見出し画像

教壇に立ち続ける 107 教育のSDGs【note限定記事】

クリスマスには「旧支配者のキャロル」を聴くのが定番ですよね。いあ、いあ、くとぅるふ、ふたぐん。どうもTRPG欠乏症の星野です。今日は教育におけるSDGsについて書いていこうと思います。こちらは真面目に書きますよ。ふざけた原稿が読みたかったらpixivなどを覗いてください。そろそろ教材研究もしなければ。まだあと5つほど残っています。その結果もこちらで公開できればと。期間限定で1日1本プロジェクト進行中。この記事を読んで、参考になったなーとか、いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneとFantiaはこちら。受注生産品以外は即日発送可、全国一律送料無料です。

事の発端は些細なニュース

SDGsとは17個ある「持続可能な開発をして社会をよりよくしていこう」という目標のことです。たとえば海洋資源の保全だとか、障がいのある方の生活水準向上とか、貧困・飢餓の問題を解決する取り組みとかがあるそうです。先日観ていたニュース番組でやっていたのは、「音声を文字化するデジタルデバイス」によって、聴覚障がいを持つ人が仕事に参加しやすくなるという開発についてでした。障がいを持つ方も一緒に社会参画していってほしい、そして社会参画に寄与する過程で「自分は必要とされているのだ」と感じてほしい、と開発会社の社長さんがおっしゃっていて、興味を持って調べ始めました。東急電鉄グループはタイと日本を繋ぐ活動をやっていて、耳の不自由な子どもたちがサッカーの試合をしながら相互交流したり、サッカーの試合を観戦したりするプログラムを行っているとのこと。科学技術の発展により、生物多様性や資源など、失われたものも多いけれど、今からでもそれを取り戻していける可能性があるなら、それはうれしいことですよね。(もちろん開発には時間がかかりますし、なんでもこのSDGsで解決できると思い込むのは間違いですが)

教育の世界にも、変えていかなければならない課題がたくさんあると感じています。
免許更新制度や教員免許状については、私などよりずっとベテランの八神さんが書いてくださっているのでそちらをご参照ください。リンクを貼っておきます。

私は自分の専門だった「外国にルーツを持つ児童生徒の受け入れ」と、司書教諭として考えている「各教科での図書館活用」について語っていこうと思います。

外国にルーツを持つ児童生徒の問題

外国にルーツを持つ、と言っても背景は多様です。両親は海外の方だけれど日本で生まれ育った子、帰国子女、ひとり親家庭……今まで出会ってきた児童生徒たちは、みんな違った困難を抱えていました。日本語がわからない、というのもいろいろなパターンがあって、ひらがなは読めるけれど漢字が読めないとか、日常会話はできるけれど学習は難しいとか、10人いれば10通りのハードルがあるのです。その指導にあたるのが日本語教育の支援員や日本語教室の教諭です。しかしその存在は今でもあまり知られていません。外国籍の方が集住している地域の学校にはそういう学級がたいていありますし、国際化の後押しを受けてそうした支援を求めている児童生徒が増えている実態もあります。しかしあまりニュースにはならない。そこにまず大きな問題があると思うのです。小中学校(義務教育期間中)に適切な日本語の指導を受けられなければ、高校進学は難しくなります。たとえ他国で学んできた内容が入試問題に出るとしても、日本語がわからなければどう答えたらいいのかわからないですよね。だから入試は突破しにくくなります。そうしてドロップアウトしてしまった生徒たちは、義務教育を終えて社会に出ることになりますが、現状の社会構造では中卒で稼げる仕事があまりありませんから、貧困家庭が増えてしまう、という問題が生じます。人々が外国にルーツを持つ人々を「我々の社会の構成員なのだ」と意識していないからあまり大きなニュースにはならないのだろうと考えています。社会の構成員という観点で言えば、障がいを持つ方もそうですが、弱者は何かと阻害されがちです。そういう立場の弱い人も含めて支援しなければ、持続可能な社会になるとは考えにくいです。外国にルーツを持つ児童生徒、およびその保護者をサポートするためには、日本語教師の資格を持つ専門の教諭が言葉の指導をしたり、在籍する学級の教師が学習面で困っていることを日本語教室の教師に伝えて対策を練ったり、通訳の方が学校からの配付物を保護者の母国語に直したり、福祉士の方が生活上の困難を聞き取って解決したり……と、包括的な支援が必要になります。そこに資金や人員が足りていない(大半の場合、日本語教室の先生も資格を持っていなかったり、そもそも学校に日本語教室が無くて地域のボランティアの方に教わっていたりするのです)のが現状ですので、教育にもお金を回してほしいと思っています。

学校図書館の問題

学校の図書館は、世間を今騒がせている「ウイルスの除去はどうするのか(不特定多数の人が触るから感染するリスクが高い)」という大きな問題を抱えて、もはや死蔵状態になっているかもしれません(勤務先がまさにそうです)。そして学校司書さんも人手が足りず、というか経費をケチって業務委託している関係で、複数校を掛け持ちで回っていらっしゃいます。そうすると図書館は常時開いている(=オープンな情報リソースになっている)ことが少なくなります。これではせっかく集めた資料も意味を持ちません。誰でもアクセスできるように、まずは司書を正規で雇うこと、そして司書教諭と協力しながら各教科の授業の中で「資料の調べ方」「資料のまとめ方」を指導していくべきだと私は考えています。単に本を貸し出すだけが図書館ではありません。学習センターでもあり、コミュニティ形成の場でもあるのです。そして不登校児の居場所にもなります。だから図書館は死蔵しちゃいけないのです。資料を活用しないと思われがちな数学や体育だって、数学が発展するまでの歴史を記した新書やプログラミングの書籍を活用することはできますし、スポーツの安全な行い方・上達方法のハウツー本だって出ているのだから使えばいいのです。何より数学に興味を持たせる面白い書籍として結城浩さんの「数学ガール」は外せません(これは個人の感想です)。実際にすべての教科で学校図書館を利用する取り組みを行った学校も存在します。もっと司書や司書教諭が、その能力や役割を正当に評価されて、実力を発揮できる場を作らなければならないと感じています。TRPGを学校に持ち込もうとしているのも、学習効果を高め、部活や学級にとらわれないコミュニティを生み出してそれを維持するため、というのが一番の理由です。私の趣味が入っていないとは言いませんが。そういう諸々すべてを総合すると、やっぱり学校図書館にもお金を回してほしいのです。

意識改革してみませんか?

最終的にはお金の問題になってしまうのですが、教育委員会の方針ひとつで変わる場合もあるかもしれません。社会が急速に変化している今、学校だけが取り残されないようにするためには上層部の意識改革が求められます。まずは学校レベルで変えてみませんか、というおはなしでした。それでは、また。


この記事が参加している募集

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。