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Amazon musicのろくでなし改悪から見えるグループシンク(集団浅慮)とコーチング的解決策。そして僕らにできる対抗手段
珍しくトレンドというか、時事ネタ的なことをテーマにして色々書きたいと思います。
若干の今更感はありますが・・・
稀に見る改悪の原因
先日Amazon musicを開いてプレイリストを再生しようとしたら、なんか勝手にシャッフル再生になってしまい、別に興味もないし聞きたくもない曲が再生されてしまいました。
バグとか何かかなと思い調べると、どうやら有料のAmazon music アンリミテッドというプランに入っていない場合は、今後はこの仕様がデフォルトとなるようです。
・・・・控えめにいってもクソ仕様で改悪だと個人的には思うんですが、今回の記事ではそういう愚痴とか批判をするのが目的ではありません。(ちょっとあるけど)
Amazonに限らずですが、企業や組織において時々客観的に見た時におかしくね?と思わず首を捻るような意思決定がなされることってありますよね?
僕ら日本国民の立場で言えば、アベノマスクなんてのもツッコミどころ満載でした。
意図はわかるけど、それ?みたいな。
あと走行税とかインボイスとか言い出せばキリがありませんが・・・
今回のAmazon musicの改変も、多くのユーザーからかなり批判が上がっていて、正直ちょっと考えればボロクソに言われるのはわかるんじゃないかって思いますよね?
それもAmazonという世界的企業に勤めるバリバリのエリートで、いい学校出てる頭が最高にキレッキレな人たちが揃いも揃ってツッコミ入れなかったのか?と疑問に思うはずです。
実はこういう現象にはしっかり社会科学的な見地からメカニズムが明らかにされているんです。
ここではその現象についての簡単な説明と、それがどういう悪影響をもたらすのか?そしてコーチング的な視点からそこから抜け出したり防ぐにはどうするのかを話していって、僕ら個人がそうしたことに対して何ができるかを話していきたいと思います。
エリート集団が陥る"グループシンク"の罠
まず先に答えをいうならば,今回のような集団でのおかしな意思決定のことを"グループシンク"と言います。
小難しい横文字じゃなく日本語で言うなら、"集団浅慮"です。
グループシンクって何じゃい?
簡単に言うならば、集団における意思決定で明らかにおかしな決定や愚かな判断がなされることです。
この辺は僕のようなトーシローではなくきちんとしたところの引用もどうぞ。
集団浅慮(グループシンク)とは?
集団浅慮(グループシンク)とは、集団で何かの合意形成をするに当たって、意見や結論に対して正しいのかやリスクなどを適切に判断・評価されることなく愚かな決定をしてしまうことです。
アービング・ジャニスという心理学者が提唱したもので、集団であるがために「三人寄れば文殊の知恵」の全く逆の効果となってしまうことを指しています。
こういうのって誰でも少なからず経験があると思います。
学校でも会社でも、それこそ友達同士のコミュニティーでも、客観的に見たり、後から考えると明らかにおかしな意思決定をしてしまったなんてこと。
なぜなのか?
時間的なプレッシャーだったり同調圧力だったり色々な原因が挙げられていますが、個人的に最大の原因は視点の欠如だと感じています。
視点の欠如とは、つまりは多様性がなくなりその集団やグループの外側の視点がない状態ということです。
その集団に所属する人たちの価値観とかモノの見方みたいなものに多様な視点がなくなって、みんな同じような価値観しか持っていない状態になっているから客観的に自分達の行動や意思決定のおかしさや矛盾とか、そのリスクを適切に捉えることができないんです。
今回のAmazonの例でいえば、そこの社員さんは多分みんないわゆるエリートに近い人たちばかりなはずです。
特定のサービスに関する方向性を決めたりそこに関わるような人たちは、特に優秀な人になるのではないでしょうか?
そして忘れてはいけないのが、現代社会における"優秀"な人たちというのは、極めて標準化された価値基準の中で勝ち抜いてきた人たちであるというです。
学校における成績や偏差値。
職歴学歴うんちゃらかんちゃら。
とにかく特定の基準がそこにはあり、その基準のもとで行われている競争の勝者や上位者を、一般的には優秀な人とか、エリートと呼ぶわけです。
ではそんな人たちしかいない組織はどうなるでしょうか?
びっくりするぐらい簡単にグループシンクの罠にハマりおかしな意思決定を連発してしまい組織の崩壊を招くことになります。
ただでさえ客観的に自分達の行動を認識することは至難の業なのに、その行動に対するフィードバックをくれる存在さえも組織内にいないとしたら?
もしくはフィードバックする側の人もまた似たような価値観を持ってるとしたら?
