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うつろい
ほんとはね
ヒトからの心配を愛として受け取るには
受け取った側に健康と機転と力が必要なんだよね
心配は、心配してるヒトのものだから
ほんとはそのヒトが自分のなかでどうにかするほかないのだけど
余裕がないときや近いモノ同志だと愛と心配は混同しやすくて
たまらず相手にぶつけてしまう
それは甘えられる相手だからやってると
お互いわかってるんだ
わかってて受けとめることもあるし受けとめられないこともあるし
受けとるには重すぎたらこぼすし
心配にとらわれて
どうしてもだれかに投げかけずにおれないヒトから
受けとめ役に選ばれてしまったら
受けとめの態度と姿勢を示して心配自体は受けとらず流すのもいい
親しき仲にも礼儀あり
心配を愛と信頼に変換してから贈れるといいのだけど
すべては落ち着いてからの話
相手も自分も大丈夫なのだと信じ切ると掛ける言葉は明るく軽くなる
ほんとはね
ていどにもよるけど
あの人困ってる、って他者が決めつけるのは
じつは僭越なのではと思う方だ
事態にたいしてどれだけ困っているかは外側の様子だけでは
そして本人抜きにはなんとも言えないと思いたい方なのだ
いつからか、心配、というムードからは距離を取りたくなってしまった
なぜなら、心配というムードはいつでも心配できる対象を探し求めて
心配できる対象を生み出す手腕に長けているように感じてしまうから
不憫な子はいないか酷い出来事はないかいつでも探し求めている
…近づいたらなんか危険なのではって匂いするよ笑
なにげない日常のなかで、「あなたのことが心配で」
といったふうな言葉が届いたときに
気に掛けてくださって…と素直にありがたく思えそうで思えないのは
こちらの余裕が足りないか、愛受け取り装置が調子悪いか、
雰囲気が単に重いか、まあ、そのあたりだと思う
いつかは心配かけたかもしれないけれど
その瞬間は永久に保存されるの? いつまでも一箇所にとどまる役柄なんて
いったいだれが望むのだろう? などとかえって奮起したりして
おかげさまで元気にやってますとつとめて平易にお返事して気持ちを丸める
「どうしてますか?」くらいのライトさはありがたい
すべてはうつろってゆくのだと長い目で見るヒトは
どんなにか心配を抱えても、あえて自分からは声を掛けず、
状況が明らかになるまで待っててくれるんだなぁということも知った
そういえば
「お久しぶりです。もちろん元気ですよね!」
って書き出しの葉書が届いたときは
こちらの状況がどうであれ、ただただおかしくて笑ってしまったな
わかるまでは決めつけないフラットさ
あるいは、だいじょうぶなんだと信頼できる温かさ
贈る、贈られる、どちらにいようとも
もしかしたら今
受け取る余裕がないかもしれない可能性をちょっと頭の片隅においてみる
そうすればストンと腹が定まって
なんなりとやり過ごせるのかもしれない
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@EUREKA エウレカ/福岡市中央区大手門
グループ展 綴るーつづる―
に寄せたZINE、
a filament and four hands. より
光代