「これが『最後』かもしれない。」というマントラ
贔屓のプロ野球チーム、中日ドラゴンズ。
その中でも応援している福谷浩司投手が、1年3ヶ月ぶりに勝利を手にしました。偶然ながら、8月23日は私の誕生日。縁を感じます。
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福谷さんは定期的にnoteを更新するアスリートです。
試合後の振り返りで、ご本人がどのようなことを感じていたのかを自身の言葉で語ります。アスリートは自身の感情と対峙する職業であり、とりわけ「悪い」状態のときの言語化は諸刃の剣になりかねない。ましてしばらく一軍での勝利を手にしていなかった福谷さんにとって、それまでのプロセスは気が遠くなるほど大変だったでしょう。そういった感覚は、想像に難くありません。
その中で、福谷さんが口にする「最後」という言葉に、私は「悲壮感」のような感情を抱いてきました。
でも、本日更新された福谷さんのnoteを読んで、必ずしも「最後」という言葉は悲壮感のみに紐づいているわけではないと気付きました。
いってみれば、プロ野球選手として活躍を期した原点の記憶(覚悟)を忘れないためのマントラのようなもの。調子が良いときもそうでないときも、このマントラを唱えることで、気持ちをグッと引き締めるのでしょう。
「マントラ」という言葉はあまり聞き馴染みのないものです。この言葉を知ったのは、村上春樹さんのエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』。
村上さんがパリのホテルで新聞を読んでいた際に、マラソンランナーの特集記事を読んだときのエピソードが紹介されていました。
福谷さんはnoteの最後で、冗談まじりに「哲学」という言葉を使っています。実は村上さんのエッセイでも、序章の最後に「哲学」という言葉を記していました。
ニュアンスは異なれど、ある種の「死線」を乗り越えてきたプロフェッショナルの共通点を私は感じました。
悔いなく、自身のプロ野球選手としての人生を全うしてほしいと強く願っています。これからも応援しています!
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