人と関わるわけ

表裏のある人

生きてるだけで、幸せ。

大学の同級生が、そんなことを思っているとは知らなかった。
だからこそ、妙に心に引っ掛かった。

テレビとかネットでよく聞くような言葉。
昔からの、手垢のついた言葉。

そんな言葉でも、よく知った人に言われると重みが違う。

日常とのギャップは、想像以上のパワーがある。




先日、小学校以来の旧友と飲みに行った。
大学は違うから、会う機会も少ない。

だけど、その分色んな話に花が咲く。
普段のこととか将来のこととか。

昔から、お互い感性は豊かな方だから気が合うのだ。

語り合う中で、彼に尋ねた。

「こっちに来て変ったことは?」

少し考えてから、口を開いた。

「相手の気持ちをよく考えるようになった」

地元にいたときは知り合いが大勢いる。
だけど、関西に来ればほとんどが見知らぬ顔。
初対面の人と話すとき、相手が楽しいと思える話題を提供しているか。
そして、実際に相手が楽しんでいるか。

そんなことを気にするようになったと言う。

お互いもう大学生。
そして、地元を離れて早3年。

新しい土地にやって来て、色んなことを経験する内に、何か変化が起きても不思議ではない。

気づきが無いと、変化は生まれない。
そして気づきは、感性の豊かさの証拠。

きっと、"変化があったこと"こそが、"昔のままだよな?"という暗黙の確認なのだと思う。

「じゃあ、俺が楽しいと思う話題を出してよ」

意地悪そうにそんなことを言ってみた。
友人は、真顔で答えた。


「いや、お前はいい」


思わず苦笑いしてしまった。

これからも、この関係はしばらく続きそうだな。
妙な確信を胸に、酔いを深めていった。



人には、"表裏"がある。

それが悪いことか、と聞かれると返答に困る。
その人にとっては、必要かもしれないからだ。

誰かに見せている"表"。
他の誰かが知っている"裏"。

それを合致させて生きられるほど、僕は強くない。
ある人達が知らない、"裏"の面が存在することで保たれているものだってあるから。


"生きているだけで幸せ"と言う友人の意外な一面。
僕にだけ素っ気ない、旧友の案の定な発言。


他の誰かには、理解されないかもしれない。
だって、そんな場面を見たことがないだろうから。

僕が感じた"あの人"と、誰かが感じた"あの人"。
そこに違いがあるとしたら、それは何だろう。

誰もウソをついたり、ごまかしている訳じゃない。
ただ、ちょうどよいバランスを保つには、"表裏"が必要なだけなのだ。



人を簡単には嫌いになれない。

少しの間、嫌いになることはあるけど、ずっと嫌いなんてことはまだ無い。
たいていは時が解決してくれる。

それは、僕をムッとさせたその人の、ちょっとナイーブな"裏の顔"を知るときが来るからだ。

そのとき、ふと気づく。

僕が嫌いになったのは、"別の顔"だったんだ。

友達がいたから、大切な人がいたから、ちょっぴり見栄を張りたかったから。
あの人と居て、気が緩んでいたから。

気を悪くさせることを言ったのは、その人にとって必要な、別の顔を見せていたときかもしれないのだ。


人の本当の気持ちは、そう簡単には見えない。

複雑な内面を知るたび、そんなことに思いを馳せる。



僕は、人と話すことが好きだ。
特に二人きりで話すこと。

知らなかった面を引き出せたり、普段とは違う景色が見えるから。

そうやっていくと、関わりの中に奥行きが生まれるのだ。

その人には、その人の事情がある。
素直になれない瞬間があったり。
発する言葉に、色んなニュアンスが含まれていたり。

さまざまなものが、浮かび上がってくるのだ。

その人にとって、ちょうど良い世界。
その世界を垣間見ることで、ちょっと寛容になれたりもする。

"まあ、一つの顔だけじゃやってられないよね"

いつも湧きおこる妙な開き直り。
それは、嫌な後味を残さない。




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はやぶさ
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