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編集補記(鈴木ゆうりさんエッセイ|ふつうごと)

今こそ「愛」が試されるときだ。

なんて綺麗事は、言えない。

国連憲章第2条4項は「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めている。けれど「慎む」という言葉が示す通り、戦争抑止を過剰に期待できるものではないのだ。

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そんなモヤモヤ、ザワザワした気持ちを抱えているここ数日間。

本日、Webサイト「ふつうごと」で、鈴木ゆうりさんに寄稿してもらったエッセイを公開した。

鈴木さんは、47の国を渡り歩き、数々のマラソンレースに参加している。

noteも読み応えがあり、きっと鈴木さんにしか書けない「愛」があるのではないか?という直感があった。なかなか海外に渡航ができない中だからこそ、日本の「外」を感じるような話を読んでみたいと思い、エッセイ執筆の依頼をした。

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想像以上に、いただいた5本のエピソードは素晴らしかった。

国が違えば、考え方や価値観はまるで違う。そんな多様さを感じられるから旅は楽しいんだと、忘れていた感覚を思い出させてくれた。

#2は、モロッコが舞台。

長距離移動の電車の中で空腹に襲われる鈴木さん。思いがけず、乗り合わせたお客さんに食べ物を分けてもらったという話。利害関係は一切ない。目の前の日本人がお腹を空かせてそうだから、という理由だ。

これが日本だったらどうだろう。と思ってしまう。

見ず知らずの他人。日本人ではない旅人が困っていたとき、彼らに声を掛けることはできるだろうか。

鈴木さんが巡る旅の記憶、それは足を使って自ら体験したことだからこそ、エピソードのひとつひとつがずっしりとした重みを持っている

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鈴木さんとのやり取りは、とても楽しかった。

どのエッセイも初稿段階で既に面白かった。溢れんばかりの分量で、テキストには想いがたっぷり詰まっている。

「書きたい」「伝えたい」という意思を持つ書き手に出会えることは、編集者として本当に幸せなことだ

だから僕からも、読んでいて感じた違和感を率直に伝えた。「ここが分かりづらい」「構成を変えた方が良いのでは」とコメントした。実際のところ、何度コメントしたか分からない。それでも鈴木さんは必ず応えて、より素晴らしいテキストにブラッシュアップしてくれた。頭が上がらない。

いちばん驚いたのは、1本まるまるエピソード(国)を入れ替えたこと。

「5本のエピソードをいただいた」と上述したが、公開できるレベルの記事を、校正段階で自らボツにし、別のエッセイを提出してくれたのだ。

書き手なら、丹精込めて書いたテキストにはこだわりたい。それを捨てて、別のエッセイを用意してくれたこと。鈴木さんの人格に改めて敬意を抱いたし、書くことへの執念に僕自身も応えなければいけないなと思った。

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エッセイ公開の前日に、ロシアがウクライナに侵攻した。

コロナ禍に加え、混沌と化していく国際情勢は、鈴木さんにとっても複雑だろうと推察する。

それでも、奇しくもこのタイミングでの公開は、何か意味があるはずだと思っている。かの国の大統領には一笑に付されてしまうかもしれないけれど。

愛が、何かのきっかけを与えてほしいと強く願っている。

戦争反対という声をあげるのは、綺麗事だ。

祈ったところで何の役にも立たない。

それでも、鈴木さんの言う「愛の循環」が、世界中を巡っている。その連帯を形作っている感情は、愛以外には考えられない。

そんなことを考えつつ、編集補記に代えさせてもらたらと思う。

来月もぜひ、ご期待ください。

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ほりそう / 堀 聡太
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