34歳ひきこもり、メタバース(cluster)に挑む
その名はcluster
「cluster」という名のメタバースがあります。
メタバースとはつまり仮想現実を楽しむ為のアプリケーションの事で、自室に居ながらにして他者との交流、イベントへの参加ないしは主催、電子アイテムの購買等を、各自がアバターを伴うことによる"臨場感"と共に味わえるものです。
恐らく現在は「VRチャット」が最も有名なメタバースで、clusterに関しては知る人ぞ知るといった扱いになっていることが予想されます。何故ならば、これまでに外部でclusterに関する話題を聞くことがほぼ無かったからです。
久しぶりの仮想世界
人と社会を恐れるひきこもりという身の上もあり、昔から仮想空間とは馴染みの深い人間です。
これまでには、PC向けに展開されていた各ネットゲームに始まり、PS3に初期搭載されていたメタバースの先駆けとも言えるPSHome、それから有名どころのセカンドライフ、VRチャットにも手を出してきています。
clusterについても5年以上前に一度触ったことがありますが、私の記憶が正しければ当時はまだテキストチャット機能が搭載されておらず、文字での交流が行えませんでした。つまり、声を使った交流に限られた、かなり活動的な人間向けと言えるメタバースだったのです。
「初対面の相手とネットでボイスチャットをする」という行為は学生、社会人の皆さんであれば特に深く考えずにやってのけそうではありますが、ひきこもりにとっては聳え立つ山のようなハードル。それで私も、絵柄や機能は好みだったものの、敢え無く断念してしまいました。始まりから終わりまで、インストールした初日の出来事だった筈です。
それから幾年が経ち、現在。今のclusterには「テキストチャット機能が付いている」ことを知人から教えてもらい、「それなら……」ということで、最近はめっきり遠退いていたメタバースに復帰してみることを決めました。
clusterの土を踏む
知人ゼロの状態で始めるメタバースといえば、胸を押しつぶされるほどの不安感があり、ゲームで例えるならば間違いなく"死にゲー"の部類です。
しかも数年前に一度触った時とはUIから内観まで何もかも変化しており、右も左もわからない状態に。
ですが、私くらいのメタバース経験者にもなると、この不安感もまた醍醐味の一つに感じられたりもします。
幸いにも、かつてのメタバースでいただいてきた「自分から話し掛けろ」「むしろ引かれにいけ」という先輩たちからの指南は今もまだ胸の中で生きていたようです。気付けば私は、初期状態の見るからに飾り気のないアバターのまま、ロビー(大量のユーザーたちが会する大広場)を駆け回り、見るからにベテランでお洒落なユーザーさんたちに話し掛けにいっていました。
メタバース慣れによって、「話し掛けられ待ち」のユーザーさんをある程度見分けられるようになっております。具体的にはアバターの服装、立ち位置や挙動、プロフィールに掲載されている文章などから、その人が求めている人間像がわかり、つまり自身が話し掛けた場合の歓迎度が大まかに算出できる気がするのです。
そんな経験を活かし、ギリギリ大丈夫そうに見えるユーザーさんたちに話しかけて回ってみたのですが……
結果はいずれも大敗に終わりました。敵意が無いことを必死に伝えようとキーボードを叩きましたが、どうやっても心を開いてもらえない感覚があったのです。今になって思えば、この時点で何か見落としがあるような、漠然とした違和感がありました。
メニュー画面を眺めている内に、cluster内にはロビー以外にも「ワールド」と呼ばれる様々な景観を持つフィールドがあったことを思い出し、「だったらこっちで」と気を取り直す初期アバター。
しかし、色々なワールドを飛び回ってみたは良いものの、ほとんどが無人の状態。そのうちリアルタイムで人が訪れているワールドが「ホット」というカテゴリで括られていることに気付きます。そして「現在3人が滞在中」と表示されている、適度にホットなワールドを見定めて出発したホロ9。
ところが、入った瞬間「あっ、やってしまった!」と思いました。ひきこもりも優しい薄暗いライティングの、しかも列車内を模したお洒落なワールドだったところまでは良かったのですが、中で談笑している三人の男女アバターを見るに、仲間内で集まったプライベートな憩いの空間だと察せたからです。
しかも厄介なことに入場によって滞在者全員に通知が行く仕組みになっているらしく、私が立ち入ったことにも気付かれてしまいました。「男ホロ9、こうなってしまっては引くにも引けぬ。ひきこもり道とは死ぬことと見付けたり」ということで、思い切って団欒の間に割って入る初期アバター。背水の陣の心持ちで手短に自己紹介を済ませ、ロビーでなかなか相手にしてもらえないこと、どこに行けば良いのかわからないことを打ち明けてみました。
すると「ここは身内の空間なので」と一蹴される……どころか、どの話も親切に聞いてくださって、打開策までご提示いただけた上で、あろうことかフレンド登録までしてくださいました。お三方の心の広さといえば、まさに地獄に仏。一人も知人のおらぬ心細さもあり、筆舌に尽くしがたい感慨があったものです。
