新しい時代で、会いましょう
「新元号、どうなるかな」
発表を間近にして、世間で急上昇中のワードが、ついこぼれた。
深く腰掛けた椅子を、秒針に合わせて小刻みに揺らす僕。
端から見れば、新しい時代にワクワクしているように見えるのかもしれない。
「そんなこと思ってもない…」とも言えない自分がいた。
「“安寧(あんねい)”とか、どう?」
僕の言葉に反応したバイト先の彼。
そこまで悪くない。
きっと色んな人が予想したり、大喜利したりしてきたんだろう。
あるいは、今までの人生を振り返ったりしてきたんだろう。
そういう方向に向かうのは、人の性?
新しい時代へのインターバルともいえるこの時間は特別で、非日常的なものだからかな。
〇
正直なとこ、新元号の発表には興味がなかった。
とてもとても大きな出来事なのは分かっている。
一生に何回かのレベル。
ただ、自分の生活に直結するのか、と考えたとき、そうでもなかったのだ。
それよりも、4/1から始まる朝ドラ「なつぞら」の主題歌を、推しのスピッツが担当することの方がよっぽど大切だと思っていた。
ただ、僕には関係ないや、と思っていても、ずっと無視することは出来ない。
新しい元号は、時代とともに空気そのものを変える。
平成と新しい時代の境目は、とても連続的なものにはなりえない。
その事実を誰もが気づいて、何かに思いを馳せたり、後ろ髪を引かれたりするのだと思う。
誰ともいえぬ存在に肩をトントンと叩かれて、「なんか面白そうなこと始まるらしい」と気づくときが、きっと来る。
それが早いか遅いか、に過ぎない。
そして、僕にもやっとその知らせが届いたというだけなのだ。
〇
平成という時代だけを生きてきた。
特に、少年期が懐かしい。
ほどほどにテクノロジーが進んでいて、ほどほどに懐かしさもある時代だったと思う。
小学生の頃はゲームボーイ、特にポケモンに熱中した。
(今のゲーム機器に比べたら、ほどほどでしょ?)
はじめてなのになつかしい、そんな旅に出会えるの
素敵なキャッチコピーをポケットにしのばせ、“電池切れ”と“親の目”を気にしながら、大いなる旅に出た。
壮大だったはずの世界に飽きたとき、スマホという波が押し寄せた。
「こんな面白いものがあるなんて…」
そう思うほど、飽きがこない代物だ。
もし、小学生のときに手にしていたら…と考えるとちょっと怖い。
“旅”どころの騒ぎではなく、いきなり大海原の大航海だ。
“ほどほどの時代”で幼少期を過ごせてよかった…
そういえば、知り合いが言ってた。
「人は誰でも、自分の過ごした時代を一番良いと感じるんだよ」
きっと次の世代も、その“良さ”を満喫するんだろうな。
ちょっと大人の目線で、同じ時代を過ごしてみるのもいいかも。
(まあ、一番良い時代は僕らの世代だけどね!)
〇
「次、バイト来るのいつ?」
バイト終わりの会話は、いつもそんな感じだ。
「4/2以降なので、元号発表の後になります」
だけど、こんな返しをするのは初めてだ。
ああ、そうなるね、と苦笑い。
イタズラっぽく、彼に追いうちをかけた。
「また、新しい時代で会いましょう」
今度はあからさまに、彼の笑いが大きくなった。
…キマった。
平成に入ってから、3本の指に入るくらいの、カッコいい去り際だった。
バイト先からの帰り道。
差し迫ったざわめきに思いを遣る中、ふと簡単な事実に気づいた。
“改元は、5/1から”
今度は、僕が苦笑いをした。
一気にカッコ悪いベスト3へと陥落。
どうやら僕は、新しい時代の到来を前のめりで待ち構えてるみたいだ。
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