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Vol.5 マハトマ・ガンジー

世間のイメージでは、演劇のプロデューサーは権力があって気に入らないことがあったらその場で変えられる、と思っている方がいるかもしれませんが、作品へのかかわり方はそれぞれではないかと思います。

なので、これから書くのは、私の個人的な意見です。

藤原竜也さん主演の『とりあえず、お父さん』という芝居を担当した時、冒頭ベッドで裸の状態で寝ている藤原さんが寝ぼけまなこでシーツを身体に巻いて立ち上がり、ふと鏡に映った自分を見ながら「マハトマ・ガンジー?」とつぶやくというシュールなシーンがありました。あの三谷幸喜さんにも影響を与えたと言われているイギリスの劇作家、アラン・エイクボーン作の傑作のコメディ(ミュージカル『天才執事ジーヴス』原題"By Jeeves"の劇作家でもあります)、当然すべてのシーンでお客さんに受けまくるのですが、この「マハトマ・ガンジー」だけは、残念ながら東京公演を通して受けることはほとんどありませんでした。なぜなら、突然日本人が朝起きて、鏡に向かってガンジーの真似をするとは誰も予想できないからです。お客さんは笑うより前に、驚いてしまうのです。

東京公演が終わりツアー公演に行ったある夜、宿泊先のホテルで一緒にお酒を飲む機会があり、話していると藤原さんが突然「あの、ガンジーのところ、どう思う?」と聞いてきました。

自分のプロデューサーとしてのスタンスは、「プロデューサーとは座組において数少ない意見を言えるメンバーの一人なので、自分が思うことはなるべくはっきりと申し上げよう」というものです。でもその意見が必ずしも正しいとは限らないので、言い方には気を付けないとなりません。「プロデューサーがこう言ったから」ということでいつのまにか忖度が生まれ、自然にその意見ありきで現場が動いてしまうことだけは絶対に避けなくてはいけないと思っています。

そんなことを考えつつ、「もしかすると、もう少しやり方があるかもしれませんね」とふわっと答えると、あろうことか藤原さんが「ちょっとやってみて」と言い出し、その場にあるシーツを持って僕が「マハトマ・ガンジー」をやるはめになりました。もちろん、藤原さんは笑いません。それを見た藤原さんは「それは違うでしょう、こうでしょ」と自分がやる。私は笑いません。私もお酒を飲んでますから、調子に乗って「それならこうでしょ」とお互いに理想の「マハトマ・ガンジー」をやり続ける攻防がしばらく続きました。

翌日の公演で、藤原さんが散々練習した「マハトマ・ガンジー」を披露した後の客席の静寂を、私は今も覚えています。やはりプロデューサーは、舞台の中身に口を出すべきではないのかもしれません。