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"熱"なんて、ありはしない

「熱い思いを持ってるね」

友達とか知り合いと話してて、たまにそう言われる。
たいていは自分の普段考えてることとか、どうなりたいのかを話した末に出てくる一言らしい。
もちろん、そんな風に形容してもらえるのはうれしいけど、どう返答していいか分からない。
"熱"といわれるほど、高尚な信念を持ってるわけでもないし、覚悟を持っているわけでもない。
だけど、冷めているわけでもない。

「そうですかね」

腑に落ちる表現が見つからない。
だから、毎回、困ったような笑顔であいまいな答えになることも多い。



「なぜnoteを書いてるのか」という疑問に対する答えは時のながれとともに変化している気がする。
もともとは自分の思いを書きつらねる場として選んだ。
だけど、そうやって書いていったり、誰かのnoteを読んだりしていくうちに、気づいていくこともあった。
どうやら自分の考えに"共感"を示してくれる人は数多くいるらしい。
そして、自分が誰かのnoteに共感するときに感じるように、誰かをほっとさせられているかもしれない。
共感はとても心強い。
「自分だけ?」と思っていた感情をうけとめてもらえる場所があると思えるから。
そして、その複雑な思いに名前がついたようで安心する。
誰かにそう思ってもらえるのなら、ただの大学生のnoteであっても続けていく意味はあるような気がする。



僕には"熱"は無い。
情熱とか信念、根性とか度胸、そういった類のものは無い。
「無い」ときっぱり言わないまでも、きっととても少ない。
だけど、ライターくらいの小さな温もりは持っているつもりだ。
誰かを照らすくらいでいいし、周りに火種を分けあたえられるくらいでいい。
それであっても、響くところには響くと思っている。

こんな僕でも、めずらしく熱い思いを抱えることもある。
だけど、そういうときはうまくいかないことが多い。
変に自分に期待したり、空き容量をオーバーしてしまうのだ。
燃料が少なくて、すぐにガス欠してしまうから、ちょっとずつの小出しくらいがちょうどいい。


以前、知り合いから聞いた言葉が、ずっと心にのこっている。

「動機は不純でもいい」

何かをはじめるとき、いつも強い思いが必要なわけではないし、いつも100%正しくなくてもいいのだ。
どんなきっかけであっても、ふらっと気軽に立ち寄ってみて、ダメだったら戻ってければいいし、おもしろそうだったらトボトボ進んでいけばいいと思う。
いつもいつも清水の舞台から飛び降りなくても、人生はわりとうまくいくのかもしれないし。


#エッセイ #大学生#熱#note#人生#価値観



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はやぶさ
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