#45Mr.Children「Starting Over」僕が一歩踏み出した歌
こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!
今日は題名でも分かるように、人馬交流とは関係ないお話です。ずっと真剣なお話をしていると、読んでいる人も疲れてしまうと思いますので、ブレイク(休憩回)としてただ僕が好きなものや最近感じていることをお話しする回をやっていきます!
もはやお馴染みとなったMr.Childrenの曲紹介をしていきます。今回は比較的新しい曲から選曲しました。映画「バケモノの子」の主題歌であった「Starting Over」という曲です。
僕自身、オリンピックを目指して海外挑戦するか悩んでいた時によく聞いた曲なので本当に思い出深い曲です。さっそくいつものように歌詞から見ていきましょう!
僕がこの歌詞の中で最も好きな部分は、自分の中のモンスターが追い詰められて子猫の様に怯えた目をするところです。ここに、人間の心の中が描かれていると思います。
ここで言うモンスターとは何のことをさしているのでしょう?歌詞の中でも触れられていますが、僕は「恐怖心が生むもの」だと思います。
自分の中の嫌な部分、自分を失いそうになるくらい狂気的な部分というのは、実は純粋な子どもがもつ「恐怖」という感情から湧き上がって狂っていってしまうものなのです。「人間の醜さ、プライド、自分を守る心」というのはどれも恐怖、という感情に支配されて生まれた「バケモノ」なのです。
とはいえ、この恐怖心は「確かに自分を守ってくれていた」のです。自分が傷つかないように自分を守っていたのも事実です。「孤独にならないように、捨てられないように」と自分を守っていたのがこのモンスターなのです。
それを理解した上で、ならその恐怖から逃れ続ける自分を認めてよいのか、というとそうではありません。恐怖に支配されたバケモノをなんとかなだめて暴れないように、最低限押さえておけば良いのでしょうか?
そうではないでしょう。恐怖に支配され、する必要のない回避行動を起こす必要はありません。#42でお話ししたように、過去にこだわってそれを乗り越えないことは自分を不自由にします。
まず、やらなければいけないことは恐怖を見つめ受け入れること。バケモノを正面から見据えて理解することです。それが歌詞の中の「その静かな殺気を感じ取られちまわぬように」という部分にあると思います。
そして、バケモノを撃つのです。「お前はもういいよ、頑張ったね、もう必要ないよ」という恐怖への覚悟がそれを可能にします。この歌詞全体に張り詰めるような覚悟を感じるのはそこにあると思います。
恐怖する自分自身を、傷つく恐怖を避ける自分自身を「怖かったからそう働いているんだ、そして自分を守ってくれていたんだ」と冷静に正しく理解し認めたうえで、少し涙を浮かべるような、それでも決意に漲るような、そんな気持ちで銃の引き金を引いてその自分自身を消す、ということをしていくんだ、というのがこの歌のメッセージだと僕は思います。
「何かが終わりまた何かが始まるんだ」
そんな風に引き金を引いて恐怖を持つ自分を消すことは、自分自身の過去の在り方と決別することでもあります。「自分」というものがなくなってしまうような気がするかもしれません。でもそうではありません。またそこに新しい「自分」はいて、始まっていくのです。
そうやって何度も何度も自分自身を省みながら、覚悟を持って別れを告げてきながら人はまた新しい一歩を踏み出すことができるんだと思います。
僕にとってこの曲は「オリンピックを目指す」ということが恥ずかしい、というバカにされるんじゃないか、という痛みから逃れよう、諦めようとする自分を消して前に進み始めた曲です。なので今まで説明してきたようなメッセージを僕は受け取ったと感じているのかもしれません。
「迷い」が生じたとき、この曲を聞いてください。
明日も一日頑張りましょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?