【三田三郎連載】#016:私が酔っても喧嘩をしない理由
※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第十六回です。
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私が酔っても喧嘩をしない理由
人間は酒を飲むと気が大きくなる。そして、酒場では気が大きくなった者同士が接するわけだから、どうしても多少の喧嘩が生じるのは避けられないところがある。私も酒場ではこれまで幾度となく大小様々な喧嘩を目撃してきた。
では、私はどうなのかという話になるのだが、読者の中には、私がかつて酒の席でどれほど派手な喧嘩を繰り広げてきたのかを知りたいと思った人もいるかもしれない。確かに、酔っ払ってこんな大立ち回りを演じた、といった他人の武勇伝を読むのは楽しいだろう。しかし、残念ながらその期待に応えることはできない。というのも、私は酔って喧嘩をした経験がほとんどないからである。
まず、酔って誰かと物理的な喧嘩をしたことは一度もない。それは、私が飲酒のマナーを心得ているからでもなければ、強固な自制心を持っているからでもない。現に、私は泥酔すればマナーや自制心などとは縁もゆかりもない有様になっている。ではなぜ、私が酔っても物理的な喧嘩をすることがないかというと、端的に勝てないからである。私はスポーツやトレーニングなどとは完全に没交渉の生活を営んでいるし、そもそも日常的な大量飲酒により肉体がひどく衰弱している。そんな私が物理的な喧嘩を仕掛けて勝てる相手と言えば、小学校低学年以下の児童くらいだろう。小学生でも高学年になればまず勝てないし、低学年でも成長が早い児童であれば熱戦が予想される。そして、酒場で子供と会うことはほぼないので、私が酔っているときに物理的な喧嘩で勝てる相手は周囲に存在しないのだ。酒場で成人と物理的な喧嘩をすれば、見るに堪えないような惨敗を喫することは必定である。いくら酔っ払っていたとしても、それについては本能的なレベルで理解しているために、私が誰かと物理的な喧嘩をすることはないのである。
このように私は酒の席で物理的な喧嘩をしたことが一度もないのだが、言葉での喧嘩、すなわち口論を経験したことは何度かある。ただその場合でも、私は大抵すぐさま言い負かされて自棄酒を呷る羽目になる。なぜなら、口論を成立させるためには、まず相手の発言内容を理解したうえでその欠陥を見つけて反駁するという高度な知的作業が要求されるのであって、酔っ払った状態でそれを遂行するのは非常に困難だからである。とりわけ私は酔うと口論に求められる能力が格段に落ちるタイプのようで、早い段階で口ごもったりボロを出したりしてしまい、たちまち相手にそこを突かれてサンドバッグ状態となる。酒場でそうした事態を何度か経験するうちに、物理的な喧嘩ほどではないにせよ、自分は口論も異様に弱いということが分かってきた。口論に負けると、肉体は無事でも精神に大きなダメージを負う。そのことを恐れているのか、今では口論についても本能的なレベルで自重するようになった。
そういうわけで、現在のところ私はどんなに酔っ払っても喧嘩をすることがほとんどない。ただ、繰り返しになるが、それは幸か不幸か私が物理的な喧嘩も口論も劇的に弱いという事情によるものであって、決して私が理性的な人間だからではない。万が一これから何らかの理由で私が屈強な肉体を手に入れたならば、それを誇示すべく酒場で誰彼構わず喧嘩を売りまくるかもしれない。そんなことになったら大変なので、私はこれからもスポーツやトレーニングとは距離を置いて生活せざるを得ないのである。
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著者プロフィール
1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124