星降る夜行列車
移動は旅の醍醐味だ。
過去の旅の移動の中で、印象に残っているものがある。
それが、タイの夜行列車だ。
自分が利用したのは、タイ北部のチェンマイからアユタヤを結ぶ夜行列車。
この夜行列車を使い、チェンマイからアユタヤへ、バンコクへと移動し、タイ縦断したのだ。
当時のことを振り返りながら、全三回に渡ったタイの旅の記事を締めくくりたいと思う。
以前のタイの記事はこちら。
タイの旅1
タイの旅2
夜行列車
チェンマイでの観光を終え、ギリギリで夜行列車に乗り込んだのが前回までのお話。
今思い出してもアドレナリンが出る。
今回の記事はその続きだ。
タイの夜行列車は一体どのようなものなのか。事前情報も一切なしに乗り込んでみた。
列車に乗り込むと、想像以上に快適だったことを覚えている。
どうやら最初にパイナップルや他の果物を手にしたようだ。
それが配られたものだったのか、買ったものだったのかは今となってはわからない。
とにかくその甘さと瑞々しさが旅の始まりにぴったりだったことを覚えている。
タイの素朴な風景を眺めながら、列車は快調に進んでいく。
途中いくつかの駅で停車し、その度に大きな声で物売りの人たちがフルーツなどを売り歩く。
そうした活気あふれるやり取りが、旅に生命力を添えてくれる。
列車が再び走り出す。
心地よい揺れに身を任せながら、田園風景をぼんやりと眺める。
座席は広々として快適で、夜になるとその座席がそのまま寝床へと変わる。
スタッフがベッドメイキングをしてくれたような気がする。それか自分でベットメイキングをしたか。もはや覚えていない。
列車が南へ走るにつれ、空がだんだんと濃紺に染まり、最後には星空が輝く夜へと変わっていく。
何も言わず、ただひたすらに列車の揺れに身を任せる。横になりながら、窓から星空を眺める。今でも記憶に強く刻み込まれている瞬間だ。
なぜそれほど記憶に刻まれたのかはわからない。
どうしようもない静かさと、誰にも干渉されない自由と、これぞ旅だと言わんばかりの風景が感情を強く動かしたのだろう。
そして気づけば、いつの間にか夢の中へと誘われていた。
アユタヤの朝
早朝4時、夜行列車は目的地に到着。
静まり返る駅前には、まだ日の出前の薄暗い空気が漂い、わずかな人影だけが動いていた。
小腹を満たすために見つけ出した屋台では、タイらしい軽食を手にすることができた。
その後は原付バイクを借り、人影もまばらなアユタヤの朝を走り抜ける。
いくつかの寺院を早速見学したのだが、早朝だったため誰もいない入り口を通り過ぎ、後にその場所が有料であることに気づいた。
立ち去る前にしっかりと入館料を支払ったのだが、危うくキセル観光になるところだった。。。
ここアユタヤは14世紀から18世紀までタイの首都として栄え、戦争と信仰の歴史を今に伝える場所だ。
巨大な仏像や崩れた遺跡の数々が、どれだけ時を経ても変わらぬ存在感を放っている。
ちなみに、アユタヤの仏像には首がないものがあったりする。
その理由は、18世紀後半にビルマ(現在のミャンマー)の軍隊がアユタヤ王朝を侵略し、破壊したことに起因するからだそうだ。
一部は宗教的、文化的象徴への冒涜の意味も含まれていたと言われているようで、その結果、現在のアユタヤには首のない仏像が残されているのだ。
街には他にも象に乗れるサービスや南国らしいカフェが立ち並び、観光客たちの笑顔があふれる。
楽しそうに象に乗る観光客たちを横目に、「自分は道端で草に出会ったんだぞ!いいだろう!」と、少しドヤ顔でそれを眺める。
壮大な遺跡群と東南アジア特有のエネルギッシュな雰囲気が、ここにしかない特別な空間を作り出しているのだ。
このタイの旅を振り返ってみると、北へ南へとかなりの距離を移動したことがわかる。
こうした移動が多く、若干やんちゃな旅の行程は、元気で怖いもの知らずの時期にしかできないかもしれない。
一期一会
タイの旅もいよいよ大詰めだ。アユタヤから再度電車に乗り、首都バンコクを目指す。
途中、なぜか線路を歩いてる人たちを目撃したが、こうしたカオスな出来事こそ旅の面白さであり、こうした瞬間に出会えるたびに思わずにやけてしまう。
旅の最後は念願のバンコクの王宮を訪れることができた。
黄金に輝く仏塔、美しい装飾が施された建築の数々はまさに圧巻。
王宮には、言葉では表現しきれない壮麗さが広がっていた。
王宮の一部に撮影禁止の場所があったのだが、そこも言葉にならないほど美しかったので、機会があればぜひ行ってみて欲しい。
加えて、滞在最終日の夜、ネットで知り合った現地の方が、忙しい中パッタイを一緒に食べるためだけに時間を作ってくれた。
忙しいのになぜ会ってくれたのかと理由を尋ねると、彼は「一期一会」という日本語が好きで、大切な行動指針にしているのだと語ってくれた。
「またいつ会えるかわからない人との出会いを大切にしたい」
彼の言葉は今でも胸に残る。
そして、人との出会いだけでなく、旅先の景色や体験もまた一期一会なのだと気づかされる。
今この瞬間にしか見られない景色、得られない感情こそが、旅の最も価値あるお土産なのかもしれない。
道端の象、列車の揺れ、星空のきらめき、壊れた仏像に感じたもの寂しさ、美しい王宮に対する感動。そして出会った人々との温かな交流。
それらすべてがその時限りだ。
いつまた同じような経験をするかわからない。いつまた来るかもわからない。
おそらく一生来ない場所、しない経験、会わない人の方が多いはずだ。
でも、だからこそ、その時限りの瞬間瞬間を味わい尽くすことが大切なのだと思う。
シンプルで奥深いパッタイを味わいながら、そんなことを考える。
タイの旅はパッタイで始まり、パッタイで幕を閉じた。
お腹もイッパイ、思い出もイッパイだ。
そして、きっと今も誰かがタイの列車に揺られ、自分だけの一期一会を感じていることだろう。
タイの夜行列車は、誰かの思い出を乗せて今日も走るのだ。
※記事内の画像は全て筆者が撮影したものか、生成AIで生成しています。