「声」をめぐる衝突。
映画「her/世界でひとつの彼女」(監督: スパイク・ジョーンズ、2013年製作)のファンとしては、とても残念なニュースが飛び込んできた。
映画「her/世界でひとつの彼女(以下「her」)」は、AI社会を前提にした近未来を描いている。
本作は2013年に制作された。つまり当時の「近未来」が「現在」に追いついてきたといえるだろう。とりわけChatGPTが盛り上がってきた昨年は、「her」が話題にのぼることも多かったように思う。
ホアキン・フェニックスさん演じる主人公・セオドアのさびれた感じも良いのだが、セオドアが恋したAI・サマンサの声(とキャラクター)がとても魅力的だった。
「こんなAIがいたら、自分も恋してしまうかもしれない」なんて妄想した人もいるだろう。SFと恋愛ドラマのバランスが絶妙だったことも、作品の評価につながっている。
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メディアがこぞって報じているのが、「ChatGPT」を手掛けるOpenAIが、音声AIサービスをローンチするにあたり、スカーレット・ヨハンソンさんに酷似した音声を用いたというもの。
スカーレット・ヨハンソンさん側も、「実は一度、OpenAIから声を使いたいと打診があった。熟慮の末に断ったのだけど……」という声明を出している。
断られた上で、自分に酷似した音声が使われていると知ったときの当人のショックは計り知れないだろう。「AIの学習によるもの」という強弁は、少なくとも道義的には通用しない。
生成AIは、文章やデザイン、映像など、あらゆる「データ」を学習することで生み出されている。「日本は生成AI天国」といわれているように、「データ」の取り扱いに対する規制がかなり低い。利用者にとっては嬉しいが、クリエイターにとっては複雑(というか、つらい)な状況になっているのが現状だ。
今回は、著作権としての「声」について、どのように取り扱えばいいか問題提起がなされている。
良き落としどころが見つかればいい。だが個人的には、利便性追求に偏りつつある現状を憂いている。立ち止まって、しっかり議論していくことが求められるのではないだろうか。
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