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マウント取りに忙しい「大衆感情」が政治に反映され、幼稚な政治家がイキっている。閉ざされたナルシシズムのためでなく、「他者と共に生きるため」に鏡を覗くこと。

鹿田木さん、このポスト流石にウザすぎて草なんだが・・・

確かにウザいすね・・・
普通さ、「礼」って対人関係における相手への尊重だと一般家庭では親が教えるやろ。

この政治家ほど「躾」がなってない非国民も珍しいよね。

ほんま「日本人」として恥ずかしい。
どうにかならんかね、この国の政治は・・・

・・・さっそくやけど愛国リリックできたわ!
ちょっと聞いてみててね。(突然、ラップを歌い出す鹿田木)

レイシスト風情が 述べる礼儀
三文ノベル 永遠にゼロ
終わってる 日本の選良
GHQ 再占領が必要
7人に1人 子供の貧困
エグい中抜き 政商納言
春はあけぼの 枕のso shit
恥の国だろ 千代八千代
苔のむすまで黙るつもりか
君が世で しじま破れ
ディックフェイスの口を塞げ
出過ぎた真似だろ 杉田水脈

『愛国リリック』作:しかたぎ

お、おう・・・
これ熱込めて歌ったヤツ、YouTubeショートにあげたい所やね。

あとこのポストとかもさ、芯食ってる感ありありなんよ。

まー自分を省みれば、そうだとしか言えんよね。
風景/商品のように、その人の体を鑑賞し、欲望する。

一方的な暴力が潜む予感があり、外部の性差別規範(社会的かつ市場的なもの)が、その一方性を強め、欲望を肯定する。

関係性のない性的な凝視は、非礼で尊重を欠くから視線を外す努力をするけど、その努力が窃視的快楽、倒錯にも転じもする。

社会的に許されない暴力は、家庭あるいは市場で、婚姻や貨幣をもって贖いがなされている。

婚姻届や貨幣が、非人間化を肯定する。人間関係が所有関係に転化される。自分の欲望のあり方を観察してみると、色んな気づきがあって面白いよね。

んだね。
あとコレとかも、まさにって感じなんよね。

「年老いた少年少女たちが玩具箱の世界を作ってる感じ」って・・・

己含め、未熟さと歪んだ自己愛ゆえに自立できない個人の群れが、日本社会のあらゆるレベルを覆っている気がするよね。

存立が危ぶまれるほどの不祥事をさらけ出す最大手の中古車チェーンと損保会社、芸能事務所、そして国政から地方自治に至るまで、この空気は蔓延してる感じだわね・・・

ゆづキッズやウェザーニューズおじ、制服とマスゲームの秋元商法に、若作りの40代が偶像のジャニーズ事務所。

政界では小泉劇場から劣化し続け、アベノステマ、スガのパンケーキ。

うーむ。

エビデンシャルすね・・・

原発事故、東京五輪での汚職、アベノミクス、そしてまたぞろの大阪・関西万博に、IRリゾートという名のカジノ産業。

挙げ出せば切りがない。

これだけズブズブの末期状態、他国を笑っている場合ではないんすわ。

今回のポストの文脈ではないけど、漢籍や古典に親しみ、ドイツ観念論やアングロサクソン近代経済学に通じた老成したゼネラリストを揃えても、

大日本帝国はあの無責任、無能の統治体だったのだから、賢明な社会や政策の妥当性は大人、子供の違いでもない気がするね。

あと西欧を大人、その他を子供とする西欧中心史観は、何度でも相対化するべきやろね。

大人の判断で移民排斥をし、それをリアリズムだと宣い、ガザを国際法の外、ヨーロッパの贖罪の羊にしている現下でもあるからね・・・

特に昨今は、覇権が争われる危機の時代ゆえ、西欧中心史観もだいぶ揺らいできてるよね。

しかし、その西欧の中にさ、自らを省みるような「鏡」を持った人々がいて

「自国の(そして西欧の)振る舞いを正せ」

と訴える人々がたくさん現れていること自体が、本当の強みだとも思うんよ。

それに引き換え、戦前・戦中からこの国の立場主義、ムラ社会至上主義の構えは変化しておらんわね。

鏡をたずさえ、他国ではなく「自国の振る舞いを映せ」と訴える声は、あまりにもか細い気がするよね・・・

自立&自律できないという意味での「幼稚さ」「未熟さ」ってのは、国家大に拡大された個人の自己愛にあるのではないかとも思うのよね。

だから「礼」のことを国歌斉唱などとワケワカメなこと言い出したりするのではないかと・・・

自分は被害者だとするメタ取り合戦をさ、ニーチェは「奴隷道徳」と言うたのだけど、大人であるとは自分の連なりの加害性を引き受けること。

