「ぼっち・ざ・ろっく!」主人公のぼっちちゃんに学ぶ正しい承認欲求の満たし方とコーチング的なぼっちちゃんの進化とゴール設定の究極奥義
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どうもこんにちは。
この記事では現在(2022年11月)覇権確定待ったなしの人気アニメである「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公のぼっちちゃんを通して学ぶ正しい承認欲求の満たし方と、個人的に学んだり体験してきたコーチングと絡めてぼっちちゃんの進化とかを色々屁理屈を捏ねてお話ししたいとも思います。
今回の話を理解すれば、本来幸福になるのを邪魔する承認欲求をコントロールしていろんな人を幸せにした上で自分自身も高い目標を達成したり、充実した人生をすることができます。
何より多くの人がコーチングを学んでつまずいたり活用しきれていないゴール設定に関してのコツとかも今よりもずっと理解が進むと思います。
アニメが非常に面白くて神アニメなので、見て楽しいぃいい!ってだけでも十分いいのですが、せっかく時間をとって見るわけですから作品の持つ旨味をこれでもかってくらい味わい尽くして視聴後の人生を良くしていくヒントを得られるようにしていただければと思います。
超絶ぼっちコミュ障陰キャの主人公がチヤホヤされたくてギターやってバンド始める。
まずアニメの簡単なあらすじですが、もう見出しの通りです。
後藤ひとりという女の子が、みんなにチヤホヤされて人気者になるためにどうすればいいかと思案して、バンドやれば陰キャでもモテモテじゃん?と短絡的に考えた結果ギターを始めるんですが、そもそもコミュ障すぎてバンドに入ることもできずぼっちで毎日6時間ギターを練習して弾きまくった結果、めちゃくちゃ上手くなり、動画サイトに投稿してギターヒーローという名前でそこそこ人気になっていきます。
でもやっぱり一人ぼっちなのは変わらず、鬱屈としていた時に、なんやかんやあって下北のライブハウスで急遽ライブに出演することに・・・
アニメレビューじゃないのであらすじが雑なことはご勘弁を。
そんなこんなで始まるぼっちちゃんのバンドライフなんですが、彼女の作中での変化は、人間の心理的発達とかコーチング的に見ると結構すごいし、あなた自身が今後の人生を変えていったり進化していくためのヒントがいっぱいなんです。
自分がチヤホヤされたいからの脱却
ぼっちちゃんがギターを始めたのはそもそもインキャでもチヤホヤされそうというとっても不純な動機です。
モテたくて楽器始めるっていう我々モテない男子が思春期にやりがちなムーブと同じことをぶちかますぼっちちゃんですが、この時点の彼女の持つ抽象度は、"自分"という小さくて低い抽象度です。
"自分が"チヤホヤされるために、ギターやってバンドやろう。
要するに人から注目を浴びて承認欲求を満たしたいって目的ですね。
ただ持ち前のコミュ障でそもそもバンドに入ることさえできずにつまづくわけですが。
そこで動画サイトに流行りの曲を弾いた動画を出して、人気になっていく。
SNSでオサレカフェでの高カロリーパンケーキ画像をアップしていいねをもらうのと同じっちゃ同じです。
ここから少しですが、外の世界に出ていくわけですが、やっぱりまだ自分ひとりの世界。
みんな私を見て!そして褒めて褒めて!な状態。
でも偶然の出会いからバンドに入ることになり、ぼっちちゃんの世界は変わっていくわけです。
バンドのメンバーとの交流を通し、徐々に自分だけの世界から抜けていくのがアニメでも原作でも描かれていきます。
つまり、"自分が"チヤホヤされたいというものから、"みんなで"ちやほやされたい。に変わっていくんです。
「今私は、この4人でちやほやされて、バンドをし続けたい・・・!」
その辺の変化を明確に表現しているのは、第5話のライブ出演のためのオーディションの時のシーンでの彼女のセリフです。
このシーンです↓
ぼっちちゃん覚醒のシーンですね。
足を踏ん張って演奏が変化する演出が良すぎてこのシーンだけ何度も見てしまう素晴らしいシーンです。
ちやほやされたいという目的は変わらないけれど、他のメンバーとの交流とか、夢とかに触れる中で、ぼっちちゃんの抽象度が一段引き上がった瞬間でもあります。
自分1人でちやほやされるんであれば、ネットに動画をアップするだけでよかった。
いっぱいコメントもらえて、いいね!もたくさんつくし、その方が傷つかないし、ぼっちちゃんが苦手な人前に出る必要もないし、他人との関わりも少なくて済む。
ずっと安全な押入れから出ないでいられる。
だけど彼女のゴールは引き上がってしまいました。
他のバンドメンバーを加えた4人全員で、もっと大きなところでちやほやされること。
自分の承認欲求を満たすためのハードルを上げて、他人を巻き込み、人の夢と絡めることを自然とし始めたんです。
承認欲求を否定するのではなく高品質で満たしていく
このぼっちちゃんの変化に、僕ら自身が自分の承認欲求を味方につけて活用するために最大にヒントがあります。
それが、何度も言っているように抽象度を上げていくこと。
そしてその結果、承認欲求をより高い品質で満たそうとすることです。
アドラー心理学なんかに触れたことがあればわかると思いますが、基本的に承認欲求は捨てるべきとされています。
でもそれが簡単にはできないから困ってるんですよね。
いずれは承認欲求を否定して捨て去ることをゴールにはした方がいいと思いますが、今現在それができていない承認欲求モンスター状態では、否定しようと躍起になるのはむしろ感情の抑圧になり危険さえあるかもしれません。
だから使う。
どう使うの?
