表裏のある人
生きてるだけで、幸せ。
大学の同級生が、そんなことを思っているとは知らなかった。
だからこそ、妙に心に引っ掛かった。
テレビとかネットでよく聞くような言葉。
昔からの、手垢のついた言葉。
そんな言葉でも、よく知った人に言われると重みが違う。
日常とのギャップは、想像以上のパワーがある。
〇
先日、小学校以来の旧友と飲みに行った。
大学は違うから、会う機会も少ない。
だけど、その分色んな話に花が咲く。
普段のこととか将来のこととか。
昔から、お互い感性は豊かな方だから気が合うのだ。
語り合う中で、彼に尋ねた。
「こっちに来て変ったことは?」
少し考えてから、口を開いた。
「相手の気持ちをよく考えるようになった」
地元にいたときは知り合いが大勢いる。
だけど、関西に来ればほとんどが見知らぬ顔。
初対面の人と話すとき、相手が楽しいと思える話題を提供しているか。
そして、実際に相手が楽しんでいるか。
そんなことを気にするようになったと言う。
お互いもう大学生。
そして、地元を離れて早3年。
新しい土地にやって来て、色んなことを経験する内に、何か変化が起きても不思議ではない。
気づきが無いと、変化は生まれない。
そして気づきは、感性の豊かさの証拠。
きっと、"変化があったこと"こそが、"昔のままだよな?"という暗黙の確認なのだと思う。
「じゃあ、俺が楽しいと思う話題を出してよ」
意地悪そうにそんなことを言ってみた。
友人は、真顔で答えた。
「いや、お前はいい」
思わず苦笑いしてしまった。
これからも、この関係はしばらく続きそうだな。
妙な確信を胸に、酔いを深めていった。
〇
人には、"表裏"がある。
それが悪いことか、と聞かれると返答に困る。
その人にとっては、必要かもしれないからだ。
誰かに見せている"表"。
他の誰かが知っている"裏"。
それを合致させて生きられるほど、僕は強くない。
ある人達が知らない、"裏"の面が存在することで保たれているものだってあるから。
"生きているだけで幸せ"と言う友人の意外な一面。
僕にだけ素っ気ない、旧友の案の定な発言。
他の誰かには、理解されないかもしれない。
だって、そんな場面を見たことがないだろうから。
僕が感じた"あの人"と、誰かが感じた"あの人"。
そこに違いがあるとしたら、それは何だろう。
誰もウソをついたり、ごまかしている訳じゃない。
ただ、ちょうどよいバランスを保つには、"表裏"が必要なだけなのだ。
〇
人を簡単には嫌いになれない。
少しの間、嫌いになることはあるけど、ずっと嫌いなんてことはまだ無い。
たいていは時が解決してくれる。
それは、僕をムッとさせたその人の、ちょっとナイーブな"裏の顔"を知るときが来るからだ。
そのとき、ふと気づく。
僕が嫌いになったのは、"別の顔"だったんだ。
友達がいたから、大切な人がいたから、ちょっぴり見栄を張りたかったから。
あの人と居て、気が緩んでいたから。
気を悪くさせることを言ったのは、その人にとって必要な、別の顔を見せていたときかもしれないのだ。
人の本当の気持ちは、そう簡単には見えない。
複雑な内面を知るたび、そんなことに思いを馳せる。
〇
僕は、人と話すことが好きだ。
特に二人きりで話すこと。
知らなかった面を引き出せたり、普段とは違う景色が見えるから。
そうやっていくと、関わりの中に奥行きが生まれるのだ。
その人には、その人の事情がある。
素直になれない瞬間があったり。
発する言葉に、色んなニュアンスが含まれていたり。
さまざまなものが、浮かび上がってくるのだ。
その人にとって、ちょうど良い世界。
その世界を垣間見ることで、ちょっと寛容になれたりもする。
"まあ、一つの顔だけじゃやってられないよね"
いつも湧きおこる妙な開き直り。
それは、嫌な後味を残さない。