成長に堪えられないひと
1.「ウォーキング」という言葉
「ランニング」を「ラン」と言ったりする。
高城剛さんだろうか、とにかく「Lifespan」という本をきっかけに5分とか短時間ではあるもののランをするようになった。
今日は路面が濡れていたので、転倒のリスクを考えて歩いた。
いや、何かと理由をつけて朝から走りたくはなかったのかもしれない。
最近は朝6時には起きて、八重山クロレラを飲むとか、別の機会にはノニという現状では青汁を超えてまずいジュースを飲み、20分くらいは歩く、そんな具合だろうか。
自宅の近くは殺風景というか、情緒を頑張れば見つけることは出来るのだけど、やっぱり面白味がない。
地元は八王子なのだが、せめて八王子駅から歩いて15分くらいの所にいれば、朝のランなりウォーキング(「ウォーク」と言えばもっとカッコいいのか、いや、もっと何かあるような気もするが、流行を待とう)も楽しめるのだが。
#ウォーキング
そんな訳で、たぶん、自分は田舎暮らし(八王子も田舎なのかもしれないが、まだ駅前にはデパートがあり、郊外暮らしとでも言うのだろうか)はムリなのかもしれない。
おそらく街が好きなのだ、何と言うか、デパートに本屋があり、その本屋で時間を潰すとか、ユニクロとかそんな場所で服の所在を確認するのがそんなに悪くないというか。
ただ、理想を言えば、近所に新宿ルミネくらいの場所があって、ハイブランドのあるショップがあったら最高だな、とは思う。
困ったことに自分が本当に気にいるのはマルジェラのリュックであるとか、別にマルジェラだから欲しいというより、このリュックが素敵だな、質感が好きだ、そう思うとマルジェラだったりするのだが。
ハイブランドのショップに行くと、商品を手にとっているだけで満足してしまう。買いたいというよりは、その店の雰囲気と商品という空間に満足して、「買う」という選択行為が億劫になってしまうというんだろうか。
#ハイファッション
そういった事柄について思うのだけど、セレクトショップで働く友人がいて、
「ホシナさんにはコレが似合うと思う」
というのを選んでもらって、売ってくれないかなと思う。
髪を切るにしても、私より美容師の方の方が沢山の頭の形を見て、それに対して対処してきたので、こっちにはこういうのが似合うというのを提示してくれれば、とか思う。
特に髪を切ると言うことに対して言うと、ステーキショップとかの方が楽だな、とか思う。
ステーキショップなら、肉の種類と焼き加減、あとはソースの種類か、それらを言えば良いし、そこには3種類x3種類x3種類といった限られた選択肢であって、枠を超えない。
しかし、髪を切るという行為は、自由度が高すぎる。
そして、客と美容師の間での「常識」が往々にしてズレている。
だから、美容師と言う仕事は面倒だろうな、と思うし、その割に稼げてないのであれば、やり甲斐も持てないなら、週末なのか月曜なのかDJをするとか、そんな息抜きなのか何なのか、そこに向かうのも分かる気がする。
#美容師
さっきからハッシュタグを文章に入れているのだが、noteで「公開設定」をする際にハッシュタグを入れましょうと言ってくるので、文章が終わった時には何をテーマに書いてたか、コレがハッシュタグとして良いだろうというのを忘れるので、書いてみた。
(と言うか、文章中にハッシュタグを入れると公開設定の際にそれらが表示される訳で、何を今更言ってるんだか)
2.成長することに堪えられないひと
本題、ということになるのだろうか。
おそらく、ここ20年以上に亘って、自分が最もブルーになる理由なのかもしれない。
大学くらいからなのか、周りから「現状維持」を求められているような気分になることが多くなった。
大学に行くと
「大学で1番意味のないことは勉強することだ」
といった空気があり、勉強をすると孤独になって行く感じはした。
で、そうすると、こんな言い方はどうかと思うが、ブサイクな女性が近づいてきて、さらに自分の人生をつまらなくするのだ。
別にブサイクであることが問題ではなくて、ブサイク以外の点での魅力を発揮しないというか、仮に美人の女性がいてその人の能力値が50だとしたら、ブサイクな女性も能力値50から上げようとしないといったところだろうか。
