編集補記(松金里佳さんエッセイ|ふつうごと)
会社を創業して4ヶ月経ったけれど、1円にもならないWebサイト「ふつうごと」に夢中になっている。
もっと他にやらなくちゃいけないことがあると分かっているけれど、気付けば編集のことばかり考えている。家に帰ってからも、ニヤニヤしながら「ふつうごと」のあれこれを妻に話している。笑って聴いてくれて、つくづく有難いと思う。
良い文章が好きだ。
夢中になっている理由は、これに尽きる。
このテキストを書いているnoteというプラットフォームも大好きだけど、もう少し、自分の感性に向き合ってみたい。その想いが大きくなり、不意に「ふつう」というキーワードに出会うことができた。
真っ直ぐに、やりたいことを詰めたのが、Webサイト「ふつうごと」だ。
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11月から、エッセイ企画「愛を語ってくれませんか?」を始めた。月替わりの連載企画で、書き手の皆さんに、愛についての4本のエッセイ寄稿をお願いしている。
トップバッターを飾ってくれたのは、友人の松金里佳さん。広告会社のプランナーとして活躍されている。
松金さんの企画やプレゼンを聴くたびに、彼女の視点の在り方にハッとさせられていた。具体と抽象を同時に成立させていて、しかも普遍を感じさせることができる。「エッセイは初めて」と謙遜されていたけれど、絶対に面白いテキストを書いてくれると確信して、寄稿をお願いした。
結果的に、想像を遥かに超える、素晴らしいエッセイを書いてくれた。
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野暮かもしれないが、編集の裏側を少しだけ。
「愛」について深く考えていただいたためか、回を追うたびに、松金さんのテキストはすんなり完成しなくなった。共同編集のドキュメントを眺めていたら、何度もテキストを前後しながら、一言一句を精査している。
松金さんの「苦悩」が、痛いほど伝わってくる。
特に漫画版『風の谷のナウシカ』を取り上げた最終回は、細かく構成を何度もリライトしていた。テキストへのこだわりは、鬼気迫るものがあったように感じる。
「そもそも自分は愛を語る資格はあるのか」
松金さんが、エッセイの中でも何度か書いていることだ。それが松金さんの本音だと気付くのに、恥ずかしながら、僕は時間を要してしまった。
想像力と思考を頼りに、悩みながら導き出したもの。
ナウシカが投げ掛けた問いと、それに対して絞り出した松金さんの答え。それが正解だとは思わず、何度も何度も考える。
それは、そのまま「愛」についても同じことが言えるのではないだろうか。
僕は実に無力だったけれど、2021年11月に、松金さんの素晴らしいエッセイを世の中に提示できたことを誇りに思っている。
学びにもなった。
松金さんのテキストに対して「この部分を修正したらどうですか?」というのは、怖かったし勇気が必要だった。松金さんはめちゃくちゃ優しくてチャーミングな女性なのだけど、彼女が絞り出して書き上げたエッセイであることを理解できているからこそ、それに「ダメ出し」するのは、痛みを伴うものだった。
だけど、だからこそ、より良いエッセイを作るために、僕も本気になる必要があったのだ。
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世の中の編集者と呼ばれる人たちは、このような「向き合い方」をずっと続けているのか……と思うと背筋が寒くなる。
だけど、その怖さを勝る動機が、僕にはある。
良い文章が好きだ。
それだけを頼りに、今日も明日も、編集に向き合っていく。松金さんとの仕事を通じて、ようやくスタートラインに立てた気がするのだ。