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体が弱れば「昼」を吸い、心が弱れば「夜」を吸う
不肖ホロ9、無職とはいえ曲がりなりにも健康の道を志す者として、日中の散歩はほぼ欠かさずに行っております。
大半の苦痛は散歩で霧散することを知ってからは、万能薬の如くこれに頼る日々です。しかし最近、散歩をしていても今一つ体に力が入って来てくれない感じがありました。
頭の至るところにこびり付いた人工的な強迫観念を振り払う為に。また、肉体に命の焔を取り戻す為に……といった気概で外の世界を沢山歩いておりますが、それでも近頃は灯る火の勢いがどうも頼りなく、当の散歩の最中でさえ、気を抜けばすぐに気分が沈み込んでしまっていたのです。
「十年以上にも及ぶ長期ひきこもり生活で、いよいよこの生命力にも限界が来たのだろうか。そういえば私は元々非常に憶病で、心身共に弱い人間だったから……」なんて弱音も自然に頭を過るほどに。
いっそのことどこまでも暗い世界を求めるような心境になっていたことも確かです。
そこで、ふと私は気付きました。「そういえば最近、夜の散歩を全くしなくなっていたな」と。
「散歩は日光を浴びられる日中に行うのが良い」というのが健康の世界では通説ですし、それに「夜の散歩は睡眠に障るから良くない」という説も聞いておりました。
ただ思い返してみると、昔、夜の散歩をしていた時はやけに晴れやかな、解放された気分になれていたようなのです。昼には無い独特の栄養素を、体、或いは心の領域に取り入れられていたような気もします。
ひきこもりの同志達にも「夜の散歩で気分が良くなる」という話を最近聞いていたこともあり、この際もうダメ元でやってみようという気になりました。
窓越しに見える世界がちゃんと真っ黒になってしまったのを確認してから、久しぶりに暗い玄関をくぐりました。そのまま十秒ばかり外を歩いてみたところで、私はすぐにハッとしました。「足りないのはこれだった」ともう確信したのです。
心に何かエネルギーが注入されてゆくような得も言われぬ感覚が、しかしハッキリと感じられます。日中はふらふらして力の無いぬいぐるみのようだった手足も、中に針金が通ったようにしゃんと張って参りました。ここまで、ほんの一分以内の出来事です。
もうとっくに見飽きていた道も、遠くに並ぶあの億劫なビル群も、日中とはまた違った秘密と奥行きを帯びて、何故か目に新しいのです。
風の感触や、匂いなんかも明らかに違います。「夜の空気」とは決して比喩ではなく実在していたのだと痛感しました。歩きながらそれらを全身で浴びて吸っている内に、私はみるみる元気になってゆきました。
心の方にエネルギーが足りずに弱っていたので、肉体の方まで重く感じられたような気がします。宇宙の暗闇が街に降りてきてくれているお陰で、未来についてをより広々と考えられますし、その静けさを活かし、内省をするにも心のより深い領域にまで達せる感触があるのです。
改めて、「夜」という空間の美しさに驚きました。
体のエネルギーが降り注ぐのが「昼」であり
心のエネルギーが降り注ぐのが「夜」である
よくよく考えてみると、そのような内容を自身でもこれまでに何度か発信しておりました。灯台下暗しとはこのことです。
心と体は表裏一体のものなので、心が弱り過ぎれば体が苦しくなり、体が弱り過ぎれば心まで苦しくなってくるような現象はよく起きます。私の生活には夜の静けさと、あの清々しい夜気がちょうどスッポリと抜け落ちていたのでしょう。
反対に「夜の散歩は十分にやっているが、今一つ元気が出ない」という方は、昼間のあのギラギラとした生命力の照射を受けながら、汗を流してみると効くかも知れません。
当たり前ですが、心と体の両方にきちんとエネルギーを満たす必要があるようです。ただ、単純で当たり前なことこそ忘れてしまいがちなのが高度な思考に時間を割く知的生命体の性というものでもあって、自戒の意味でも改めてここに記しておこうと思います。
体のエネルギーは「昼の世界」から
心のエネルギーは「夜の世界」から
時間の都合で散歩は厳しいという方は、一旦スマホやPCの画面を消して、ベランダや窓からそれぞれの世界と同化する時間を設けてみる。これだけでも全く違うかも知れません。私などは夜間は部屋の電灯を明々と点けていることもあり、すっかり「夜」を喪失していたのでしょう。
昼や夜といった大自然のサイクルは、人の社会や情報、或いはコンテンツのように不安定に生滅する性質のものではなく、太古の時空から送り届けられた不滅の脈動でございます。日常生活の中でそんなに難しい事を行わなずとも、ただこのリズムに乗り、同化するだけで人は一気に力を取り戻せるのではないか。
現にこうしてキーボードを叩く指はいつにもまして軽く、そんな風に感じさせられております。読者の方にとっても何かしらの参考になれましたら幸いです。
ようやく街に降りてきてくれた宇宙の暗黒を胸一杯に吸い込んで、遠目には夜景や星々の高級な光の装飾。
この程よい明度であれば、邪悪な深海魚は活き活きとヒレを広げて、何処までも果てしなく泳いでゆけそうな心地がします。
あらゆる悲観も憂鬱も、遮るほど分厚い光の壁はなく、いずれも最後まで突き抜けて行きますので、宇宙を一周してまた我が心の発信源まで帰ってきます。
すると今度は驚くほど爽やかな香気を帯びて、それは単に忌まれるべき悲観や憂鬱だった姿も懐かしいほどに、心を癒す透明な清水(せいすい)と化しているのです。