承認欲求を満たすポイントをシフトさせていくんです。
ぼっちちゃんが"自分ひとり"で"ネットの住人"からという抽象度から、"バンドメンバーと一緒"に"より多くの人たち"からという風にシフトしたのを同じように。
今あなたがモテモテになりたいと思っているのなら、地元のちょっと可愛い女の子から好かれたいとかじゃなく、ハリウッド女優に熱烈アプローチされるくらいとかに満たされるポイントを引き上げて考えてみてください。
誰に?どうやって?どのくらい?という部分のレベルを上げていくことで、必然的に抽象度は高まっていくと思います。
人に注目をされたいという欲求で、低い抽象度のままだと最悪バイトテロとか迷惑行為とか、そういう馬鹿な手段で注目を集めることで満たそうとしてしまいます。
地元のダチからすげえって思われたいって抽象度だと、成人式で暴れてイキがる馬鹿な成人になるかもしれません。
もしくは所属しているコミュニティーの価値観とか、その範囲の中でしか評価されないことにエネルギーを費やして、猿山のボスザル気取りの痛い状態になっちゃいます。
だから抽象度を上げる。範囲を広げる。
注目されたいなら、馬鹿なことやって地元友達から一目置かれるとかじゃなく、人の役に立って、社会的に地位のある人とかから「彼は素晴らしい人だ」と評価され、世界中の人々から感謝されて注目を集めることを目指してください。
誰に?の部分を、「社会的に地位のある人」に変えて、
どうやって?を、「人の役に立って」に変えて、
どのくらい?を、「世界中から」に変える。
誰に?の部分は、自分の目標とする人物とか、すごいと思う人でもいいかもしれません。
体を鍛えてむきむきマッチョマンになり肉体美を称賛されて承認欲求を満たしたなら、誰の部分に「アーノルドシュワルツネッガー」を入れてみるとか。
どうやって?のとこに「世界最大のボディービル大会であるミスターオリンピアで優勝する」とか。
こうして考えればいくらでも承認欲求を満たすポイントを引き上げていくことは可能だと思います。
利他性を入れることで抽象度は爆上げする
そして最大のコツというか、ポイントは、どうやって?の部分に"利他性"を組み込むことです。
コーチングにおけるゴール設定と同じで、利他性を入れることでゴールの抽象度は爆上げします。
ぼっちちゃんが最初に持っていた「自分がギターを上手く弾いてちやほやされる」というゴールは、自分だけのゴールで利他性はありません。
次にバンドメンバーと一緒にやっていくことで、他のメンバーにも思いや夢があることを知ります。
5話でサラッと虹夏ちゃんが言ってた、"夢"のことも、ぼっちちゃんに影響を与え、ただ自分がちやほやされるだけじゃなく、彼女の夢も叶えてあげたいという思いが生まれていきます。
さらに自分の演奏を聴いて喜んでくれる人の存在を直に知り、そういう人たちのためにという気持ちも徐々に芽生え始めていきます。
どんどん彼女自身のゴールに、他人の存在が含まれるようになり、利他性が生まれていっているのがわかると思います。
利他性をを取り入れることで、必然的にゴールも抽象度も上がらざるを得ないんですね。
どうやって利他性を入れるの?
ここまでぼっちちゃんの変化を通して、承認欲求の抽象度を上げて高いゴールを設定する方法や、そのコツをザーッとお話ししてきました。
その極意ともいえる、利他性を取り入れるという部分ですが、理屈はわかるけど具体的にどうすればいいの?ってところを話していこうと思います。
世のため人のためとか、そういう綺麗事を言えばいいのか?
みんなの幸せが私の幸せとかそういうこと?
そうなんですが、言葉だけじゃ嘘っぱちになります。
そういう綺麗事とか理想論に思えることを、綺麗事でも理想論でもなく本気で臨場感を持って、自分ごとにするためにすること。
それが、他者と関わること。
ぼっちちゃんのストーリーを見れば明らかですが、彼女のゴールが引き上がったのは、間違いなくバンドに入っていろんな人との関わりを持つようになったからです。
他者との関わりの中で、視野が広がりそれまではなかった視点が生まれ、より大きな世界で認められたい。それも他の人と一緒にそこに行きたいという欲求が生まれたわけです。
これはどれだけ押入れの中でギターを弾いていても生まれなかったものだと思います。
そして抽象度が上がったことで、自分の欲求と他人の欲求に重なる部分も見えてきます。
自分の欲求を満たすための行為が、他人の夢や欲求を叶えることにも繋がるのがわかるんです。
ぼっちちゃんがギターが上手くなってチヤホヤされることで、バンドそのものが認められていく。
いわゆるウィンウィンになるってやつです。
自分が生きる世界、関わる人たち全員とのウィンウィンを実現したいと心から思えるようになる。
だから偽善でも綺麗事でもなく、本気でみんなためって言えるようになるんです。
でもそのためには、人と関わらないといけない。それも真剣に。
みんながどんな夢があって、どんな欲求や願いを持っているかを知らないといけない。
それに触れて初めて、自分だけの世界から抜けて、本物の利他性を自分のゴールに取り入れることができるんです。
お金持ちになりたいとか、モテモテになりたいと、そういう利己的な願いってたくさんあると思います。
僕もアホみたいに毎日おっぱい揉みたいなとか考えてます。
チヤホヤされて自分の承認欲求を満たすのもそうですね。
でもそれで誰が得するのか?