"おかしさ"に気がつくことはほぼ不可能です。
本来そうならないために、外部からコンサルタントを雇ったり、顧客からのフィードバックを積極的に求める仕組みを作っているわけです。
でも今回の件や社会のさまざまな組織の行動を見ていると、それらが必ずしも機能しているとは言い難いと思います。
なぜか?
次はその辺の理由を深掘りしてみたいと思います。
エリートたちが無意識に持っている危ういロジック
外部の視点を取り入れるためにさまざまなフィードバックを受けるための仕組みを持っていても、それが機能せずにグループシンクの罠にかかってしまうのはなぜか?
それは彼らが無意識で陥ってるとあるロジックが心理的な盲点を作り出して、フィードバックを見えなくしたり、せっかくのフィードバックを軽んじてしまうからです。
そのロジックとは、以下のようなもの。
『自分は正しいことして努力してきたから勝ち組のエリートになった。ゆえにエリートの私のすることは正しいし、エリートじゃない人たちは間違っていて努力不足で能力のない人間だ』
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
前半はまだわからんでもないですけど、後半は明らかに破綻しているのが誰が見ても明らかです。
正しいことをしたから結果が出たというのはともかく、結果を出した人間がすることが常に正しいというのは成立しませんよね。
たまにお金持ちだからとか社会的地位が高いから何してもいいみたいなことを本気で考えているような横柄な人がいますが、それも同じロジックが頭の中に存在しているからです。
でも指摘する人がいない。しても聴く耳を持っていない。声が届かない。
なぜなら僕ら人間というのは同じ階層の人たちとばかり付き合うことが多く、必然的に同じ価値観とか同じロジックで生きている人たちばかりといるからです。
だからそもそも自分達が間違っているかもとか、ロジックをチェックしようなんてことを発想すらできない。
さらに上述したロジックのタチが悪いところは、おかしいんじゃないかという人を馬鹿にしたりしてしまうんです。
愚かで間違っていて劣った人の言うことなんて、そもそも耳を傾ける必要性も感じない。
現代では前半のロジックさえ怪しくなっているにも関わらずです。
その辺詳しくはマイケル・サンデルさんの本があるので、社会的に優秀な自覚のある場合は一読しておくことをおすすめです。↓↓↓
話を本題に戻しまして・・・
政治家が自分は偉いと勘違いしてしまうのと同じで、優秀であることや社会的な地位とかを人間的な優劣に無意識で結びつけてしまっていて、他者のことを悪気なく劣っているとか愚かな人間として見てしまい、そうした人たちの言葉に耳を貸すということができなくなってしまうんです。
人間関係を優劣とか勝ち負けとかでしか見れなくなり、同じようなレベルの人たちばかりと付き合う。
その結果、コーチングでいうところの心理的盲点をどんどん自分達で作り出してしまう。
そしてせっかくのフィードバックがあっても、歪めて解釈したりその価値を否定して省みるなんてことができなくなる。
学校教育などで徹底された標準化教育とか、それに伴うピラミッド型の社会構造の弊害とも言えるかもしれません。
ポリコレもまたグループシンク
そして個人的には、このグループシンクの例は、最近台頭してきているポリコレにも言えることだと思います。
僕の個人的な偏見かも知れませんが、たいていポリコレ的なものを支持している人って、高学歴で頭も良く、年収も高いいわゆるエリート的な人たちが多いように感じます。
アメリカで言うならば民主党の支持層であるリベラル系の人たちで、働いている業界もIT系やアパレル、ショービス系などのホワイトカラーとか華やかな業界の人が多いです。
そんでもってこれもまた偏見と僕の僻み根性がそう見せているのかもしれませんが、こういう人たちって、自分達を"進歩的"というふうに思っていて、自分達とは違う思想や考え方の人たちを遅れているとか、劣っているみたいに悪気なく認識している節があります。
特に欧米やヨーロッパは歴史的に正当性を強いか弱いかで考えるのが染み付いているところがあるので、余計にそういう風潮があります。
まあもちろん逆の考え方、いわゆる保守層の考えの人たちにもそういう人はいっぱいいますが・・・
ただ彼らの場合は、お金とか発言力を豊富に持っていることが多いので、社会の潮流に影響してしまっているんですよね。
単純に多数決とか民主的な選挙とか行えば、大抵のポリコレ的な規制とかって否定されることの方が多いと僕は感じています。
少なくとも、議論の余地があるものは山ほどある。
ポリコレてんこ盛りの映画が興行的にも評価的にも大爆死するのがいい例です。
にも関わらず、一部の人たちの感じる正しさだけがまかり通って、逆の人たちの意見は差別的とか批判されたり、価値観が古いとか遅れていると馬鹿にしたりさえする。
多様性を重んじろという名目で、個々人のもつ"感じ方の違い"という多様性を否定して、むしろ新しい抽象度の差別を生み出していることに、彼らは気付きません。
映画の配役に対して異議を唱えたり文句言うだけでレイシスト扱いされるなんておかしいでしょう?
