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教壇に立ち続ける 96 今週の反省と実践報告【note限定記事】

テストが完成しました。今朝は採点もしたし、よく頑張ったと思います。どうも星野です。11月の定期更新日は水・土。今回のお題は「今週の反省」です。この記事を読んで、参考になったなーとか、いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneとFantiaはこちら。毎週土曜更新中です。普通に投げ銭でも構わないので、ご支援をお願いします。

生徒の深刻な問題

100点満点のテストで1桁を取る子が半分くらいいるという、生徒の深刻な学力不足が判明した1週間でした。これから1年間かけて育てていきたいね、と先輩と話していましたが、私は来年度から転勤予定なので、今のうちに打てる手を打っておくことにしました(採用試験に受かるかは不明ですが……)。
国語科教員ならば何度も耳にするこの言説、「国語はセンスで解ける」。今週はこう思っている人に遭遇し、腹が立ちました。だからこの場で、これは明らかに間違いであることを指摘しておきます。というのも、国語だって「解き方」があるのです。答え方の作法や、選択肢の見極め方がちゃんとあります。私は予備校の先生とも交流がありますが、学校の教員と塾講師の方とで、この点は意見が一致すると思います。ただ、その理論というか、解き方を言語化するのが難しいからこそ「センス説」がまかり通るのでしょう。これは由々しき問題です。
今週は現代文でも古典でも、自作の問題を解かせた1週間だったのですが、どうやったら間違った選択肢を選ばないのか、記述のどこが正しくてどこが間違っているのか、高校3年生にもなっていまだにわかっていない生徒の多さにびっくりしました。たぶん今までそういう技術を習ってこなかったのだろうし、個の勤務先はもうそういう「教材研究や解き方を教えない学校」なのだと見切りをつけてしまったので、転勤しようという考えにも至ってしまいました。

国語の問題はいかにして解くか

国語の解き方、それは「問題文を正確に読むこと」と「文章の書き手のほかに出題者の意図が含まれていると注意しながら、何を求められているか考えて解くこと」の二点に尽きると思います。問題文を正確に読む……というのは、たとえば犬塚先生のご著書で言うところの「命題化」することだったり、あるいはよく聞くテクニックの「傍線部の前後を重点的に読む」だったり、ということです。
文章は全体を読まないと分からない構造になっている場合も多くあります。後述する鷲田清一の「『自由』のはき違え」は短くても非常に難解な文章でしたし、全体の構造を把握しないと理解しきれないことだってあり得ます。だから「素早く読む」「構造をとらえる」のテクニックを磨かないと入試には対応しきれないでしょう。
その下地には、多角的・批評的に物事を見る思考力や判断力が必要ですし、基礎的な語彙や漢字などの文字の知識も求められます。そこは覚えるしかないとも思うのですが、自分に合った方法で日々少しずつでも予習・復習しながら勉強していれば、学校の授業だけで難関大学に進学するのも難しいことではないと考えます。その視点が抜け落ちている人々が多いのが問題だと思っていて、まずは生徒の意識改革から始めていこうと思っています。今は教材研究として問題を自分で解いているのですが、基本的な解き方が分かれば読解の実力はある程度伸びます。教養がものをいうのは、70点を90点や100点に伸ばすときです。だから教養も無駄ではないのですが、それすらも余計なものだと考えている生徒(あるいは教師)が多いのが勤務先でして……大変困っております。そんなこの学校に染まってしまうのは正直嫌だから、今のうちから転勤のために動いています。
次の定期テスト明けにある成績会議で、学校の教育方針の部分にちょっと文句をつけてこようと思うので、その話もいずれします。

実践報告①高校古典「雨月物語」

今週は実り多き実践が二つあるので、ご紹介します。
ひとつめは「雨月物語」の「白峯」を扱った授業です。高校3年生の古典で、接続(相互承接)と文法の変遷をたどる授業を行っています。自力で辞書や文法書を使って調べながら、品詞分解をさせています。最初は何のこと? みたいな反応をしていた生徒たちも、一度やり方を指導して適度なヒントを与えれば素直に取り組むようになりました。パズルみたいで面白いのか、かなり熱中している生徒が複数人います。そして一般受験を考えている生徒たちも燃えているようです。机間指導したときに、「合っていますか?」と訊かれて立ち止まると、かなり正確に分解できている生徒も少なからずいます。正解を求める癖が抜けていないのは残念ですが、1年生の時からの総復習で、やればできるじゃん、というのを実感しているみたいです。
なぜ「白峯」を選んだか、というと、この単元のタイトルが「史上最強の怨霊は誰か」だからです。「瀬をはやみ……」の和歌を紹介してあるので、なおさら崇徳院を外すわけにはいかないじゃないですか、という理由がありました。また、二学期前半で歴史物語を中心に扱ったので、そことも絡めています。江戸期の古典に触れてもいいよね、という現行の古典教育に対する反骨精神も無いとは言い切れませんが。江戸期の文章は読みやすいみたいで、訳文を見なくてもわかる部分が多いね、なんて話もしていました。これでテストの文法問題でミスを連発されたらどうしよう。

実践報告②高校現代文「『自由』のはき違え」

ふたつめは鷲田清一の「『自由』のはき違え」です。定時制高校3年生の、読解力総仕上げとして実践しました。
最初に読解力とは何か? という話と、それをどうやって身につけるのか? という技術の部分まで踏み込んで説明した後、あえて教科書は最後まで読ませませんでした。そうした理由は、鷲田の文章をいきなり読ませると混乱するため、ひとまず身近な例に置き換えて概要を説明すると決めたからでした。「規律の伴う自由」と「信頼に基づく自由」について、プリントを使いながら議論し、微妙に異なるいろいろな意見を踏まえて「完全に他者からの影響を受けずに生きていくことは可能か?」というテーマと、「信頼に基づく自由、とは何を『信頼』することなのか?」というテーマのふたつでリフレクションを書きました。最後にわたくし自作の問題を解きながら鷲田の論を総まとめし、内容を図表にして構造を把握させていきました。普段は不真面目な生徒も結構響くものがあったのか、たくさん発言してくれましたし、真っ向から私の指導した鷲田の文章に反対する生徒や全面的に支持する生徒で議論が起きたり、解き方のコツがわかったからテストでも頑張りたいと言う子がいたり、一定の効果を上げたようです。作った定期試験は毎回50点くらいの平均点になると噂の、私の問題にどこまで引っかからずに得点してくれるか、今から楽しみです。

最後に今週の反省ノートの写真を。それでは、また。

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