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現代日本と戦時中の日本における社会構造の類似点




皆さん、こんにちは。






この2月で、私は何冊か本を読みました。
どれも読み応えのある本だったのですが、特に自分の中で衝撃を受け、そして考えさせられる本がありました。

今回のブログは、その本を読んで自分なりに考えたことを書いていこうと思います。




その本というのは、先日のブログ『知ることの「恐怖」』にて紹介させて頂いた本です。
そのブログ内で簡単に概要はお話しさせて頂きましたが、ここでも簡単にお話しさせて頂くと、
その本は、筆者の視点から見て、世の明るみに出ていない現代日本の真実を述べていく、といった内容でした。

先日のブログの中では、これ以上深掘りはしなかったのですが、今回は私の中で特に考えさせられた事柄について、いくつか書いていこうと思います。
以下、その内容について触れていきます。




初めに、現代の日本は周知の通り、少子高齢社会に突入しています。医療の発達から高齢者の人口は増加し、逆に若者の人口は段々と減少していっています。


現在、国の政治は民主主義に沿った選挙で当選した政治家によって動かされています。したがって、政治家たちが立候補して当選するためには、選挙権の大多数を占める高齢者を考慮した政策を立案しなければなりません。(若者の票をいくら集めても、過半数以上を占める高齢者に票を入れてもらえなければ当選できないので)

高齢者にとっては良い政策になるかもしれませんが、その政策を成立させるために根底で支えていくのは、労働人口となる高齢者以下の人たち、ここでは若者が中心になります。

働けなくなっている高齢者中心の政策が国の政治に組み込まれる、その政治を支えていくのはこれからの未来の日本を担う若者たちだということです。

若者たちの負担が、これから先どんどん大きくなることは自明のことだと言えるでしょう。(国民年金問題が、良い例なのではないでしょうか)

そして、この本で私が最も衝撃を受けた内容として「上級国民」という事柄があります。

上級国民を簡単に説明すると、経済的・政治的地位の高い少数の人間を指し、国のトップないしは経済界・政界のトップ、もしくはそこに近しい人間のことを指します。
上級国民は、もちろん限られた人間であり、かなりの権力・力を持っています。
さらに、そういった人たちの大半が若者ではなく、高齢者もしくは高齢者に近々なるであろう人たちである可能性が高いです。

上級国民の人たちは、お互いが利益を生み出し、それをお互いが守り合うようにしているので、自分たち自身はリスクを一切負わず、代わりにリスクを負い、相対的に貧しくなっていくのは大多数の「一般人」になっていき、日本国内の経済的格差はますます広がる一方になる可能性が高いです。

さらに、少子高齢社会と相まって上級国民たちも高齢者の恩恵を受ける立場になっているので、高齢者そして自分たち上級国民にとって都合の良いように日本を動かしいていくことに力を使い、保身に走り、「日本」という国全体が良くなるような政策自体を避けるようになる傾向になると思われます。(日本全体が良くなるようにするためには、高齢者含め自分たち上級国民が恩恵を受けず、働いて経済を支える若者中心の政策を採用しなければならないので、上級国民にとっては不利益を被る結果になる)


したがって、このまま状態が続けば、これからの日本を担う若者たちが膨れ上がる負担に押し潰され、競争力が衰え、経済的に立ち行かなくなり、日本が貧乏で不幸な国になってしまう、
そのように私は考えています。






このように考えていた時、私はこの現代日本の状況は何かに似ているような感じがしました。


それは何か…
それは、太平洋戦争中の日本の社会構造、特に日本軍部の構造でした。



私は、太平洋戦争中の特攻隊(戦闘機が敵の船に直接体当たりして自爆攻撃する、という作戦を実行した戦闘機部隊)をテーマにしたある小説が好きなのですが、これからその本の内容をもとに類似点を書いていこうと思います。



日本が敗戦国になったことは、ご存知だと思いますが、その敗戦の原因には軍部のトップ・司令部、そして現場にほとんど出ることのなかった人たちの作戦内容・判断などといったものが挙げられます。

軍の司令部は、現場兵を軽んじて戦略も曖昧な無謀な作戦を立て続け、ことごとく各地で敗戦を積み上げ続けました。
しかし、その敗戦の責任を取らされるのは、最終的に現場にいて、その作戦に忠実に従い戦った人たちでした。
(日本軍というのは、完全な縦社会で、上官(司令部)の決めたことは絶対です。作戦自体を立てたのは司令部であり、現場に出て実際に戦った人ではないのに、司令部にいた人たちは責任を取らされていません)

さらに、太平洋戦争末期に軍の司令部は、特攻隊という何も勝算のない無謀な自爆作戦を立案し実行させ、何人もの現場兵士をただいたずらに死なせる結果を生み出し続けました。
それにも関わらず、軍の司令部は何の責任も取らず、戦後、社会復帰を果たし普通に生きていった人たちが何人もいたそうです。

日本軍の司令部は、現場にほとんど出ることがなく、自分たちは安全な場所から作戦を立て現場の兵士に実行させるだけです。
また、当時の日本軍の司令部は一部のエリート層で構成されており、周りの人間との出世争いはかなり熾烈を極めたそうです。
本来であれば、戦争に勝つという目的にために、軍の司令は出されるはずです。しかし、軍の司令部にいた人間は、戦争に勝つためではなく、自分自身の保身を第一に考え、自分の出世や都合に良いことに沿って作戦を立案し実行させていったのです。


結果として、多くの現場兵士を死なせる敗戦を生み出し続け、日本を敗戦国にし、日本に多くの被害をもたらしました。




戦争のない平和な現代日本と戦争中の日本とでは、状況は全く異なります。

しかし、自らの置かれている立場・状況は安泰・安全で、自らにとっては何ら不都合ではない一部の権力・力のある人たちの動向により、
日本という国全体が、経済的にも政治的にも世界に大きく遅れをとり、競争力が落ち、貧乏で不幸な国になってしまうという構造自体に、本質的な変化は見られないのではないでしょうか。

時代は違えど、日本社会の構造の本質は、戦時中の日本社会から変化していないのではないかと、そう思えてならないです。








以上、このブログに書いてきたことは、私が読んだ本とこれまでに蓄えた知識をもとに立てた仮説に過ぎないということをご理解頂きたいです。
読んだ本の裏付けとなる資料や知識に、実際に目を通した訳ではないですし、確たる証拠をいくつも見つけたわけでもありません。

今はまだこれらの仮説が本当なのかどうか調べていこうとしている最中であるということを、最後に付け加えさせて頂きます。










長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂き本当にありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。
(感想・意見等がありましたら是非コメントを送ってください!まだまだ知識不足なので教えて頂けるとありがたいです。)

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