中でも「足跡マークを消す」というのがclusterを始めたての頃のコツになってくるようでした。登録したてのアカウントには皆付いているものなのですが、初期に与えられる基本的なミッション(ストアを覗いてみる等)をクリアすることで、これが若葉マークへと変わります。
足跡マークのまま活動しているアカウントは所謂"荒らし"であることが多い為、警戒されてしまう風潮があるそうです。
ミッションといってもclusterの基本機能を確認する程度のもので、いずれもすぐに済みました。初期の服装をしているのも怪しい一因に思えてきたので、とりあえず所持していた服から一番自分好みのものを選んでみました。
仮想空間でさえ、雑誌に載るような一般ファッションに抵抗を覚えてしまう節があり、気が付けば陰キャの王道、黒づくめに(笑)
ただ、これで動いている内にもっと個性が欲しくなって、ゲーム外で配布されているvrmデータからのアバターを導入することに決めました。
年末祭・納涼祭実行委員会氏がBOOTHで無料配布されていたアバターを拝借しました。程よいオカルトっぽさが乙です。
頭の青いリボンは辛うじてのアイデンティティとして、初期アバターに引っ付けていたものを持ち越してみました。
足跡マークが消えたこと、初期アバターを卒業したことにより、周囲の反応は大きく変わった体感があります。例えば、ロビーで立っていると向こうから話し掛けてきてもらえる……なんてありがたいことも起きるように。
あとはnote発信からもわかる通り、発想が逐一世間とズレていたり、絶妙に世間知らずでやらかしてしまうことが多い人間なので、アバターの可愛さが良い緩衝材になってくれそうです(笑)
メタバースの中で起きる心の動き
久しぶりのメタバース(たしか5年以上ぶり)となりましたが、これが昔と変わらない様々な情感を呼び起こしてくれることに驚きました。
過去にメタバースに触れていた際、終盤になるとだいぶ慣れてきて人に囲まれてしまってもへっちゃらになり、ついでに困っていそうな初心者が目に付けば、自発的に案内をすることまである程でした。更に近年はDiscordというコミュニケーションアプリを用いて、初対面の相手との通話を行う……なんて、自分史上では考えられない荒業までやってのけることがあります。
よって、少なくともネットの中では対人恐怖を克服できた気で居りました。しかし、いざclusterのロビーを歩き回ってみると、あちらこちらから人々の談笑が聞こえたり(文字はもちろん音声でも)、アバターという視覚情報がある分で"そこに人が居る"ような独特の緊張感があったりと、現実にも遜色ない人混みの感覚を改めて覚えます。陽気な人々が集うイベント会場に場違いにも紛れ込んでしまった時のような、心がキュッと縮こまって、どこかに隠れたくなる"あの感じ"が確かにあるのです。
とっくに慣れているつもりでしたが、間が空いてしまってまた感覚の鋭敏が戻っているのか、或いは最新のメタバースの表現力によって、もはやハリボテの意気地も通用しない域に来てしまったせいかはわかりません。
一方で、何となく寂しい気分にありながら、誰かとの約束を取り付けるだけの気力と自信が無いような時。遠くから眺める人々の活気が、空いた分の心を程よく満たしてくれる。メタバースにはそんな長所もあります。
「変な時間に起きてしまって眠れない夜。この広場に来ると自分の他にも少しだけ人が居て、みんな無意味に走り回ったり、ぽつぽつと会話をしていたりする。それを見て、ああ、自分以外にも起きている人がいるんだなって安心するな」
昔、他のメタバースで関わっていた同じくひきこもりのフレンドがそんなことを言っていました。それを聞いて私も「なるほど、たしかに」とやけに納得したものです。
最近ではそうした"手頃な他者の気配"の役割はXやインスタグラム等のSNSが中心となって担っている気もしますが、メタバース空間では言語以外にも姿や挙動が見える分のリアリティがありますから、こうした用途に於いて、今なお不動の価値があるように感じられています。
気になる誰かを見付けた時、「話しかけてみたさ」と「自分なんかでは迷惑だろう」と拮抗する心。先輩方の教えに沿って発破を掛けている部分はありますが、私は何年メタバースをやってみても根っこの方ではこの"心の綱引き"が止みません。
なんて、モタモタしている内に相手がどこかへ去ってしまったりして、「次からは、気になった時はすぐに声を掛ける!」と胸に刻んだり。
綱引きされてこそ、わかってくる自分の心や、深まる体感、或いはこれぞ「生きる」ということの真髄なのではないかとも思わされます。
おわりに
メタバースといえば、出会いと別れ、恋愛関係から因縁の宿敵にまで及び、多彩な人間模様。そして良くも悪くもそれぞれの本性が、凝縮された濃度で味わえる空間でもあります。匿名性に保護されたインターネット空間の中で、且つアバターという仮想の身体を伴うことにより、現実世界よりもむしろ各人の本性がさらけ出される部分があるのではないでしょうか?
