「0歳児に選挙権」は非現実である。
日本維新の会が「0歳児に選挙権」と言い始め、世間の失笑を買っている。
子どもに投票権を与えようという考え方は、「ドメイン投票方式」という名前でも知られている。だが僕は、“それっぽい”名前をつけて、頓珍漢な制度を正当化しようとしているだけのように感じている。(という意味合いにおいて、大阪府知事の吉村さんが「0歳児に選挙権」という言い方をしている方がまだマシである)
「0歳児に選挙権」を支持しないのは、以下の3点である。
理由1:選挙の基本原則があるから
あえて大阪府の「選挙制度の基本」から引用するが、選挙制度には5つの原則がある。
年齢に関する議論はあるだろう。成人である「18歳」が適切かどうかは分からない。義務教育が終了する「15歳」から選挙権を与えてもいいかもしれない。
だが、「代理投票」というと話は別だ。
「一人一票の選挙権」「誰にも干渉されずに投票できる」「誰がどの候補者・政党等に投票したか秘密にすることができる」といった原則に、代理投票は違反するだろう。パートナー間においても、当然、投票の秘密は守られる。つまり「代理投票」の運用は極めて困難であると言わざるを得ない。
理由2:子どもの意向を、親が反映できるとは限らないから
シンプルにこれに尽きるだろう。
子どもの幸せや利益のために、親は候補者や政党を代理で投票する。本当に子どもが納得できる/利益を享受できる選択を親ができるのだろうか。
17歳くらいになれば、来年の選挙を見据えて、本人も「どの政党に投票するか」の意向を持てるはず。「『おれは日本維新の会に投票してほしい』のに、『維新なんてとんでもない、リベラルな立憲民主党に投票すべきだ」なんて意見の相違はざらに想定できる。
前述の通り、「秘密投票の原則」もあるわけで、そもそも議論自体を望まない場合もあるだろう。
理由3:少子高齢社会でも、きっと「子ども」の立場が尊重されると思うから
これは感情論というか、希望的観測も込めて。
シルバー民主主義という考え方に与しないのは、「中位年齢の高齢化や数的優位を背景として政策決定権を握った高齢者が、 政治にシルバー優遇政治を実現させること」がそもそも疑わしいからだ。
たとえそういった「傾向」にあったとしても、民主主義において、色々な立場の人たちが議論をすることで、より良い結論を選択することも可能ではないだろうか。
「0歳児に選挙権」の考え方の裏には、「高齢者は高齢者の都合ばかり考えている」という先入観のもとで、議論そのものを放棄しているような姿勢が透けてみえる。僕はそれこそが民主主義への冒涜のような気がしてならない。
最後に:政治家は批判を恐れなくてもいいけれど、聞き入れる「耳」を持ってほしい
参議院議員の音喜多さんが、以下のポストをしていた。
半分だけ同意する。批判は恐れなくていい。
だが、批判を聞き入れる「耳」を持ってほしいというのが正直なところだ。「賛否がある」と音喜多さんは言うが、別に賛成と反対が半々だというわけではないだろう。仮に半々だったとしても、「否」が懸念していることが何かをしっかりと聞き入れていただきたい。
政治家とは、「主権者である国民の信託を受けた、全国民の代表」に過ぎない。党を支持する人たちの代表だけではなく、全国民の意思を踏まえたうえで意思決定しなければならないのだ。
選挙で勝てばいい。51対49でも勝てばいい。
そんなわけないのだ。これは日本維新の会に限らずだが、党勢を拡大するためのプロモーションに力をかけ過ぎではないだろうか。もちろんそれが目立って報じられるのも事実だろう。だが、どの党が優勢かどうかは本質的にはどうでもいい話なわけで。
「主権者である国民の信託を受けた、全国民の代表」という立場を踏まえて、政治家の皆さんは謙虚に、そして誠実に政治に臨んでもらいたいと切に願っている。
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