その上で和解を求めることでしか有るまいね。

日本がせずに済んだ贖罪と和解。

「あなた方の中で、罪を犯していない者だけが石を投げよ」

これを石を投げる資格についての説教だと思うヤツがいるのが今のジャパン。ヤベーわけやわ。

まさにそのヤバさがさ、「マイノリティの被害者特権」によってマジョリティが被害を受けているという「マジョリティの被害者感情」に現れている。

自己愛、自己憐憫、被害感情から立場を逆転させ、マウントをとるためのキャンセルカルチャーで「奪われ感」をなだめようとする。

本来なら「異議申し立て」や「階級闘争」につながってもおかしない回路を潰し、矛先が弱者に向かうのがこの国の有様よ。

許されないし、許さない。
でも、ともに生きよう。
すでにともに生きてあることを否定することはやめよう。

ホントこれだけよね。

史的唯物論でとても気に入っていることは、まず生きねば観念も対立も止揚もないということ。

そして生きるとはすでに関係に組み込まれていること。

生きることを全肯定せねば、関係性を対象にせねば成り立たない考え方であるところなんよね。

なるほど。

まずは生きてあることを肯定する。
あなたがいて、私があること。

マルティン・ブーバーの『我と汝』に通じる話すな。

でも、そこから始めないと何も始まらないのは確かだろうて。

ほんにね。
これとかもさなんだけど
杉並区の岸本区長に対し、保守派の田中の質問とヤジがゲスい。

この田中は移民排斥の草の根運動や尖閣への単独上陸しているヤツらしいわ。

このような権威主義、排外主義の煮こごりみたいなヤツらが政治家に増えてきてるよね。

品位を保てているか否か、美醜の判断で足切りできるほど劣ったヤツは立法に参加すべきでないと思うんだが。

初めて見たが、なかなかのヤヴァさやね・・・

地方議会やから知らんかったが、国政に出てきたら恐ろしい。杉田といい田中といい、政治がこういう輩を不問に付して、飼っていること自体がつまりはそういうことやね。

言論は公平にとかいって差別ヘイトを両論併記しろといってくる。ひいては維新や百田の保守党なんかが出てくる土壌にもなっている。

杉田は兵庫の西宮市役所職員やったらしく、そこで見聞した外国人や在日、左翼活動家らが生活保護などの「特権」と闘うことが自分の原点にあると吹聴しとるよね。

田中は「男性差別」なんて謎ターム使ったり、不法外国人が暴動を起こすとかの差別煽りで当選を重ねていて、今4期目だそうな。

両議員とも「奪われ感」をフックにして「被害者ポジション戦略」、既得権リベラルと闘うカイカク仕草で政治稼業。ま、議会での総会屋みたいなもんよね。

ちょうどスペイン、ベルギーの両首相がさガザ南部のラファ検問所で、永続的停戦と国際法違反の占領と入植の停止、紛争の政治的解決を求める共同記者会見をしとる・・・

両国とも血なまぐさい植民地の歴史を持つ国だけど、それを政治家に直視させる民衆の力があるのだろうね。

日本もさ、歴史や犠牲を国有化するナショナルヒストリーではなくて、地域史や世界史に照らされた「鏡」で自己像を映せるリーダーを選ばないといけないね。

ナルシシズムや自己愛にかまけて、他者を手段としてしまう閉ざされ。
それを乗り越えにゃならん。

その試金石は、悲劇の度にあったはず。

終戦後にもあったし、水俣や福島、沖縄でもあった。
そして今もあり続けている。

何人か鏡をとりて、魔ならざるものある
魔を照らすにあらず、造るなり
すなわち鏡は、瞥見すべきものなり
熟視すべきものにあらず

映画『攻殻機動隊/イノセンス』素子の台詞より引用

自己愛ナルシシズムのためにある閉ざされとしての鏡ではなく、自己を省みて開かれの契機となるような鏡が必要なんだと思うよ。

『攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL』の劇中なんだけど、素子がさ、モーターが作動しなければ沈んでしまう義体の身体でダイビングをする理由をバトーに問われた際、

水面に映る鏡像を通して、水面上に浮上することで「今までの自分とは違う自分になれる気がするときがある」と答えていた。

暗い海のなかで抱く希望を、鏡を通じて浮上させよ。押井守の演出が光っている。

わてらもそれに習わなね。

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