「ありがとう」とか言えないから
「ありがとう」
「すごいね」
「ステキですね」
僕には言えない言葉だった。
いや、今でも詰まってしまうときもある。
人が何かを達成することはすごいこと。
そう思っていても、どこか斜に構えた態度になってしまっていた。
「やれば誰でもできるよ」
「たまたま上手くいっただけさ」
昔は何かに追われていたような気もする。
僻みっぽくて、あまのじゃくで素直になりきれない。
それがまったく無くなったとは言えないけど、だいぶマシになった。
「今のままでいい」
そんな風に、現状維持を望む自分じゃなくてよかった。
〇
「お金がない」
その言葉は、大学生にとって免罪符のようなものだ。
その言葉で、ある程度の誘いは断れる。
自分のために使うお金も確保できる。
きっと誘った方も、この言葉の意味を察してくれるだろう。
というか、察してくれ。
勝手な期待を胸に抱き、それが叶わなかったとき、不機嫌になる自分がいた。
ただ、そんな日々は、息苦しくもあった。
自分が満足のいく世界の中で生きていくこと、それが正しいかと言われるとそうじゃないから。
もっと色んな世界を見て、感じてから判断するべきだと思った。
"他人を受け入れられる人になること"
自分を少しずつ変えるため、それが大学生活のプチ目標になった。
〇
頭の中にプチ目標を持ち続け、理想を描きつつ、何年かが過ぎた。
1つだけ分かったことがある。
他人は、自分の知らない世界を見せてくれる
海外って、意外と身近なとこだよ。
世の中にはこんな本があるそうだ。
この人、けっこう有名なんだけど知ってる?
他人と深く関わること、それは僕の世界に転換をもたらすことでもあった。
”自分”というのは一人で作るもんじゃない。
他人に影響されて、感化されて、ときには傷ついたりして築くもの。
近道とかは無くて、あるとすれば、色んな人と関わる中で何かを見つけていくことなんだと思う。
単純で、当たり前な答えかもしれない。
だけど、それに気づけなかった自分がいたのもまた事実なのだ。
たくさんのことを悟ったとき、”自分のちっぽけさ”と”人と繋がることの尊さ”が身に染みた。
〇
「ありがとう」
「すごいね」
「ステキですね」
いつからだろう、そんな言葉がふとこぼれるようになったのは。
連続した日常の中で、じわじわとそういう自分へと変わっていったのかもしれない。
まだまだひねくれたとこも多いけど、大きな進歩だと思う。
”他人は敵!”
今振り返れば、昔の自分はそう思っていたのかもしれない。
いや、きっとそう思っていたはず。
僕の当たり前の中にいない彼らを、相対する存在と捉えていたのだろう。
だけど、そうじゃない。
他人には他人の当たり前がある。
それは対立すべきポイントではなくて認め合うものなんだと思う。
そして、認めることが自分のためにもなるはず。
僕は、一人では強くなれないから。
〇
時折、腹が立ってしょうがないことがある。
それは、相手にというより、腹が立っている自分にむけてのものだ。
「人を認められない自分」
「何か求めようとしてる自分」
嫌な自分がむき出しだからだ。
そんなとき、イライラに夢中だから、相手への配慮に欠けてしまう。
「ありがとう」も「すごい」も「ステキ」もすっとばしたくなってしまう。
だけど、そんな感情を無視してでもポジティブなことを言うべき場面がある。
「あれはあれ、これはこれ」
そう思える自分になってみたい。
新たなプチ目標が、僕を駆り立てるのだ。
だからどんな状況でも、あえて一言を絞り出す。
その先の自分に、会ってみたいから。
#エッセイ #大学生#自分#人生哲学#目標#他人#繋がり