映画のように、小説のように、人間の心の動きをよりダイナミック(躍動的)に観察できる機会でもある、という風にも感じられております。
「メタバースってそういえばこうだった」「懐かしい」「今でも昔と同じ緊張感がある」「この人、昔のフレンドさんに似ているな」「マズい、自分の趣味嗜好って世間とズレ過ぎている……」「ロビーに居ると、誰かと会話が始まるかも知れない。その期待があるだけで何だか楽しい」「コミュニケーションってやっぱり難しい(原点回帰)」等々、日常には無かった色々な情感が湧き上がって参ります。
そういうわけで、久々のメタバースは過去に没頭していた時代とも遜色ないくらい楽しめているホロ9なのでした。
(余談)メタバースの是非について
現在、「人間生活をアバター化させ、時間と空間の制約を超える」といった旨の目標を日本政府が公に掲げております。
所謂「ムーンショット目標」です。
前衛的かつ甘美な文言を建前に、人民をより貧しく、不自由に陥れるというのが邪悪な"独裁者"の常套手段です。
かつては「グローバル化」をキーワードに各国独自の文化・風習に対する弾圧が加速し、単に西洋列強を心身諸共に狂信する姿勢が強いられ、「女性の社会進出」をキーワードに女性からの労働力の追加搾取、低賃金化、共働きによる少子化が促進され、「官から民へ」をキーワードに郵政民営化が断行、よって長年「憧れの職業」上位に食い込んでいた郵便局員の人気は墜落し、職場環境も悪化しました。
今現在であれば「多様性」や「SDGs」といった聞こえの良い建前によって、民間社会の破壊が推進されている真っ只中でしょうか。
従って、私はこの「ムーンショット目標」についてもあらぬ方向に着地し、民間社会の崩壊をまた一歩推し進めるものになるだろうと邪推しています。表向きに提案されている構想を一通り目にした限りでも、肉体の衰弱、人間精神の弱体化、生きるという行為そのものの軽薄化に繋がってゆくことが容易に想像されたからです。
思い切って言ってしまえば、メタバース、並びにVR、仮想アバターといったコンテンツは、件の「ムーンショット目標」の予行演習としての、大衆向けの意識誘導ではないかとかなり前から疑っております。いまや政府にも並ぶ権力を持った巨大企業であるフェイスブックが、社名を「メタ」に改名し、メタバース事業に尽力を開始したところからも、なんとなく察せるものがあるのではないでしょうか? そもそもフェイスブックといえば、多くの若者を中毒・依存症に陥れた悪名高き「いいね」システムの開発元です。
一方で、メタバースが各人の前提意識によって、「人間生活を消失へと向かわせる為の甘いトラップ」ではなく、「人間生活を深める為の補助器具」として活かすことも可能な気がしています。
例をあげるならば、かつてのフレンドさんはメタバース内の「アバター着せ替えシステム」をきっかけに、現実世界でのファッションにも興味を持ち、自己を着飾ることの価値や、その面白さに気付いたと言っていました。それまでは現実世界での服装に無頓着だったのが、だんだんお洒落になっていったようです。
私の場合では、メタバース内でテキストチャットによる交流を続ける中で、「コミュニケーション」という行為への体感が徐々に深まってゆき、頭ではなく体でコツを会得できたように思っています。何故かと言うと、私はいつしかテキストを超えて音声を使ったやり取りにおいても、おおかたは支障なくこなせるようになっていたからです。
このように、ひきこもりが現実世界へと向かう為の第一歩として、メタバースは大いに活用可能な道具だと踏んでいます。仮に現実世界になどもはや興味を失ってという人であっても、メタバースを用いて他者との精神的な交流を行えることで、完全なる孤立よりも遥かに心が安らぐ生活になる筈。私がかつて勇気を出してメタバースに一歩踏み入れた時の、ただ遠目に人々の気配を感じたり、談笑している話が聞こえていたこと。そんな些細な体験でさえ、誰かの心を救うことがあると思っています。
「メタバースに使われることなく、こちらが主体的に使いこなすこと」
シンプルでありながら、この心構えこそが最も肝腎になってくると思います。
以上、合計でメタバース歴がもう10年には迫ろうかという中毒患者による戯言でした(笑)