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身体的な体験を取り戻したい。

法螺(ほら)という言葉の持つ意味、全く知りませんでした。

日本で「ホラ吹き」と言ったら、噓つきみたいな意味を持つのだから困ったものである。しかし法華経には、法華経の真理を伝えることを「大法螺を吹く」と言っているし、修験道では、法螺貝は即身成仏するための大事な法具である。

(日本経済新聞|こころの玉手箱「宗教哲学者・鎌田東二さん 見えないものに耳を澄ませて」)

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何度も読み直し、博学な鎌田さんのことばを頭に反芻させる。

法螺貝や石笛を通じて、訪れた土地や季節の移り変わり、節目に思うことなどを、演奏(奉奏)によって刻んでいく。奏でるという行為はアウトプットだけど、それ以上に自分の身体に取り込めるものがある。その余地を残すということだろうか。

僕にとって、マラソンは似たような感覚を与えてくれるものだ。

走る、それは自分の身体から汗やら不純物やらが出ていくような行為だが、走ることを通じて感じる景色がある。走り続けていくと、視覚や聴覚、嗅覚が研ぎ澄まされる。

南伊豆の山々の青さ、佐呂間・紋別の牛舎の薫り、足立区の6月の日照。いずれも、自分の息遣いが脳裏に刻まれている。

あの感覚があるから、走ることを続けられていたんだと思う。

最近はあまり走れていない。

走れていないし、身体で何かを「体験」するような感覚は得られていない。(せいぜい徹夜が続いたことくらいだ)

フルマラソンやウルトラマラソンに挑んでいたとき、まさに限界を感じる瞬間を味わえていた。

その感覚を、もう一度取り戻していきたい。

#日本経済新聞
#こころの玉手箱
#カバーストーリー
#鎌田東二

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ほりそう / 堀 聡太
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