経済を回す、でなく、経済を繋ぐ。

4月に緊急事態宣言が発令され、ステイホームが強いられた。ウィルスの特徴が不明なことから恐怖心を煽られ、不要不急の外出自粛要請はそれなりに遵守されていたと認識している。

不要不急の外出とは何か?

海外ではエッセンシャルワーカーを除いて厳しく外出制限が施されているが、日本ではその辺の基準は極めて緩い。僕の仕事(人事)は、不要不急かもしれないと思ったり、いや会社の未来を担う人材を見つけることは大切だから4〜5月は採用に急務だろうと言い聞かせたり(実際、就職活動に取り組んでいた大学4年生は採用の間口が少なくなり苦戦を強いられていた)。

自分のことはさておき、とある日に見掛けた自動車教習の車。それなりに狭い空間の中で、教官と生徒が一緒にいる。ああ、確かに、自動車教習の世界で生計を立てている人は間違いなく存在するし、何らかの事情で免許を失い、免許再取得をしないと仕事にならないという人もいるはずで。

当時は「夜の街」という言葉で、歓楽街のビジネスのことがあれこれ言われていた。コロナ禍で、僕は、これまであまり意識することがなかった様々な職業を想像するようになった。

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ホテル業界が苦難に喘ぐ中で、クリーニング業者の業績に悪影響が出ているというニュースを目にした。

リーマンショックのときが、そうだった。ドミノが崩れるように、悪循環が連鎖している。

そういったことも経営者は予見すべきだと言えばそれまでだけど、「想定内」と「想定外」は紙一重。「想定内ではあるけれど起きてほしくないこと」だって山のようにある。それを全て経営者に責任を負わせるほど僕は非情になれない。

「経済を回す」という言葉は、2020年以前ではあまり使われていなかったように思う。誰が何を言おうと、経済は回すもの、回るものだと疑わなかったからだ。

そのあまりに資本主義な響きに嫌悪感を抱く人もいるけれど(僕もその一人だ)、そこで思考を止めずに考えてみたら、前述した自動車教習の風景を思い出した。

自動車の運転を教えるのが上手い人は、運転が上手いとは限らない。運転ができたとしても長距離トラックやタクシー運転手などに転用できる技術や体力を有しているかは疑問だ。

そうなると、もし自動車教習の営業が成り立たなくなったら、あの日、密な空間に耐えて自分の仕事を全うしていた彼(彼女)は、仕事を失ってしまうかもしれない。

コロナ禍で僕が思ったのは、色んなことが、実は綱渡りで。バトンを繋ぐように、個々人の生計を成り立たせてるのかもしれないということだ。ビッグワードで「航空業界が〜、ホテル業界が〜」と議論し過ぎるのは危険で、ミクロに紐解いていくと大小様々な企業があり、そこで働く従業員には、それぞれの背景や仕事観が存在する。一言で「経済を回す」というのはやや引力が強すぎて、僕は「経済を繋ぐ」という感覚のもと物事を捉えていきたいなと思った。

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余談だが、ローマ帝国において、五賢帝の一人として挙げられたマルクス・アウレリウスは「人間は協力し合って生きなければならない」と考え、「だからこそ他人を責めるのでなく、自らの内面を省みるようにすべきだ」とメモに記した。

世の中を俯瞰して捉えることも大切なことだ。だが、まずは自分に近いところの人たちの存在に気付き、彼らのことを想像してみる。

困っていたら「何かできることはありませんか?」と聞いてみれば良い。

経済を繋いでいく。積み重ねていく。

ピンチのときだからこそ、一歩ずつ、進んでいきたい。

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