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他人の目を気にして生きてきた私が「本当の私」を見つけて詩人になってみました(後編)

自分が何かを表現したり、生み出したりするなんて、夢にも思わなかった。いや、夢に見すぎて「自分には遠く及ばない、叶わない夢」と扉を閉めていた。
そんな私が「書いてもいい」と自分に許せたら、世界が変わった。


あたたかいホーム

個展といっても、会場のようなところではなくコーチのお家を使わせていただいた。
(コーチはホムパオタクで、月に何回も開催している。人の出入りの多いお家なのだが、清潔感があって柔らかい色合いのインテリアが素敵なお家)

お家に向かう電車の中で、私は静かに緊張していた。
鼓動が速い。しっかり歩けてはいるが、足元はふわふわしていた。
「本当に大丈夫なのか…?」
「どんな顔で、どんなテンションでこの詩を飾ればいいんだ」
自分らしく、書きたいことを書くと決めたものの、私の中にある世界を晒しても大丈夫なのかという不安は付き纏っていた。
傷つくことを恐れてずっとひた隠しにしていた私の内側。
穿った見方をしてきた人生が反映されているいびつなものや、独りよがりの気持ちや体験を書いたもの。
できることなら、展示をしたあとはどこかに隠れてしまいたい。
詩を読んだ人たちの顔を見るのが怖い。だけど、私が逃げていてはわざわざ足を運んでくれた人たちに失礼だ。なにより感謝は直接伝えたい。

そんなことを考えながら歩く。少しずつコーチのお家が近づいてくる。

「ああー。もう、なるようになれ」
今さらうだうだしても仕方ない。
ここに来る人たちの中に、面と向かって否定するような人はいない。むしろ、応援してくれる人たちばかりだということは、体感として知っていた。
頭では怖がっているけれど、心はどこか穏やかだった。
安心できる人と場所。それがあるから、このお家で開催しようと思ったのだ。

いざ本番

コーチのお宅は2階がリビングになっていて、そこをメインに詩を展示した。2階に上がってくる階段のスペースもお借りして、階段の下からストーリーが始まるような流れに仕立てた。(どこから見ても自由なのでそこはあまり主張はしなかった)

詩だけでは素っ気ないだろう、と思い写真も飾った。
私が今までスマホで撮ったものを現像して、詩と共に壁一面に貼り付けた。

普段聴いている音楽を流したり、お香を焚いたり、空間演出も少しさせて頂いた。

何が正解か分からない…
けど、とりあえずはやってみたいことをやってみよう、という小さなチャレンジ。
頭で考えることも大事だけど、実際にやってみないと結果は分からない。

そうこうしているうちに来場時間となりゲストたちが訪れてくれた。


ゲストは私と同じあるコミュニティに属している、いわば仲間たちが大半。
それぞれ、自分のペースで作品を見たり、ゲスト同士でおしゃべりしたりもしていた。
その様子を素知らぬ顔をしながら、そわそわと落ち着かない気分で観察する私。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう…」
居心地の悪さをごまかしたくて適当に作業するふりなどしていた。


初めて晒す私の弱くてもろくて歪んだ内面。それを嘲笑する人などいないのはわかっていても………

写真も散りばめてみる

居た堪れない気分に苛まれていると
「いろんな志穂さんがいますね」
とコーチが話しかけてくれた。
「ひとりきりの志穂さんもいれば、誰かと一緒にいたい志穂さんもいて、恋してる志穂さんもいる」
ずばり言い当てられた。鋭い感性の持ち主である彼女の目には、私が強く感じていた孤独や欲求や願いがそんなにはっきりと映るのだろうか。驚きと好奇心で嬉しくなった。
ともすれば素通りしてしまいそうな小さな感情のさざ波や、声にならない声。そういったものを敏感に感じ取る彼女の感受性の高さに救われてきたな、と思う。今回だって、きゅーっと縮んでしまっている私の心に寄り添ってほぐしてくれた。


「この詩を書いたときって、どういう感じだったんですか?」
と話しかけてくれたのは、コーチのご主人。
「僕は視覚優位で、言葉よりは絵とかビジョンとかでイメージが湧いてくる。だから、この詩のこの言葉がどういう感じなのか知りたくて」
と質問してくれた。ほかにも「フォントとかもこだわりがあったんですか?」「文字のサイズが違うのは?」「文章量もそれぞれ違う」「配置を真ん中にしてるものがあるのはどうして?」などなど。
言葉や文章の意味自体にしかこだわっていなかった私はその視点に驚いた。質問の中で唯一明確な答えがあったのは「フォント」に関してだけで、あとは「なんとなく気分」と「私の性格が大雑把」というだけだった。
ご主人は絵を描かれる。たくさんの色を使って描かれる鮮やかで緻密で抽象的な絵を見たとき「どんな世界が広がっているんだろう」と興味が湧いたのを思い出した。
みたりきいたり、感じている世界はこんなにも違う。
同じ世界なのに、人の数だけ違う世界がある。
そんな当たり前のことをついつい置いてけぼりにしてしまう。
誰かを理解できないとき、そういう当たり前のことを忘れてしまっているのかもしれない。
人は「理解できないもの」「よく分からないもの」を畏怖するらしい。そうして敬遠してしまうと、そのまま理解が進まない。
人間関係での摩擦を避けるため、「合わないな」と思った人とは愛想笑いで距離を取っていた私。そんな表面的な応急処置より「違う意見を持つ人へのほんの少しの興味や好奇心」が私の世界を救うのかもしれない。

