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編集補記(小波季世さんエッセイ|ふつうごと)

本日、Webサイト「ふつうごと」でエッセイを寄稿いただいた、随筆家・小波季世さんの4本目のエッセイを公開した。テーマは、毎月恒例の #愛を語ってくれませんか

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江國香織、日本酒、文化人類学、ふるさと東北……

とても大きな題材をもとに、4回にわたり書いていただいた。

小波さんの引き出しの多さもあるのだろうけれど、何より小波さんの「書く」ことに対する強い意欲だと僕は感じている。

ふつうごとでは、エッセイ公開まで、だいたいこんな流れをとっている。

①書き手が初稿を提出する
②僕が所感を伝える(表現の大まかな部分での違和感など含め)
③書き手が第2稿を提出する
④細かい部分の校正を行ない、修正依頼を伝える
⑤書き手が完成稿を提出する

小波さんの場合は、②→③のやりとりが、とても真摯で、熱量高く臨んでいただいた。(もちろん他の書き手の皆さんの熱量も総じて高いのだが)

普段の仕事と並行して執筆に臨むのは大変なはず。だけどときには編集の意図を汲み取り、ときには自主的にテキストに手を入れる。だから「あ、確かにそこがボトルネックでしたね」というような気付きが、編集の立場でも得られるのだ。

お世辞抜きで、小波さんとのやりとりは楽しく、刺激的な日々だった。

これで寄稿に関するやりとりは終わりだけど、またどこかで、小波さんのテキストを届けられるよう関係を続けていきたい。

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先月のエッセイは鈴木ゆうりさんで、ちょうどロシアがウクライナに侵攻したばかりのときだった。

それから1ヶ月経ち、国同士の戦争は「米欧 vs 中露」という枠組みで語られ、いつの間にかコメンテーターが好き勝手に持論を披露する「ネタ」のようになってしまっている。議論自体を否定するわけではないのだが、民間人の犠牲も大きく報じられている昨今において、メディアの報道姿勢に「愛」はあるのだろうか。

そんな中、3月16日に大きな地震が東北地方をはじめとする広域で発生した。11年前の東日本大震災を思わせるほどの大きな揺れ。亡くなられた方もいた。当時を思い出す方もいただろう。

SNSを中心に「津波に気をつけてください」「あの人は大丈夫だろうか?」といった、思いやりの行動が散見された。ツイートひとつで何が思いやりだと言われるかもしれないが、「何をしたって意味がない」という虚無の態度よりは心強いのではないだろうか。

手が届く範囲の人たちに対して、想像力を持てる感性は、きっとずっと変わらない普遍だ。普遍であってほしいと願う。

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小波さんが語る愛のあり方や葛藤も、突き詰めて考えれば「想像力」というところに行き着く。想像力が足りなかったことで、友人を傷つけ、傷付けられたエピソードもあった。小波さんのテキストを読んで「僕もかなり想像力が欠けていたし、今も欠けているよな」と思わされた。

11月から始めた #愛を語ってくれませんか

4月からは、6人目になる。次回も素晴らしい方に執筆いただく予定だ。

ぜひ、楽しみにしていてほしい。

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ほりそう / 堀 聡太
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