悲しいこと、悔しいこと。
人間生きていたら、悲しいことや悔しいことの、ひとつやふたつある。
ちょっとくらい悲しいことなら、一晩ぐっすり眠れば忘れられるだろう。だけど、じわじわと心を蝕むような悲しさというのも存在して、それに感染するとしばらく立ち直ることができなくなってしまう。
映画「SWALLOW スワロウ」では、「完璧」な夫に尽くすがあまり、自らの抑圧していた女性が、異食症にかかって精神崩壊していくという物語だ。
ちょっとくらい悲しいことは、「悲しい」と表明すればスッキリすることもある。
だけど、「悲しい」と表明できないことが、映画では主人公のスリラーをずっと苦しめ続けてしまった。
同じようなことが、現実で起きていないと誰が言えようか。
こんなふうに偉そうに書いている僕だけど、もしかしたら妻や息子たち、あるいは取引先の方々に対して「悲しみ」をもたらしてしまっているかもしれない。
人間は、加害者にもなり得るし、被害者にもなり得る。
その両方を回避できたとしても、きっと「悲しみ」からは逃れられない。
唯一の対処法は、悲しみに向き合うことだ。
どう、向き合っていくべきだろうか。そんな問いが、今の僕には問われている。
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