ご主人の描いた絵

「私、この詩とこの詩が好きです」
「僕はこの詩がいいなと思いました」
そう伝えてくれたのはコミュニティーメンバーのMちゃんと、Sちゃん。

Mちゃんは和歌山にある昔から続くお米屋さんの娘さんで、料理が大好き。管理栄養士の資格も持っており、それを活かして東京で就職したが、毎日大量に出る食料廃棄に心を痛めていた。

フードロスや食の循環について学び発信している彼女の行動力は目を見張るものがあった。たくさんの本を読み、さまざまイベントに積極的に参加し、オンラインやラジオを通して活発に発信していた。そのエネルギー感やフットワークの軽さはきらきらとまぶしくて、私の中に燻っていた「表現してみたい」という欲求を浮き彫りにした。Mちゃんほどの思い切りの良さや発信力は私にはないけれど、だからといって「やらない理由」にはならない。
羨んでばかりでは、私の願いは満たせない。私が行動することでしか世界は変わらない。「いつまで自分の人生に受け身でいるんだ」と私の中に反響した声。
Mちゃんがお手本として道を示してくれていた。

Sちゃんは物静かで控えめな印象のあるメンバー。
だけど本当は人が好きで、お話するのも好きで、観察力と洞察力に長けている。知り合ってまだ4ヶ月ほどだった今年の10月に彼から「志穂さんは明るくなったと思います」と言われ度肝を抜かれた。今までの人生で私を明るいと形容した人はいない。
おそらくコミュニティーに入ってからの変化だろうとは思うが、自分でも気づかなかった微細な変化を捉えてくれたSちゃん。
嬉しいような、恥ずかしいような、複雑で温かい感情をもたらしてくれたSちゃんの世界に興味があった。
「僕も普段は頭の中の思考とか、色々書き出したりしてます」
普段多くを語らない彼の内側を見てみたい。私の詩を静かに淡々と眺めてくれていたSちゃんに「もし何か感じるものがあったら、書いてみてほしい」とお願いした。
考えながらSちゃんはペンを取ってくれた。
どんな言葉が出てくるんだろう、とわくわくしながら待った。

Sちゃんが描いてくれた言葉

優しくて、普段見落としがちだけど、とても大事なもの。
人として、なくてはならない根源的なもの。
繊細で、輪郭がぼやけてしまいやすい柔らかいものを掬い上げて言葉にしてくれた。
「まだ、あります。表現しきれてないです」と言ってくれたSちゃんの深い世界を見てみたいと思った。

個展のありかた

あまりアートに触れる機会がなかったのでなんとも言えないが、個展というのは好きな時間にやってきて、アートに触れてそのまま帰っていくのが普通だと思っていた。
しかし、今回初となる私の個展は様相が違った。会場をコーチ宅にしたのと、集まったのがコーチのお知り合いやコミュニティーメンバーだったのもあったのだろう。
みんなの滞在時間が長い。
Mちゃんのお土産の柿やコーチが差し入れてくれたシフォンケーキ、ふかし芋まで振る舞われていた。
最後にやってきたコミュティーメンバーのIさんを出迎えるとき、私はふかし芋をおいしく頬張っていた。
Iさんにも来場早々お芋が振る舞われ、「自由だなぁ〜個展ってこんな感じなんだっけ?」と可笑しくて楽しかった。
「個展とはこういうもの」という枠に捉われない、その人やその場、環境に合った在り方が好きだ。

もう一つ特徴的だったのが、絵を描くスペースが設けられたこと。「詩を読んで感じたことを絵にしてもらおう」というコーチの発案だった。

「絵なんて描けない」と言っていたIさんが熱心に画用紙に向かっていたのが印象的だった。
後日、そのときのことを話してくれた。
「ある詩から得たイメージで描いてみたんです。相反するものが同居するのが好きでそれを表現してみた」という絵は赤やオレンジがメインとなる部分と、青や紫で描かれた部分とがあった。「だけどなんだか物足りなくて…。ピンクを足してみたらしっくりきた」
確かに、論理的で端的な印象のあるIさんに、ピンクのイメージはなかった。それまで「自分になかった」と思われていたもの。「ないとしていたもの」を発見して含んでいく。そしたら意外と収まりがいい。それが意外と心地よい。

みんなが描いてくれた絵

Iさんだけでなく、MちゃんもSちゃんもコーチも絵を描いてくれていた。
私の詩に感想をくれるのはもちろん嬉しい。だけど「感じたことを、自分自身の形で表現してくれる」その行為や思いがとても尊いものに感じられた。
何かを生み出すエネルギーが充満して熱を帯びる。臆さず自分の感じたこと、いわば内面を表現すること。その行為が愛しくて、ありがたい。
場に貯まるエネルギーや熱に充てられて、私の世界はぱんぱんに膨張していた。思考停止状態。
この手に抱えきれないほど、多くのものを与えられている。
生かされている。恵まれている。
そんな、代えがたく貴重な体験だった。



本文に度々登場する「コミュニティーメンバー」。前に進むエネルギー、表現する勇気と喜びを与えてくれた彼らに出会えたおかげで、私らしい私を見つけて扉を開くことが出来たと思う。
そのコミュニティーの詳細についてはこちら⇩

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