脚本製作中リアルタイムメモ(14)

設定レビュー続き

脚本は基礎だから槌で叩いても壊れないような堅牢性が必要となる。
アイデアとして平安時代とのリンクを選ぶのは良いが、
逆に必然性はあるのか?という問いにどう答えるか。

平安時代そのまま、もしくは現代劇ではいかんのか?
平安時代リンクしなくてはならない理由が欲しい。

現代劇だと発想が飛ばない、というのは、まあ作り手の理由だ。
リンクすると、イマジネーションが膨らむから、という理由ならアリだろう。 とすれば、リアルな芝居ではなくイマジナリな要素を求める
芝居でなくてはならない。 現代劇だと凄惨になって生徒が
付いてこない、というのは、まあ現実ではあるが、逆に平安時代より
現代劇の方がリアリティがある、と言われればそうだ。

しかし、現代劇だとしても凄惨なシーンや性的なシーンは
高校生活とは別物だから、同時代としても高校生活からは遠い訳だ。
そういう意味でどちらも遠いから平安時代を選択しても悪くはない。

しかし悪くはないだけでは不足で絶対的に必要でなくてはならない。
難しいな。 
平安時代とリンクする理由。 学生に必然性は全くない。
だが、現代だと近すぎてわからなくなっている、という事はあるかも
しれない。 わざと時代を変えて、相違点と共通点を表現する事で
共通点をあらわにする。 そして、良くしらない平安時代という設定で
物事を単純化し、根本のテーマを浮き出しやすくする、という理由が
見えると良い気がしてきた。

つまり、山に登るのと同じ。
自分のいる場所を遠くから高い位置で見返すと、小さな差異は隠れて
大きな根本的な物が見えて来る。
そういう意味で、時代を変える意味が出て来る。

なんか言い訳が立ってきた。