言葉の実
子どもの頃、「天才少年ドギー・ハウザー」という海外ドラマが好きで、よく観ていた。
字の如く、恐るべき知能指数で十代にして医者になった少年が繰り広げる青春ドラマだ。
同僚に的確な指示を出し、いつもまっすぐに患者と向き合う医者としての姿と、垣間見える少年の顔が物語を魅力的に形づくっていた。
そんなドギーは、一日の終わりに必ず日記をつける。
自室のパソコンに向かい、その日あったことを思い返し、そこから学んだことをキーボードに打ち込む。
誰かをもっと大切にするにはどうすればいいのか、自戒のような、反省のような内容が多かったと思う。
放送は毎回、ディスプレイに映し出された彼の言葉をクローズアップして終わる。
まだ幼かった私にはわからなかったのだけれど、母がしきりに、ドギーの日記の英語を褒めていたことを覚えている。
とてもシンプルでわかりやすい言葉で綴っていると。
天才少年の言葉は意外に、とても素直でストレートだったらしい。
すこしは英語がわかるようになった今、あらためて観てみたいと思うけれど、残念ながらまだ叶ってはいない。
こんなふうに画面に向かって文章を書いていると、そんなことを思い出した。
自分のためだけに記す言葉。
誰かに届けたい言葉。
どんなふうに表すかはその時々で異なるけれど。
シンプルな言葉はいいなと思う。
難しい言葉も皮を剥いてみると、案外飲み込みやすくなる。
その剥き加減は、書き手にかかっている。
分厚い皮を被った言葉は、読まれることすら避けられたり。
かといって、大切なところを剥きすぎては伝わらない。
言葉を楽しむために、言葉のいちばん美味しいところを残せるようにしたい。