星密灯ノ猫を立ち上げた理由。 徒然その1ッ
なんども言います、この度星密灯ノ猫というブランドをはじめました。
トプ画のお写真のようなファンタジー強めのデザインで、スマホケースとかミラーとか作っております。
今の所BASEというシステムを利用してネットショップにて販売中。
(→お店はこちらになります)
何で、今、立ち上げたか。
この未曾有の状況下で。
よし!始めよう!と意気込んだ訳ではありません。
やれ在宅勤務とかやれ短縮営業とかいきなりやってきた仕事変革の波に、ご多聞にもれず飲み込まれて、完全に受け身の第一歩だったのが正直なところです。
ただ、仕方なさに突き動かされての始まりだったとしても、ショップを公開するところまで持ってこれた原動力は。
今回だったら、何かできるかもしれない。今の自分でできることの全力持ってったら、あの当時無力だった自分が本当はやりたかったことをやれるかもしれない、という思いです。
2011年3月11日、わたしは新宿の劇場にいました。出演者側でした。
本番さながらの最終通しであるゲネプロが始まる10分前、それが起きてしまった。
中々の規模の公演、何ヶ月も用意してきた公演が一瞬で文字通り吹っ飛びましたが、もうそれどころじゃない甚大な被害(嫌な記憶を思い起こさせてしまう方がいたら申し訳ありません‥)。
その混乱を実際に目の当たりにしていって痛感したこと、
「自分って、何の役にも立たないんだ。」。
当時、芝居をかなり真剣にやっていました(今後もこの時の話はちょくちょくでてきます)。
頂く役が、心身に障害を負っていたり出身で差別をされてしまったり、生きることが何らかの困難に当たっている役柄が多かったので、観た方から「それでも立ち向かう姿に勇気をもらいました」などとお声をもらう機会も伴って多く、自分の発信していることが少しでも誰かの役に立っていると思っていてしまったのです。
不遜。とても不遜。
そこにあの大震災。
平和産業ど真ん中にいた私には、いざ有事の際にはもう何っにもできることがなかった。何なら東北のお客様に、「観に伺えなくてごめんなさい」と気を遣われる始末。
今なら、何にもできることがないというのはほぼ当たっていて、少し間違っているのもわかります。
あの頃も、聡明な仲間たちは、今すぐ役に立たなくても演劇や音楽や文化的なエトセトラが役に立つ日がきっとくると言って、ボランティアなどに行っていました。
一番間違っていたのは、何もできない感に打ちのめされて思い込んで、やれることを模索もせず、そのままズルズルと後退してしまった自分の弱さ。
ずっと、細い枷がいつまでも絡みついているように、水が徐々に腐っていくように、私の中で燻っていた、逃げてしまった記憶。
今回のパンデミックも、最初は、じわじわと囲い込まれるような閉塞感、自粛や手洗いなどやれることをやってはいてもふとした瞬間にくる無力感に、ただただ本能的に抗っているだけでした。
これが、とにかく今を乗り切れればそれでいい訳ではなく、コロナ前コロナ後にこれから世界が変わってしまうと理性でわかったとき。
医療従事者の方は今も賢明に頑張ってくださっている、他方、経済的に打撃を受けて立ち上がれない人たちが出始めている。
手洗いや自粛などまずは感染予防を徹底は勿論、あと一歩家の中で動けないか?
あれから少し経験値を増やした自分に、今ならできることはないか?
そこで自ブランドを立ち上げ、という思考回路が、自分でも自己本位に取られそうだなとわかってはいるのですが、そのあたりの補足は2に続くとして‥
できれば長期的に、自分のやりたいことを社会にスムーズに還元していく軸を作りたかった。
何かを支援したり発信する際、拡声器になってくれるような。
芝居をやっている最中、自身はフィルターのようなものに過ぎないと思っていました。
言語で書かれた台本は、そのままだと二次元のままです。
私には何もない、ただ声と身体とはある。
私を通せば作者の思いが詰まった台本が、三次元になって皆様に届けられる。
優秀な変換器、純粋な媒体、拡声器でいたい、と。
ご高説云々抜きにして、重いものを押し付けても仕方がないので、商品自体はとにかくキラキラしたもの、むしろこんなご時勢だからこそ魔法のような外の世界を思わせるデザインにしました(ファンタジー色強めなのはそこからです)。
少しでも気になった方に、ここから届けられれば幸いです。