多くの人はその辺がすっぽ抜けています。
つまりは利他性がない。あっても無理くりネジ混んでるので嘘っぽくて胡散臭くなる。
それはなぜか?
人と心からの交流を持っていないからです。
他人を自分の欲望を実現するための道具にしか見てないからです。
チヤホヤされたいって思ってもいいんです。
でもそのために、人を感動させてとか、楽しませてとか、役に立ってとか、そういう視点を持っていないと何しても結局満たされないってなるんです。
人間は結局どこまでいっても社会的な動物で、他者との関わりに喜びと幸福を感じる存在です。
だから利他性を取り入れるっていうのは、実のところ当然のことで自然なことなんですね。
結局最後は"勇気"の問題になる
さてここまでぼっちちゃんというサンプルを軸にして承認欲求をどう扱えばいいかとか、利他性の重要性だなんだと話してきました。
要するに他者と心から真剣に関わっていくことが重要だという話になるんですが、ここでぼっちちゃんと同じような陰キャコミュ障勢からこんなこと言われそうです。
「人と関わるのが重要なのは百も承知なんだよ!でもそれが怖くてしんどいからできないんだろうがハゲの底辺が!」
ええおっしゃる通りです。ハゲてはいませんけど。
僕もぼっちちゃんほどではないですがまあまあコミュ障で、陰キャなのでよーくわかるわけです。
陰キャすぎて体育祭と文化祭は苦痛でしたし、今でも知らない人と喋るのはしんどくてたまりません。
だから僕自身もどうすればいいのかを調べたしいっぱい本も読んで勉強もしてきたんです。
結果たどり着いた答えはこれでした。
勇気を持とう。
おい馬鹿にしてんのかこのおちんこやろうとか思うかもしれませんが、もちろん違います。
もうほんと下手なテクニックも心理術もなく、勇気を持って一歩踏み出すしかないという結論に僕は辿り着きました。
「嫌われる勇気」という本で解説されているアドラー心理学でも、この勇気という言葉が何度も強調されています。
ちょっとひどいこと言いますけど、傷付かないように、恥かかないように、失敗しないように、馬鹿にされないように、安全なところでしか生きてないから人生ってつまんなくなるんです。
その結果オカルト的に歪められた引き寄せの法則とかスピリチュアルにハマってしまってどんどん変なことになるんです。
ぼっちちゃんを見てください。
彼女はガタガタに震えながらビビりながらも他者と関わることを選択しています。
その姿は世間一般で言うところの"かっこいい"とは違うかもしれませんが、人の心の奥にある何かを刺激する"かっこよさ"に溢れています。
他者と関わる勇気はどこからくるのか?
じゃあどうしたら勇気は湧いてくるんじゃい?
それは自分を受容することです。
自己肯定じゃないですよ?
自己受容です。
自己肯定ってのはできもしないのにできるって言い聞かせることです。
自己受容は、できなくても自分は大丈夫と現時点での自分をちゃんと認めることです。
自分は失敗しない!と虚勢を張るのではなく、失敗しても大丈夫というのが自己受容です。
こんなことじゃ傷ついたり苦しんだりしない!と思い込むのではなく、傷付いて苦しくても大丈夫と思うのが自己受容です。
要するに、弱い自分、みっともない自分、うまくできない自分を一旦全部丸ごと受け入れる。
手前味噌ですが、この辺をさらに深掘りした記事が過去記事にあるので、参考にしてください。
欲望や恐怖を隠さないで認めることもまた、自己受容につながっていきます。
もっともっと深く学びたいと思うなら、「嫌われる勇気」を読むことをお勧めします。
ぶっちゃけ僕がここでウダウダ言ってることのほぼ9割はこれが元ネタなので、何処の馬の骨とも知らんやつのいうことは癪だわいと感じる場合はさっさとこっちの本を100回くらい読んで実践していく方がいいかもしれません。
まとめ的なもの
今回はできる限りサクッとまとめるつもりでしたが、結局6000字を超えてしまいました。
お伝えしたいことはまだまだ山ほどありますが、また今度にしましょう。
長々と言ってきましたが、要するに「ぼっち・ざ・ろっく」は面白いので見ようねってことです。
アマプラで見られるよ。
原作もお勧めです。
ではまた。
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