかを見ていきます。

② 幕末時代物語『天翔る少年』妖怪猫又に導かれゆく

士族屋敷に住む14歳の少年が妖怪猫又に導かれて幕末の騒乱を駆け抜けていく物語です。東京都府中市の郷土史『府中史談』第二十二号(1996年)に掲載されている『藤田英孝「幕末から明治へ―荻野山中藩士の歩んだ道」』という実際にあった出来事を元に描いた時代小説です。

国会図書館から取り寄せた史料の複写です(台堂所世録)

ずいぶん細かく調べていると思われたかもしれません。私は大学時代、歴史学のなかでも日本思想史という変わった分野を研究していました。高校生の頃、福岡大学名誉教授の大嶋仁さんの著書『こころの変遷 日本思想をたどる』(増進会出版社 1997年)を読んで、その面白さに惹き込まれてしまったのです。

変わり者の私は卒論に向けて「明治初期社会における民衆の意識」というテーマで研究を始めました。その研究をnote版としてリメイクしたのが先程の「 時代が大きく変わるとき『明治維新から見える日本人の心の動き』」と「幕末時代物語『天翔る少年』妖怪猫又に導かれゆく」です。

幕末から明治初期にかけて、あれほどの変革を起こしたモノは一体何だったのか?日本人はどのように変化していったのか?

結論から言うと、明治維新というひとつの変革は、外側の力によって何かを変えられたばかりでなく、内側からの変わろうとする力も大きかったと考えるのが自然のようです。内側とは民衆の意識です。

江戸時代は、日本史の流れにおいても精神レベルが高い時代のように感じます。にも関わらず、変わらなければいけないことも多かったようです。

今では考えられませんが死体が平気で川を流れていたり、汚職が目立ったり、そして武士は、武士ではなく武家に近い存在でした。馬にすらまともに乗れない人もいました。

「これから戦が始まるかもしれないといっても、何百年と戦ってなかったんだ。下級武士なんか金がないから、鎧や刀を質屋に売ってしまっているじゃないか。慌てて買い戻したところで、馬にだって乗り慣れていないんだから、戦いようがない。まあ、乗ろうったって鎧の重さで乗れないだろうけどな。ハハハッ!」

誰にも聞こえないとわかっていても、僕は思わず、猫又の口を塞ごうと手を伸ばしかけた。猫又は僕の手を払いのけると、ずしりと言い放った。

「お前たちは武士じゃない。武家なんだ」

細い目の奥をきらりと光らせる。僕は、うっと言葉を飲み込んだ。確かに猫又の言う通りだった。僕らは稽古はするけれど、戦で刀を使ったことはない。鎧をつけた自分が重くて、馬にだって乗れないんだ。僕らはもう戦うための武士ではなかった。

『天翔る少年』なんという武士の有様!(其の五)より

明治維新において注目して欲しい日本人の心の動きは以下の2点です。

旧幕府に対する「同情」と「嫌悪」
新政府に対する「期待」と「失望」

旧幕府に対して涙して同情する一方で、変わるべきだと嫌悪する。また新政府に対しては、期待する一方で失望もする。日本人は、異なる2つの感情を共存させることがな得意です。明治維新においても、映画や小説のように、どっちが敵でどっちが味方とハッキリ分かれていない民衆の意識が垣間見えます。大注目していただきたい点はまさにここなんです。

どっちなんだい!とツッコミたくなるような心の動きがあちらこちらで見られます。こちらは古い体制に嫌悪しているにも関わらず、徳川慶喜には同情する民衆の様子です。

「水戸街道で徳川慶喜の姿を見たのです。竹や草を細かくして編んだ網代(あじろ)の籠に乗っていて、すだれを巻き上げていたので中が見えたのですが、黒いちりめんの紋付の羽織を着ていて、腕組みをしていました。警護の人は槍一本も持っていないんだから!この転落した姿を見た人たちは、みんな涙を流していました。

通行人を杖で払って、制止する声もかけていましたが、お供の人の中には、声をかけない人もいました。だけど、そうされなくてもみんな平伏していましたよ

毎度ですが、原文は読みづらかったらすっ飛ばしてください♬

「慶喜引退の旅装 見る者泣かざるをなし」〔慶應四・閏四・二五、内外新報〕
安藤家の士水戸街道にて、大君の御旅装を見るに、打上戸網代の御駕籠にて御簾を上げ、黒縮緬御紋付の御羽織を被ㇾ召、御腕組を被ㇾ遊、御槍一本も無ㇾ之、其在樣を見奉りて涙を流さゞるはなし、御先へ杖拂體の者制止聲懸候のみにて、御供の中には聲懸候者なし、乍ㇾ去(さりながら)何れも平伏罷在(まかりあり)候よし。

