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あの日の未来は今、想像と違うけれど

12歳の時に小学校の行事で埋めたタイムカプセルを30歳の時に開封しました。そこには30歳の自分に宛てた手紙も入っていたのですが、これが……まったく可愛げがなかった。

12歳の私は30歳の自分を
大学をとりあえず卒業して、
松山に住んでいて、
保母さんになっていて、
結婚していて、
子どもは1人、たぶん女の子でしょ、と想像していました。

12歳にしては謙虚というか堅実というか、我ながら可愛げが足りない。もう少し夢のある未来図を描けなかったものか……。保母さんという職業がかろうじて可愛らしいくらいで、子どもが女の子という予測も、女の子の親になりたいからというより、祖母の代から女の子ばかり生まれる家系であることを考慮した結果に過ぎませんでした。

では、現実の30歳の私はどうなっていたかというと、
大学をとりあえず卒業して、
松山に住んでいて、
保母さんにはなっていなくて、
結婚していなくて、
子どももいない、という状況でした。
堅実な12歳の私が控えめに想像した以上に地味。12歳の私もビックリでしょう。

そんな30歳の私が想像していた未来は、
松山で、
結婚しないで(したくない)
子どもを産むこともなく(特に欲しくない)
一生を過ごす(元気で長生きしたい)でした。

とにかく結婚はしたくなかったのです。なのに、なぜか見合い話が次々とくる。まともにやりとりするのも面倒なので「うちは婿養子で同居じゃないとダメなんで!」と嘘をついて断っていました。

それなのに、その10年後、40歳の私は、
名古屋に住んでいて、
ネット婚したオットと仲睦まじく、
4歳のムスメを親バカ全開で育てていました。
想像した未来と全然違いました。12歳の私も30歳の私もビックリ仰天でしょう。母方の家系の女系っぷりも引き続きすごい。従姉妹の子ども達も圧倒的に女子です。

その頃には「人生なにが起きるか分からない」と思っていた40歳の私ですが、それでも、その時点で想像していた未来は、
名古屋で子育てを終えて、
老後は夫婦で松山に住む、でした。
相変わらず堅実な人生を想像していたのです。

しかし10年後、50歳の私は、
ニュージーランドで、オットとムスメと3人で、7年も暮らしていて、
でも、1年以内には松山へ帰ることを決めていました。
堅実な人生を歩むんじゃなかったんかい!
12歳と30歳と40歳の私から突っ込まれそうです。

……とまあ、未来というのはこのように、堅実に想像していても、良くも悪くも想像通りにはならないものなんですね。
良かれと思ってした決断に後で苦しむことになったり、渋々選んだ道が思いもよらない幸運に繋がったりする。その繰り返しです。
人間万事塞翁が馬。
中学校で習った故事成語が、半世紀生きてきた今、心に突き刺さります。

でも、結果オーライになるためには時間がかかるんですよね。だから、諦めずに生き続けるしかないなあと思うのです。Keep going!

ちなみに今、私は松山の私の実家でサザエさん的な同居をしています。オットは婿養子ではないけれど、同居は実現してしまいました。口から出まかせだったのになあ。











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