編集補記(高円寺に住む青木優莉さん|ふつうごと)
10月に東京都の高円寺に住む、友人の青木優莉さんの取材を行なった。先週末から2本、記事を公開に至ることができた。
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出会いは、編集者・菅付雅信さんが主催する「菅付雅信の編集スパルタ塾」にて。同じ塾生として、1年間せっせと企画や編集について切磋琢磨した仲だった。
そのときに感じたのは、僕と青木優莉さんとの相違点だった。もちろん共通点もあるのだけど、常に明るさを保ちながら前を向けるキャラクターはあまりに素敵すぎて。陽と陰で二分するつもりはないけれど、どこか違う世界線にいるような人だと感じていた。
だけど取材を通じて得られたのは「共感」だった。
その共感は、無理に寄せたものではない。自然と湧き上がってくるような感覚だった。
彼女の物語をどう伝えるか、1ヶ月かけて考えた。編集補記として、記事公開後の所感について、つらつらとまとめてみたい。
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「ヒロイン」にしたくない
前回の風間亮さんと同様、優莉さんが「ポジティブな女性」というだけに映らないよう、節目での格好悪い姿や試行錯誤の連続であることも隠さずに書いた。
企画や編集の仕事をするようになったことを「左手を使うようになった」と優莉さんは自ら語っているが、すんなり読まれてしまえば「良い話」で終わってしまう。
実際、優莉さんは、誰もが羨むほどに魅力的な人だ。
自ら「別に私は良い人なんかじゃない」と語っていた。謙遜でなく本音だと思った。そのとき感じた僕の感覚が、そのまま読み手の読後感になれたら……。それが今回の記事作成のゴールだったような気がしている。
翻案の技術を磨きたい
前職で採用の仕事をしていたときに、作成したインタビュー記事の原稿チェックの際に「こんなこと言ってましたっけ?」と言われることがあった。
自社のブランディングというか、全体のトーン&マナーを合わせるためのライティングだったのだが、振り返ってみれば、僕が「翻案」というテクニックを駆使していたんだと感じる。
翻案とは、大意を変えずにテキストを作り変えることだ。文字メディアの特性のひとつとして、編集者やライターが「翻案しやすい」ことが挙げられると思っている。動画だと伝わる情報量が多すぎて、(多少切り貼りができるとは言え)翻案には限界がある。
どちらが良いかは一概に言えない。しかし、どこまで自分の本意をアウトプットできるかは相手の能力によってしまうわけで。対話の瞬発的なコミュニケーションが苦手という人は少なくない。
といったことから、僕はなるべく相手に寄り添った翻案を意識している。
一朝一夕ではないし、やりすぎると編集者およびライターのエゴになってしまう。事前準備をしっかりした上で、相手の考えをきちんと把握、理解しておくこと。(相手に憑依するような心意気で臨みたい)
優莉さんの取材は、そういった意味では楽だった。優莉さんの言語化能力が頭抜けていたからだ。ただ、ところどころオーラルならではの表現があったので、テキストに置き換えるときに、テキストらしい表現には変えたつもりだ。その塩梅は難しいが、引き続きチャレンジしていきたいスタンスではある。
どうしたら「面白さ」が伝わるのだろうか
友人ということもあり、話に花が咲き、文字起こしの分量は2万字を超えた。
それをギュッと1/3程度に絞ったのだが、構成を何度も組み直すたび、どうしたら読み手が「面白い」と思ってもらえるか熟考を重ねた。
映像メディアになってしまうが、例えばドキュメンタリー番組「情熱大陸」。ときどき有名人も出演するが、多くは一般的には知られていない方が出演する。彼らはもちろん「すごい」人たちなわけだが、約24分で、視聴者を引き込まなければならない。
雑誌「BRUTUS」は、編集のエッセンスが様々に散りばめられている。企画の面白さに加えて、誌面のレイアウトや、コンテンツの順番、イラストや写真の挿入の仕方など。勉強になるなあ、というより、まだまだ険しい道が続いていくことを実感させられる。
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