「明治維新から見える日本人の心の動き」四の段、異なる2つの感情を共存させる日本人(2)でござる!より

明治維新がワルモノに見えてしまうのは、どうしても期待していたはずの新政府に対する失望が、今も強く私たちの心に残ってしまっているからなんですよね。

「浅草橋のほうに行くと、逃げ回る人々で火事場騒ぎでした。浅草見附はもう官軍が固めていて、交差した青竹にはらわたを垂らした……生首がズラリ。そこを通ろうとすると、警護している官軍が生首を持ってきて『これだぞ、これだぞ』と、面白半分に提灯扱いして娘たちに見せるんです。怖くて目も向けられませんでした。

(中略)天王橋のところでは、切り合っているのを見ました。血だらけになって、刀を打ち合わせて斬り合っていたんですが、芝居なら観ていられますが、真剣はものすごくて。狂ったように親子三人、どうにもしようがないと、また蔵前の家に駆け戻ってきたんですよ」(※)

※「上野彰義隊戦争の前夜 生首をば提灯扱い」篠田鉱造『幕末明治女百話(上)』岩波文庫(ほとんど現代の文章に近いので、読みづらさも考えて原文の掲載は割愛させていただきます)

時代が大きく変わるとき「明治維新から見える日本人の心の動き」二の段、新政府に失望でござる!

 この上野での内戦で、官軍は敗者には墓も建てなかったそうです。それは、江戸の市民たちに対してとても不快な思いをさせました。ただ、官軍の死体についても誰も片づけなかったとか。一概に官軍だけが非情な行動をとっていたわけでもなさそうです。

さて、明治維新は実は外からの圧力ばかりでなく、から湧き起こる力も大きかった。ワチャワチャしながら、みんなで底力のようなものでひっくり返したのがあの時代です。開国させられたシナリオばかり目立ちますが、やはり鎖国は限界だったし、開国を自分たちの意思で受け入れているのは見逃せません。

その受け入れ方はユニークです。なにせ『旧幕府に対する「同情」と「嫌悪」/新政府に対する「期待」と「失望」』という二刀流ですから!

日本人とはオモシロイ民族で、昔から二刀流を好むのです。先ほどご紹介した大嶋仁さんはこの特徴を「交互に使い分ける二刀流」だと上手く表現されています。

「(中略)日本思想の伝統は、異なったあちこちの思想の断片をつぎはぎして、一つの絵のようにすることにあるのだ、と。つまりジグソーパズルをつくること、これが日本の伝統なのです。では、その絵はどういう絵なのだ、といえば、一方に神様を祀り、他方に仏様を拝む、そういう絵だと思われます。私たちは漢字も使えば、ひらがなもカタカナなどの仮名文字も併用する。和室と洋室の両方ある家屋を理想とするのです。二重人格か? そうではありません。むしろ、交互に使い分ける二刀流だと言うべきでしょう」

大嶋仁『こころの変遷 日本思想をたどる』(増進会出版社 1997年)21頁7行目

二刀流でなんとかバランスを保ったというのに、真菰(まこも)をはじめ古代の叡智が消えていってしまったために、ワルモノに見られてしまう明治維新とは、実に複雑な立場でございましょう。

私は、大事なのは精神性意識の高さだと思っています。変化と共に押し流されてしまいそうな大切なものを、いえこれは大切なものなんですよと、分別できる理性知性。誰が悪い、誰は良いという二極化した次元を超えて、精神性や意識を高め、理性や知性を育てていくことに目を向けて、突き進んだ先に統合がある。

明治維新という変革期をみなさんはどのように見ますか?ワルモノは誰かと探すだけでなく、その奥でひっそり佇んでいる日本人の心の動きが見えてきたら、私の研究も報われます。

(おしまい)

『明治維新から見える日本人の心の動き』は一部有料でしたが、良かったとコメントをいただくことも多いので、星の賢者さまを読む方にも読んでいただけたらと、これを機会に全話無料にさせていただきました。面白い内容ですのでぜひ読んでみてください!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?