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亡霊恐るに足りず【12日の殺人】
先日観た「落下の解剖学」は今のところ私的今年ベスト映画の文句なし暫定1位ですが、今回観た「12日の殺人」は暫定2位。この2作、舞台は同じグルノーブルという田舎の町で、マッチョな司法の男達から見る女という構図も同じ。そして何と言っても話の落としどころが両者とも素晴らしく、差と言ったらまあパルムドッグを獲得したメッシさんの存在ですかね。止まらないグルノーブルの勢い。もはやグルノーブル派。
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実は「女の子だから殺された」「すべての男性が殺したようにも感じる」というセリフを感想サイトで事前に見かけたもので、まあ「聖地には蜘蛛が巣を張る」みたいな映画かな(それはそれで好き)、なんて漠然と思いつつ観ていたのですが、いやいや話はそこから、そのセリフが出てからがこの作品の真骨頂でした。
まず物語の3分の2くらいは男社会のありがちな風景がこれでもかというほど繰り返し描かれてもう辟易。人に対する決めつけ、若者への心無い言動など、最近現実世界で起きた職場でのいざこざなどが思い起こされ、もう観ていて病気になるんじゃないかというくらいの不快感で、上映中に突然叫ぶかそっと帰るかしそうなるくらい。特に容疑者のひとりであるDV男については、同性の私にすら、開け広げた胸元に生理的嫌悪感を感じさせるほどのマッチョを熱演。いやまいった。それだけに終盤、事件の3年後の展開における解放感ったらないんですよ。
この作品における3年間、もしくは人類史における数千年間においては、もちろんもう戻らない、取り返しのつかない過ちも犯してきたけれど、それでも必ず新しい光は差すということ。Justiceは男と女の間の溝なんて認めない。ひゃっほう、それそれ。もう一度現場を張り込みして見たものにグッと来る。友達との和解や踏み出した一歩。
硬直した社会に新たな要素を加えることで起きる進化と発展。なんと「多様性」という言葉が揶揄にも使われるような昨今ですが、これだよね。