見出し画像

教壇に立ち続ける 72 高校国語の教材研究そのに~夏の陣~【note限定記事】

今日はまともに起きたので、ガシガシ作業をしています。製作もして汗だく。どうも星野です。8月の定期更新日は火・金。今日は連続投稿日、ひとつめのお題は「高校国語の教材研究」について。詩歌の「六月」(茨木のり子)、評論の「わらしべ長者の経済学」(梶井厚志)です。参考になる記事を目指し精進を重ねておりますので、いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。書くための原動力になっています。minneとFantiaはこちら。新作を公開しましたので、新しい作品も見てくださればうれしいです。作品をお買い求め頂ければ、私としても何かをお渡しできますし、これぞウィンウィン! というやつです。よろしくお願いします。

生徒について

対象となる生徒は高校1年生。国語総合のなかの現代文を担当しているのが私です。1学期は「羅生門」を扱いました。これも没入して読む生徒はほとんどおらず、とにかく「正解」を知りたがる傾向があります。そして本格的な評論に触れるのはこれが初めてなのです。だから今回も、「この詩歌と評論に対する正解」を求める姿勢で授業を受けることが予想されます。そのため、「読解力」というものが何であるかを明示したうえで、「正解は自分で見つけるものなのだ」という態度を身につけてもらうことから始めようと思います。
クラスの雰囲気としては、全体的に落ち着いて授業を受けてはくれるので、3年生よりずいぶんおとなしいです。しかし、まだ難しい言葉で書かれている文章を読み取ることに困難を抱えている生徒も少なくありません。もともと学力の高い学校ではないのですが、それでも平均以下くらい。特進クラスと一般クラスの両方を受け持っていて、特進クラスは発言が少なくてちょっとやりづらい印象があり、一般クラスはフランクに接してくれますがあまり考えずにモノを言うタイプが多いです。「思考する訓練」を積ませていくのが今後の長期的な目標となりそうです。

六月(茨木のり子)

この詩は三連から成る口語自由詩。「美しい」という単語がキーワードとなり、筆者の考える「美しい(=理想的な)」共同体を目指す強い思いが感じられる詩になっています。農村でも都市でもどこでも、誰も差別されることなく、理想を語り合いながら相互理解と連帯・信頼関係の形成をしていくべきだ、という筆者からのメッセージをどう生徒たちに伝えるかがこの単元のキモと言えるでしょう。
というのも、筆者は戦時中に青春を過ごした女性詩人。生きている時代が違いますから、背景となる知識―ひいては文化―を共有していないので、どこまで共感してもらえるか少し不安な部分があるのです。
そこで定時制で扱った方法を応用しようと考えています。それは、「歌詞の分析から始める」というやつ。参考記事はこちら。


今回はKing gnuさんの「白日」を使おうと思っています(個人的に分析したら面白そうだと思ったし、紅白にも出ているバンドなので知名度もあるだろうということで選びました)。歌詞分析はまだしていないので、今後書けたらアップロードしますね。
これは1時間で扱いきる予定です。緑は生徒に考えてもらうところ、オレンジ→青の順で重要、としています。歌詞分析を1時間、そしてこの詩を1時間の2時間構成。板書計画はこちら。

画像1

詩歌の中の情景を想像しながら、重要な意味をおさえていきます。「美しい」とは何なのか、そして「六月」というタイトルにはどんな意味が込められているのか。そういった問(脚問やワークの問題)を中心に解説しますが、詩歌の解釈(この「解釈」というものが何なのかも伝えていく必要がありそうです)が個人によるもの、そして基本的に自由であることは徹底的に伝えるつもりです。自分の自由な読みと、答えとなる読みがずれたとしたら、どこがずれているのかを論理的に考えることを指導していくのが本単元です。
詩歌の授業では感じたことを表現する練習もしたいと思っているので、緑のゾーンが広めです。

わらしべ長者の経済学(梶井厚志)

この作品は昔話「わらしべ長者」から経済学の行動原理を読み取るという評論文です。「わらしべ長者」に出てくる富を得たいと願った男は、(もちろん運もあったけれど)独創的なアイデアで原価ゼロでも何かを生産したり、やリスクを取って投資したりといった経済的行為をしているからこそ富を得たのだ、というのがあらすじ。この中には難しい用語ばんばん出てくるので、一部の生徒は「わからない」と耳をふさぐでしょうが、そこを強引にでも聞かせるのが私の仕事だと思っているので、容赦はしません。わからない言葉をなくすための辞書の引き方から教えたいところですが、このあとに「富嶽百景」(太宰治)が控えており、あんまり長々やってもいけないので悩ましいです。
これも短時間で駆け抜けます、3コマ~4コマを想定しています。この評論を私なりにまとめながら、脚問やワークの問題を中心に解説します。これが横並びのつらいところですね、どうしてもテストの関係で、ひとつの「正解」を教えなきゃいけなくなるのが心苦しいです。自分の「解釈」と、「正しいとされる解釈」の間の溝をどう埋めるかというテーマで論じてみたいです。ここで「読解力」の話をしたいと考えています(参考にするのは犬塚先生の「14歳からの読解力教室」です)。板書計画はこちら。

画像2

画像3

画像4

これでも板書量は抑えました。そして一度要約を入れたいのですが、たぶん最初に入れても何のことやらさっぱりだと思うので、これは一番最後に回してもいいかもしれないと思い始めています。この話をまとめるときに、前回の「図書館総合展」でお聞きした「創造社会」についての話もしたいなと。何かをクリエイトする社会との付き合い方、みたいな話をしておしまいにしようと思っています。あとは精神的な価値の話もしたいなと思っていて、できるだけ生徒にとって身近な話題に落とし込むことを狙っています。目標は「解釈」の仕方を覚えること、そして私も生徒もいったん型にはまってから抜け出す、ということを目指す予定です。

どうしても横並びの違和感というか、私のゴーイングマイウェイなところが直ればいいのでしょうけれど、唯一の正解を教えることに意味があるのかを問うていきたいと思います。それでは、また。

この記事が参加している募集

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。