「逃げる」のではない。「No deal」とするのである
NHKラジオを聴いていると、時々「お悩み相談」みたいなコーナーがあります。
子育てから夫婦間のこと、仕事先の人間関係など実に様々なのですが、ラジオに投稿してくるぐらいですから、事態は深刻なものが多いと感じます。
コメンテーターの方も、短時間のうちにある程度明確な回答をしなければならないのですから、そのプレッシャーは相当なものであることは理解できます。
しかし、その回答を聴いていると、毎回のように気になる言い回しがあります。
それは「もうそれは、逃げちゃっていいですよ!」みたいな言い回しです。
近所づきあいや友人関係、職場のつきあいなど、物理的に距離を置くことが可能な場合の相談に対する回答の時にけっこう頻繁に使われる表現です。
確かに宗なのだとは思いますが、相談者は、簡単にそれができないから悩みとして相談してきているのであるから、その表現は「励まし」にはなっても、「解決の糸口」にはなっていない気がします。
その時に私がいつも思うのは、「逃げる」という言葉の表現が、どうしてもネガティブな印象を与
えてしまうと思うのです。
そんなことはあり得ないのですが、もし私がコメンテーターの立場であったとしたら。「逃げる」という言葉ではなく、「ノー・ディール(No Deal)とする」という言葉です。
ノー・ディール(No Deal)とは、「これ以上、取り引きをしない」という積極的、能動的な意志の決定を示します。
これは「7つの習慣」で知られる、故スティーブン・R・コヴィー博士が同
書の中で説明しているマインド・セッティング(考え方・気の持ち方)です。
博士は、こう説明しています。
数日前、ラジオで紹介していたのは、「27歳の女性からの相談で、同居する両親が昔から非常に不仲となって、自分の誕生日には母親と自分だけでケーキを食べてお祝いをし、後で残ったケーキを別室の父親のところへ持っていくという状況に苦しんでいる」といったものでした。
やはりコメンテーターは、「人生は一回きりだし、逃げていいですよ!」みたいな表現でした。
しかし、相談者はそんな風に両親のことを切り替えできないからこそ悩んでいるわけですよね。
ですから、コヴィー博士の言葉を借りるならば、「両親と合意しないことに、合意する=両親という存在とNo-dealという前向きな選択をする」ということを薦めるべきではないかと思うのです。
しかし、No-dealは、縁を切る、関わらなくするという意味ではありません。
相手を照り引き出来る相手とはしないという決定をするということになります。
このケースの場合で言えば、「両親を子どもの立場から見て、何とか仲直りして欲しいと思う対象として見ることをやめ、別個の個人として扱うということです。
つまり、言わば「親あつかい」、「家族あつかい」のような特別扱いを精神的に辞めるということで、これは物理的な距離とはまったく関係が無いことになります。
「逃げる」というニュアンスとは全く違うということになります。
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