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カットライターになる前の話【私の話してもよいですか?】

八雲で感じたことを書く前に、というか、同時に、私のことをお話します。
色々書きだしてみたけど、ここがないと繋がらないし、何だか知ってほしい気持ちになったので、聞いてください。読んでください。

私は、2020年12月30日まで地元の丹波篠山の美容室に勤めておりました。
正社員として、毎朝8時~22時頃まで仕事とレッスンの日々。大変じゃないこともなかったけど、仕事はめちゃくちゃ楽しかったし、大好きでした。
間違いなく、美容師が天職だと思えるくらい!


バリ島の孤児院でのチャリティカット
忘れられない経験だったなあ

でも、今、美容室を離れて時間ができて思うのは、そう思わないとやっていけなかったからかも。
一人前になることだけを目標に、それだけを信じてやるしかなかったのかも。

私は4人兄弟です。兄2人と、5歳離れた弟が一人。こーへいと言います。

(テキトーすぎる似顔絵)

私が専門学校に入学して3か月後、18歳の7月、弟が亡くなりました。中2でした。

1時間前まで私と話していたのに。
2階の部屋から聞こえてくる母親の悲鳴も、倒れてる弟の顔も、119を押した電話の感触も、電話口で自分が何を言ったかも、救急車の中の様子も何もかも全部覚えてます。
パニックになった母を見て、『私がしっかりしないと…!』と必死だったからかなあ。
病院に行くのに残り20%のケータイの充電器持って行って、病院の廊下で充電しながら父親に連絡したなあ。うん、なかなか冷静。

そこから星宗家は暗黒期です。
何をしても弟を思い出す。
冷やし中華作りながら、
こーへいが火傷してコップに水入れて指突っ込んで作ってたなあ。涙。
みたいな。
兄達は家を出ていたので、残っているのは両親と私。
毎日、帰る前に母親にLINEして安否確認してたなあ。
そして、
その年の年末に母親に乳がんが見つかってもうとどめを刺されました。(母の乳がんは完治!)
京都の専門学校から、入院してる兵庫県武庫川の病院まで電車乗り継いで2時間くらいかけて面会時間ギリギリの病院に通ったなあ。
兵庫→京都→大阪→兵庫を、往復。
え、すごいな、私!!!笑

そこから星宗は、「私の頑張りで家を明るくするしかない!私がこの家を救うのよおおお!!」とちょっとした呪いみたいな、ゾーンみたいな、おかしいテンションで美容学校を過ごします。
おかげさまで、2年間皆勤賞!成績優秀賞も頂きました。たいへんよくできました。

その後、京都の美容室に就職しますが、相変わらず星宗ゾーン期間は続きます。
でも、頑張りすぎて折れました。20歳。
そんなに強くはなかったー!
初めての一人暮らしとちょっとパワハラチックな社風にポきっといきました。
一人暮らし期間4か月。
もはや【家出】と呼ばれています。

実家に帰ってきたわたくしは、めちゃくちゃに申し訳ない気持ちでいっぱいです。父母、ごめんなさい。こーへい、ごめんなさい…。
朝起きても布団から出れない。母は心配しながらも、はっきりしない私に怒鳴る。それでも動けないわたくし。めっちゃ太ったなあ、あの頃。

それから1カ月後、ご縁あって地元で美容師生活をスタートさせることになります。
弟の命日、7月1日でした。
これも今思えばすごいよなあ。

一度心折れている私は、ゾーンにより強く入ります。もうこれは呪い。洗脳。大金かけて美容学校出してもらったんだから!あんなに頑張って卒業したんだから!絶対にスタイリストになってやる!最速で!こーへいとも約束したから!!負けへんでええええ!!!と、並々ならぬ覚悟で入社。
そこからの私は、毎日レッスン。
休日も家でレッスン。
もう、レッスンの鬼。
おかげさまで、歴代アシスタントでは2年という、最速デビューを果たしました。

私にとってこーへいとの別れは間違いなく、頑張る理由であり頑張れる理由でした。
だからこそ、美容師にこだわっていたし、センスないって思っても気づかないように、
何回テストに落ちても、向いてないって他の道にそれることを自分が許さなかったんだなあ、と今では思えます。大人になったわあ。

デビューの時に作ってもらった名刺。
嬉しすぎたなあ!

