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教壇に立ち続ける 102 生徒の興味をひく【note限定記事】

寝不足です。どうも星野です。家事に一日の大半を費やしました。まあ、これが普通の暮らしなのだろう。12月の定期更新日は水・土……のはず。今日は無事に更新できました。今回のテーマは「生徒を惹きつける工夫」についてです。初等教育出身の私が使っているテクニックのお話。この記事を読んで、参考になったなーとか、いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。年を越せないくらいに財政状況が悪いので、ご支援をお願いします。minneとFantiaはこちら。なかなか更新できていない……それもこれも一日が二十四時間しかないのがいけないんだ……

生徒が勉強が嫌いなのは……

うちの学校の生徒だけではないと思うのですが、基本的に彼らは勉強を嫌がります。強制的にやらされるもの、苦痛を伴うもの、それが勉強というものなのだと、多くの生徒は考えているのでしょう。その後大人になってから後悔するというパターンが多いです。
私は奇妙な子どもだったので、勉強は大好きでした。自分で勝手にやるから、親や先生から強制されたことはありません。むしろ「勉強ばっかりしていて応用力が無い」と揶揄される程度にはくそ真面目な人間に育ちました。この差は奈辺にあるのか。
ひとつには「興味関心の方向」があると思います。たまたま私は読書で知識を得るのが好きだっただけで、スポーツが好きな子も、実験が好きな子もいますよね。それは生得的なものであったり、習慣や環境、様々な要因があるので、変に曲げて否定するべきではないです。しかし、そこからいかに「興味関心の幅を広げるか」が、学校教育における学習のひとつの役割なのではないかと考えるようになりました。

勉強が嫌になるのはきっと、「勉強が目的化している」からだと思うのです。
要は大学受験のため、あるいは就職活動のために勉強する。だから本当の面白さが分からない。「やっていればいいんでしょ」とばかりに勉強している「ポーズだけ取る」。この学歴社会では仕方のない現象なのかもしれませんが、個人的にはできるだけそういう不幸は避けたいです。
勉強が目的化しないというのはどういう状況なのかというと、何かを知って「面白いな」「もっと知りたいな」と思う瞬間です。興味をもって調べ始めたらしめたもの、何かを知って気持ちが動かされる瞬間に、点で散らばっていた知識が線として繋がって立体になる(=知のネットワークづくりができる)のです。そうすることができれば、必然的に勉強することは楽しみになるはずです。刺激を受けながら新しいことに熱中していく事実があるというのは、小学校低学年の児童を見ているとよく感じます。だいたいの小学校低学年の児童にとっては、知らないことだらけの世界に意味を与えてくれる学校の勉強は、とても面白いものとしてとらえられるようです。
しかしその一方で、歳を重ねるごとに知ることに対して抵抗が生まれてくるのは、勉強していくことによって今まで彼らが安住していた世界の常識が叩き壊されて、今までと同じようにはものを見られなくなることへの恐怖心もあるだろうし、それを体感して「もう勉強したくない、知りたくない」と思うことも当然あるからです。だから「目的化」して余計なことを考えないようにする。そういう防御反応もあるのではないかと気付きました。

学ぶことを楽しく

ではどうやったら「学ぶことに意味を見出せるようになる」のか。
それはもう「遊ぶ」しかないと思っています。
私はこの一年で教科横断やICTの活用など、わりと先進的な取り組みを多数経験することができました。そのなかで「ラッキーディップ」の実践や、読解力養成の講義、あとは今度書こうと思っている、とあるクラスでの「大鏡」批評などの生徒から評判の良かったものと、全然聞いてもらえなかったものと、極端に分かれているのは何が原因なのかと探ったのですが、どうやら「遊びの要素」と「身近な話題の提供」と「イメージとのギャップ」が重要なようでした。

遊びの要素はラッキーディップにもTRPGにも映像を見せる授業にも共通している「勉強っぽさのない活動」のことです。
板書をひたすら写して、話を聞いて、はいこの助動詞の意味は何ですか……みたいな授業はだめらしいです。つまんない、とストレートに言われました。一方で「富嶽百景」の心情曲線を描いた授業では数学のグラフの授業をちょうどやっていたこともあり大盛り上がりだったので、「知識って繋がるんだな、繋げたら遊べるんだな」と体感できたこともあったように思います。
身近な話題については、生徒が話しているマンガの話から授業の内容に結びつけるのが一番王道の作戦だと思います。私も「鬼滅の刃」の話をしていた生徒に日本古来から存在する「鬼」の概念を語ったときは、クラスのあちこちから「へぇ~」と納得する声が上がり、じゃああれは? これは? とどんどん話題が発展して収拾がつかなくなりました。ここまでいくのは良くないのでしょうが、それでも生徒の知的好奇心は満たせたようです。
これを実践するためには教師側も「勉強を面白がって、自己更新を怠らないこと」が大事になると痛感しました。流行りのマンガでも小説でも映画でもポップソングでも、情報を集める。それと専門分野の知識を繋げる。専門分野の知識も更新していく。教師はたぶん日本でもトップクラスの忙しさを誇るので、なかなか教材研究したり見聞を広げたりというのが難しいのかもしれませんが、それでもいろいろな情報に触れて自分の中に語れることを増やすのが重要だと考えています。(というわけで今度「呪術廻戦」を視聴することになりそうです、生徒に聞いたら「鬼滅の刃の次はこれ!」だそう)生徒に迎合するというよりは、暗器使いの如く数多のサブウエポンを備えておくことがポイント。
イメージとのギャップ、というのは「怨霊」の話をしたときに気付いたことです。生徒にまず「なんでもいいからお化けや幽霊のイメージを書いてみて」と宿題を出したら、ほぼすべての生徒から回答がありました。課題としてもやりやすかったらしいです。そこから「昔の怨霊はこんな感じ」という話をしたら、「でも俺は信じない」とか「そりゃ道隆や道兼も怖がるか……」などなど様々な反応が返ってきて面白かったです。そこから文化批評に繋げた実践については、今週の反省で書いていきますね。お楽しみに。

学ぶことに抵抗感を持つのは仕方がないし、本当に嫌な子もいると思います。そういう子にも提供できる授業を作ろうと思いながら、日々精進……と考えています。この三要素は基本的に初等教育などでよく使われる手法なので、高校生向きではないかもしれませんが、中学生くらいまでならぎりぎり対応できますので、お困りの方はぜひ。それでは、また。

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