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「キチガイ力」


はじめに

独自性、行動力、自己肯定感、意志力、継続する力、生存欲求、反骨心、発信力、疑う力、信じる力、人を頼る勇気、諦めない心、等々……。

現代を生きる上で求められる様々な素養がありますが、これらは大雑把に纏めてしまえば「キチガイ力」なのではないか? 気まぐれにそんな発想が頭に浮かび上がってきたので、まだその輪郭が溶けない内にnoteに記しておこうと思います。

ちなみに、きちがい"か"ではなくきちがい"りょく"です。
「キチガイ化」ではありません(笑)

キチガイが勝つ世界

ともかくビデオゲームであれ金融取引であれ、現代式の社会では「常に勝者は一握りの少数派である」という法則があります。オリンピックであればメダルを手に出来るのは競技に参加した内の上位数%ですし、株やFXでは一般に「参加者の90%が負ける世界」だと言われています。マネーゲームは特に顕著ですが、「集団に同調してメジャーな選択肢を取る者は負ける」という傾向にあります。

私はこれまで自身の学力・教養への強い劣等感もあり、成功者の書く本や発信が目に付けばとにかく好んで手に取ってきましたが、そこでも皆さん口を揃えて「他人と同じになるな」と警鐘されているのを見てきました。

実際、世の成功者と呼ばれる人々のほとんどは「一般人がしないこと」を「一般人がしない分量」で頑なに続けてきた人間達です。その点で、キチガイ(誉め言葉)と表しても差し支えないでしょう。歴史に名を残す発明家たちが極度の狂人だったという類の逸話は一般にもよく知られていますが、程度に差はあれあらゆる成功者がそういった気質を持っているものだと私は考えています。

ついでにある成功者が言うには、本物の成功者は成功のコツを惜しげもなく教えてくれるのだそうです。素人が興味を持って聞きさえすれば、意外にもあっさりと……どころか、中には嬉々として熱心に教授してくれる者も多いのだとか。こういった心理には素人なりにも共感できるところがあります。例えばクリアしたゲームソフトの攻略法などを聞かれた場合、嬉々として教えたくなりますし、私個人について言えばひきこもり初期段階の「重度の無気力や不健康」の脱出法を聞かれた場合など、自分なりのを嬉々として答えるでしょう。このように、既にそこを乗り越えた者にとって、後続の戦場は「過去の地点」として、何の執着も無くなるものなのでしょう。それに、成功者には大きな精神的な余裕があるものです。こういったことから、成功者が口々に言う「他人と同じになるな」という内容の助言についても、素人を蹴落としてやろうという悪意はなく、純粋に善意の金言なのではないかと私には感じられるわけです。

そしてやはり、「他人と同じになるな」というのは相当なキチガイ力が要されてくる行為です。大衆心理としては一人で青信号を渡るよりも、いつだって周りの大勢と一緒に赤信号を渡っていたい……。しかしそれでも実際、人間とは集団の中にあっても個体別にそれぞれの「得意」や「彩り」が必ず起きてきます。たとえ"A"という思想と行動様式の一色に統制された国家が運営されていたとしても、その内から絵が得意な者や数字が得意な者、腕力に秀でた者、高い魔力を有する者など、必ず個性が発生するのです。

つまりこれらの差異の事実を踏まえると、個人にとっての最適解は常に独自であり、「周囲に合わせた妥協的な判断では決してそれを勝ち取れない」という一面が伺えるわけです。

更には教育機関や宗教による統制が無い場合でも必ずこのように個性の分散といった現象が起きてくることからも、人間という種といった根深い次元からそのように設計されていることが伺えます。自然ほど優秀なプログラマーは地球に存在しないので、これも素人の発想ではその真意を掴みがたい、色々と考え抜ぬかれた末のプログラムなのでしょう。

「キチガイ力」とは各個体があるべき個性へと回帰する為の強烈な意思、とも言い換えることが出来そうです。あの誰に教わるでもなく、ただ無心で葉っぱを喰らい、やがて殻に籠って全身を溶かす"自己破壊"に挑む蛹と化し、果てには空間を舞う自在の蝶へ至る芋虫のように。

世界がキチガイだらけになったら…

大衆がそれぞれ固有の「完全体」へと至る時、世の中全体が如何に混沌と化し、同時に統制・独裁不可能の防御力を持つか。各人が独自のプロフェッショナルとして、世の様相はいかに多彩な深みを帯び、結果的に他者への寛容と優しさが普遍的な態度として広まらざるを得なくなるか。このような豊かな混沌の極まる先にこそ真の調和があることは、自然界のあらゆる光景が指し示してくれているものだと私は考えています。反対に、どれか一色にしてしまえば、土地も命も瞬く間に自壊してゆくものだということも。

それでは、この健康的な調和へと至る「キチガイ力」を如何にして人々へ拡散してゆくか? そのためにはまず、私自身が一人の立派なキチガイとして洗練されなければなりません。今はまだ三流のキチガイかぶれに過ぎないので、地道にもっと沢山の葉っぱを食べて、沢山の自己破壊に挑む所存です。

いつ頃からか私を悩ませてくるようになった、早く「自己」へ回帰したいという、もはや慟哭にも近しい郷愁の情に突き動かされながら……。


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