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「権力はほしくないけれど、力はほしい」と思ったけれど。

映画テキストサイト「osanai」にて、今井峻介さんに映画「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」のテキストを寄稿いただいた。

そのタイミングで「下書き」にしたためていたのが、「権力はほしくないけれど、力はほしい」という趣旨のnoteだ。実体験に基づく考察であり、それはそれで筋が通っているものではあるが、やや視野が狭かったなと感じた。

備忘録、反省録として残しておきたい。

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会社を経営してきて、自らの力のなさを感じる出来事がいくつかあった。

ことわっておくが、僕は全ての取引先には温かい商取引の機会をいただいている。「下請け」として、無理に価格を下げられたことはない。(もちろん、タフな価格交渉を両社納得の上で行なうこともあった)

話は変わるが、少し前にとあるメーカーの経営者の取材の機会があった。「下請け時代、取引先の言いなりになっていて価格交渉ができていなかったから、何としてもメーカーになりたかった」という強烈な原体験を聞き、いたく共感した部分もあった。

僕の会社も、売上のほぼ全てを「企業からの依頼」によって賄っている。プロダクトやサービスからの売上は皆無だ。会社の体力をつけてから、プロダクトやサービスを経由した売上をつくっていきたいと考えているが、手っ取り早く僕の能力を金銭に換算するためには、業務委託という形で仕事を受けるしかない。

という現状において、やはり「うーん、業界のパワーバランスに晒されてしまっているな」と感じることが多い。ライティングという仕事にも関わらず、相手方の契約書雛形に「検収期間が1ヶ月……」といった条項を見掛けると、「うーん、この条件をのむ会社もあるんだろうな」と感じてしまう。(僕は「いやいや、もっと早く検収いただけるでしょう?」と常に申し出るようにしている)

業界のパワーバランスの「下手しもて」に位置付けられるならば、早いところ「上手かみて」に回った方が良い。そう考えるのは、しごく当然のことだ。そして「上手かみて」に回るということは、業界の中でそれなりのパワーを有するということである。

あの人に睨まれたら、仕事が回ってこなくなる。

これは権力だけれど、「このプロジェクトは、何とか堀の会社にお願いできないか」といった状況を作れれば、価格をはじめ条件面で優位に立つことができる。(もちろん全ての取引は、双方のWin-Winを目指すものであり、Win-Loseのような状況を生みたいというわけではない)

けれど、そういうことを志向すること自体が、権力ないし差別を生み出してしまう可能性もある。

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今井さんはテキストで、こんなふうに注意を呼び掛ける。

権力は新たな差別を生み出す。
何かのコミュニティに属していれば、誰もが少なからず権力を持っている。親、役職者、先輩として。権力者の周りで差別は日常的に生まれうる。だからこそ、細心の注意を払う必要がある。
僕らは警官側に立っている。そのことを自覚しなければならない。自分にとってのケネスに出会ったときに、どうやって関係性を築くのかについて、何らかの答えを持っていなければならない。それができないのなら、僕らは警官として、僕らにとってのケネスを射殺することになるのだろう。

(osanai|今井峻介「【キリング・オブ・ケネス・チェンバレン】無知で無力な世界と僕と」より引用)

そもそも、日本という恵まれた環境に身を置いているだけで、僕らは警官側(力を持つ側)に立ちやすい。「力がない」と感じるのは、属している狭いコミュニティの中での位置付けに過ぎないのだ。

力を持つことのリスク。
力を持ちたいと思うことの加害性。

そんあものに無自覚であった自分のことが愚かしいと思う。もっと別の手段で、Win-Winを成し遂げるためのコミュニケーションの方法を持つべきだったのだ。

とある古武術の話だが、力そのものを否定することから「武道」が始まるのだという。現役時代のイチロー選手も筋力トレーニングから距離を置き、しなやかに身体を使えるようなトレーニング方法にこだわっていた。(まあ、それも最低限の「力」は必要なのかもしれないが)

パワーとか、スピードとか、可視化しやすい指標は分かりやすい。しなやかさとか、誠実さとか、可視化できないものに対峙すると、なかなか扱えずに諦めてしまうことが多いのではないだろうか。

でも、力を持つことのリスクも念頭に置くならば、可視化できないものの可能性に気付くことができそうだ。現在、僕は39歳だ。40代を目前にして、どんな生き方を望んでいくか、試されているような気がしている。

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