ブスであることを自覚しながら、美人に対してされる扱いを望んでいるといったら良いのだろうか、それは都合が良すぎるのではないかと思うが、この点はタブーになっていて、語られることがない。
自分はブスが苦手というより、
「自分はこの女性のために頑張ってきたのか」
と思うとおそろしくブルーになり、何もかもやる気がなくなって、部屋で延々と寝込んでしまう、それが恐ろしくて、で、そんな風になってしまう自分に申し訳なくて、距離を置いてしまう。
もちろん、そのブスな方がおそろしく努力家なら構わないし、けど、そんな努力家の人はブスには見えないし、魅力的というか、とにかく、人間的に得ることがある女性というか、そんな女性に自分は「ブス」とか「ブサイク」とか言ったりはしない。
というか、さっきからなんだ、この厨二くさい話は。
#ブサイク #ブス
ヨーロッパはどうか知らないが、日本だと、常識からアウトすると、それはすべて「アウト」で処理されがちだ。
ハイレベルなことをして「アウト」するのも、低レベルなことをして「アウト」するのも「アウト」だ。
だから、頑張るという行為におそろしく疲れることがある。
いや、別に「頑張っている」というよりは「夢中になっている」と言えば良いのか。
正直言って書きながら自分はショックを受けている。
まさか、大学時代に思った、この暗黒な思考回路が自分の中にいまだに渦巻いている、さすがにあの頃ほどではないが。
自分はてっきり、クラブミュージックでもやっていれば、もう少しまともな思考回路になると思っていたが、そんな風にはならなかった。
思えば、2014〜2016年にBoysnoize Recordsでリリースした頃に、自分に対して一番近づいてきたのが、ブサイクな女性だった。
そんな言い方は失礼だとわかっているし、申し訳ないのだけど、ただその女性から「成長欲」のようなものを感じるのがおそろしく難しく、自分のやっている音楽が全く意味のないように思えるくらい、その女性によって、自分の人生が暗黒に染まって行くような幻想、もはや自分は病気なんだろうか、そして、やる気がおそろしく落ちるのだ。
自分がこれまで頑張ってきた、夢中になってきたことは、このブサイクな女性のためにやってきたのか、そう考えると、本当に憂鬱になったので、自分からしっかりと彼女に連絡し、申し訳ないが二度と関わらないで欲しい、と言った。
こういう時にはただ連絡をしなければ良いのだろうが、自分としては、その意思をしっかり伝えたかったのだ。
そして、言わなければ理解してもらえない、別に理解してもらおうとは思ってないが、そうしなければ、自分は暗黒世界から抜け出せない、そんな風に思ったのだろうか。
別に誰かのために音楽を頑張っているわけでも夢中になっているわけでもないが、ただ、自分をブーストさせる、そんな知り合いがいると助かるなと思うし、自分も誰かのブーストになれば良いと思うし、そうでなければ立ち去るのみかと思う。
要はその人と関わることによって、「明るい未来」が見えてくると良いのだと思う。
美人やイケメンといった類の人々がモテるというか、一緒にいたいと思われるのは、その「明るい未来」とか「華やかなイメージ」に参加できるから、なのかもしれない。
確かに、実際にそうかは分からないが、少なくともスタート時点で「明るい未来」を感じられるというのは大事だ。
思えば、先述のブサイクな女性は、ファッションとか思想とか、その他もろもろにおいて、全く刺激を感じさせてくれるものがなかった。
もし、それらのいずれかに刺激があったら、違ってたのかな、とは思う。
そんな訳で、タブー掛かったことを書いてしまったが、ただ、美人だろうがブスだろうが、イケメン(実はイケメンという言葉の響きが苦手だ)だろうがそうでなかろうが、その人が後天的に学習して素晴らしい知識とか感覚があれば、そこに惹かれると思う、だから、別に救いはあると思う、なんだろう、苦い現実は提示したが、自分の言っていることの本意は、誰にとっても「明るい未来」を提示したと思う。
では。
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