まさにグループシンクの罠にはまっているとしかいいようがありません。
現状の外にゴールを設定すること
なんだかAmazonのサービスの改変の話からでかい話になってしまいましたが、要はそこにある構造とかメカニズは同じだよということです。
で、じゃあどうするの?って話です。
僕のnoteでは基本はコーチングとかアドラー心理学なんかを絡めて発信しているので、今回もその観点からなにをするべきかをお話しします。
それはズバリ、現状の外にゴールを設定すること。です。
コーチングを少しでも齧ったことがあれば聞いたことはあると思います。
ただ多くの人は、このゴール設定の威力を甘く見ていて、単なる目標設定の一種ぐらいにしか考えてしないか、個人の範疇でしか活用できてないのが実際です。
このゴール設定は、最大限活用すれば個人の成功なんてチンケなものじゃなく、世界を変えることのできる究極の方法だと僕は考えています。
今回話してるグループシンクも、この現状の外にゴールを設定することで打ち破ることができ、階層ごとに分断された社会構造そのものを変えるほどの威力があるんです。
現状の外のゴールというのは、簡単に言えば今の自分の価値観とか習慣とか物事の感じ方とか、そういうものを完全に変えたりしないと達成不可能なゴールです。
そういうゴールを設定するならば、必然的に自分や自分の所属しているコミュニティーの外にある価値観とか考え方とかに触れざるを得なくなります。
結果的に心理的な盲点は外れていき、これまでは入ってこなかった情報も入ってくるし、無意識で否定したりしてきた意見や考え方も聞くことができるようになっていきます。
要するに抽象度が上がるんです。
自分とは全く逆の考え方とか、価値観の存在に触れて一旦受け入れるということがどうしても必要になるんです。
逆に言えば、そういうことをしなくてはいけないものこそ現状の外のゴールと言えるかもしれません。
そしてそういうゴールを持つことで、初めて自分の今の行動を客観視するということもできるようになるわけです。
コーチングは世界を救う技術
またまたでかい話になってしまいました。
僕がいいたのは、今の社会に対してなんかおかしいなってもしもあなたが少しでも思うのなら、ぜひコーチングを学んでみてほしいということです。
それも、金儲けとか社会的な成功みたいな個人の枠でしかない低い抽象度のチンケなことのためじゃなく、この世界や地球を救うくらいの目的で。
大袈裟に感じるかもしれませんが、コーチングのゴール設定は本当にそれくらいのインパクトがあると僕は感じています。
僕ら一人一人が、現状の外にゴールを設定し続けていけば、そういう人が増えていけば、今ある多くの問題は解決すると思います。
まあその辺はぜひ下記の本を読んでもらったほうがいいと思いますので、ぜひどうぞ。
コーチングに関する本はぶっちゃけこの一冊で十分だと思います。
それくらいコーチングの全てが詰まっているし、それくらい理解して実践していくのは容易ではない本です。
何度何度も読んで、その度小さくてもいいので実践を繰り返してみてください。
そしてぜひ、コーチング的視点を持って社会を見て、人と関わってみてください。
理解し難い人と関わろう
僕の記事って最近はいつもこの辺に着地するんですが、結局のところ僕らが今すぐできることは心を開いていろんな人と関わってみることだと思います。
特に自分が理解し難い人。なんだったら嫌いとか苦手な人と。
なぜか?
現状の外にゴールを設定し盲点を無くすためです。
今回取り上げているようなAmazonのサービス改悪やポリコレとかグループシンク的な現象は、似たような人たちとしか関わらないことで発生しています。
そして違う価値感や考え方を否定したり見下すことで、悪化してしまい、それは社会をより階層化させ分断を引き起こし争いに発展します。
じゃあそれを避けるにはシンプルに関わる人の種類を増やせばいい。そして彼らの視点を受け入れてみればいい。
本来はそれだけの話なんです。
そのために僕らは多くの"違い"を持って産まれてきているわけです。
だけど標準化され特定の基準で優劣を決め階層化された社会構造のせいで、人間関係を勝ち負けとか優劣でしか見れない人が多くなりそんな簡単なことも難しいとか感じるようになってしまいました。
そんな状況を変えていくためにも、自分にとって最も理解し難い人々との関わりを勇気を持って増やしてみる。
それが現状の外にゴールを設定し、グループシンクのもたらす弊害をなくしていくために僕らができる小さな行動だと思います。
まだまだ言いたいことはありますが、長くなったのでまた。