そんながむしゃら美容師だった私は、いつの間にか今までとは違う感情に気が付きます。考える余裕が生まれたのですね、やっとこさ。
スタイリストになって丸2年経った頃。沸々とじわじわと湧いてきた感情。
同級生たちが25歳になって、仕事も責任が求められる大きいことしだして、親友が地元を離れて、

あれ、私はこのままでいいの?なんで、ずっと篠山にいるの?

自分の理想が形にできるようになって、美容師として満足のいく毎日だったけど、

なんかぬるい…もっと挑戦したいな…いや、何かしないと!!何か始めないと、どんどん居心地よくなるここに甘えちゃう。今、始めないと!!

と、2020年10月、コロナ禍の中、年末の退社が決まりました。(ほんとは3月退社希望が、色々あって年末になっちゃったのです。びっくり!)

弟は2020年夏でちょうど二十歳。そして七回忌を迎える年。コロナでできていなかった法要を秋に行うことになりました。
そしてずっと進んでいなかった彼のお墓を建てることが突然決まった頃でした。

全てが動き出しました。突然に。偶然に。

こーへいが「かほちゃん、いってらっしゃい、もういいんだよ」って背中押してくれた気がしております。
入社したのも命日。退社するのは七回忌。
なんか無理矢理感はあるけど、こーへいが導いてくれてるような気がしてます。
いつの間にか、家族のために頑張ってた7年間。
次は、自分のために過ごしていいのかな〜
と、思ってます。
退社は不安だったけど、なんか勇気でた!
きっとこれからいい出会いがある気がする!
きっとこーへいが引き寄せてくれるよね!
これは私の得意の妄想かもやけど。
ありがとう、こーへい!!あ、そんないいお姉ちゃんではなかったか!!ごめんって!笑

大好きなリーブルヘアーのみなさん!

私の美容師人生は、弟との別れから始まりました。7年経って、こうやって話せるようになったし、あの別れがあったから2年でスタイリストになれたし、5年である程度までできるようになった!これは美容業界では早い方です。
この別れは間違いなくあってよかったことではないけど、、、全部の出来事が自分の一部だし、、うまく言えないけど、この出来事が私を作り上げてきた大部分であることは間違いない!うんうん。うん(言い聞かせ)

そんなタイミングで訪れた八雲は本当に刺激的でしたあ、、、
5年間で身につけた美容師スキルがこんな場面で役に立つなんて…
当たり前だと思ってたことは美容業界以外では特技になることも知れました。
たくさんの人に会う楽しさ、面白さを知りました。
弟の話もできました。

もっと自分の可能性を肯定してあげたいし、広げねば、という気持ちでいっぱいであります。

この八雲で、美容師第二章を始めさせてもらいました。というか、星宗果歩第二章ですよ、もはや。
絶対忘れない、これからもずっと繋がりを持ちたい、大切な場所です。もう故郷。実家。
こんな私を受け入れてくださった八雲の皆さんには感謝してもしきれない…!
本当に、ありがとうございました。


、、実はこんな風に思っておりました。ただ楽しかっただけの場所じゃないんですよん。
お恥ずかし。面と向かっては言えません。照。

ほんとに、色んなことさせてもらった〜!

なんか長くなって不安募りまくってるので、星宗物語を終わります。
まとまらないお話、聞いてくれて、読んでくれてありがとうございました!

星宗、第二章始めさせていただいてます。

大好きな篠山の桜はほぼ散っておりました。残念、、、。

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