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大日如来わらじみこしまつりを知っていますけども!

まず、体調不良であった。

2024年の年越しを米沢ですごし、その一週間後はその隣町高畠にて行われるとある祭りに参加することを決めていた。

まぁ、わらじみこしなんですけど

お祭りの由来やおじさんたちの、地域の想いはこちらのnoteで思いっきり語っております。今回は日記風に、思ったことをダラダラ書き連ねる形で書いています。

一旦400km以上離れた我が家に帰り、私が何をしていたのかというと、関西にいる友達に会っていた。
色々と今後の予定を考えた時に関西に行けるタイミングはここしかなかった。
約一年ぶりの再会にきゃあきゃあして、帰宅すると発熱していた。

高熱なんて何ヶ月ぶりかしら……

というか、去年の記事を見ると、同じ時期に体調不良で苦しんでいますね。毎年冬になると体調管理が甘くなるらしい。

今年はインフルエンザが爆流行していたり、周囲でコロナがぽつぽつ出てきていたり、「最近の風邪はしつこいからねぇ」と言われていたりもしているのでそのどれかだろうなぁと色々と考えつつ「このままじゃわらじみこし行けないやんけ!!」と半泣きであった。

出発まで三日。内心ヒヤヒヤになりながらも熱が下がってくれることを祈りながら寝ていました。
マスクをして、薬を飲んで、可能な限り寝続けた。

願いが通じたのか、熱は下がり、少し咳を残しつつも、元気に動き回れるようになった。
米沢の友達に連絡すると「よかったー!」と返信が。小躍りしているのが目に浮かぶようである。踊っていない可能性もあるけれど。

わらじみこしと、別の目的もあって米沢にどうしてもいきたかった私。

完全にウイルス対策をして米沢に向かうことにした。
症状的にインフルエンザでもコロナでもなかったので、人には移さないだろうとたかを括り。

幸い、関西の友達にも米沢、高畠の友達にも感染者は出なかったので、私の一人風邪拗らせで終わったので、よかった。
誰にも移さず、元気にお祭りを真っ当できたのであった。

米沢に到着すると、「仕事キャンセルになったから来たで~!」となぜか数日前まで関西で会っていた友達・ミウちゃんと再会し、なんだかんだほぼ毎月会ってるお祭り娘・むぎと、米沢でいちばん息ぴったりのウォンナ・のんぞの四人でとある目的のために夜更かしをしたのであった。

本日のお宿はいつも通り相田さんのお家。

この時以外、米沢で泊まる時はずっと相田さんの家、通称相田ハウス。

こんなにも転がり込んでいいものかと思いながらも、相田さんが「いつでも来いよ!」って言ってくれているのでそれに甘えています。本当にいつでも行っているし、出発の2日前とかに伝えたりもしている。
ペロンペロンに甘えています。

とはいえ帰宅してなんだかんだしていたら午前3時。適当に座布団を敷いてそのまま寝る。
ヒーターのそばで寝れば、多少とも暖かく寝られるもので。床の硬さとかも考えている暇はなし。とにかく体を寝かせるのが優先順位であった。

翌日は早朝から大忙し。わらじみこしの朝は早いのである。

去年もそういえば、みんなどんちゃん騒ぎをしたりして結局夜更かししていたなぁとか思い出す。あの時は人数がなかなか多くて、賑やかだった。
今年は都合で来れない子が多く、少数精鋭になっていた。

風邪気味だった体調もみんなに会う頃には元気いっぱいに。枯れていた声も出続けていた鼻水も引っ込んでいた。これはなんでだろうか。
アドレナリンか、それともやっぱり私にとって米沢が身体の回復ポイントになっているのか。

去年からもうほぼ毎月のように通っているこの山形県米沢市というまちの魅力を、私はまだまだ語り尽くせていない。
そんな場所が日本のどこかに見つかっているなんて、なんて幸せなんだろう。
ここにいれば安心で心も体も元気になるんだから、不思議ですね。

さて、そんな安息の地代表・アイタハウスで寝ていると隣から大声が。

「ごめん! 寝坊した!」

寝坊である。
夜更かし組のガールズはもちろん起きれず、相田さんはどこかで飲んでいたのか起きられず。
朝の御祈祷(朝7時から始まるらしい)の時間に起きてしまった。
時間になっても現れない相田さんを心配して電話をかけてくれた人がいたらしかった。
米沢から高畠までは車で30分くらい。しかもド雪道である。スタッドレスタイヤといえども侮れない。
安全第一で向かっても間に合わないので、開き直ってお札集め(朝8時くらいからスタート)の時間を狙っていくことに。

「やってしまった……」と頭を抱える相田さんと「ちょっと長く寝れた!ラッキー」な私たち。まだまだ私たちはケツの青いガキなのであった。

そういえば去年も御祈祷に間に合っていなかったよなとか思い出しながら、来年はもっと早起き頑張ろう……と思う私であった。
急がねばならぬ。
化粧道具やタオルやらを引っ掴んで、出発であった。

米沢メンバーとしてお祭りにガッツリ参加できるというのはなんとも嬉しいことか。
当たり前のように地域に溶け込めるのは、それまでに積み上げていた誰かのおかげ。その流れのなかの一人であることをなんとなく車の中で感じていました。

祭りというものは、その地域にとっては一年に一度のビッグなもの。そこにある歴史や文化を1日のうちに知り尽くすのは無理だけれど、その場にいることで感じ取れるものは何かしらある。

その「何かしら」を求めて私は今年もわらじみこしに参加するのであった……。

と、格好良いことを言っているけれど、普通に「楽しいから」というのがいちばん大きい。テヘヘ。
この楽しさは、寒さやしんどさを吹っ飛ばす「びっくり」と「面白さ」で構成されているような気がしている。
そこに参加できるというありがたさを「長く寝れてラッキー」でかすめせてしまっていたかもと、思考がよぎっていた。
そんな小さな申し訳なさを抱えつつも、それでも「これから200%楽しんじゃうぞ!」と考えを切り替えた。

まぁ、そういう小さな後悔を持っているだけでも何か表出する態度が変化するだろうし、それを表に思いっきり出すのも何だか違うような気がしていた。

そんなことをうだうだ考えていると眠気はいつのまにか飛んでいった。肌をブッ刺す寒さのせいでもある。去年よりも段違いで寒い。
去年は雪もそんなに積もっていなかったのに、今年はこんもりと雪が積もっていた。

4センチくらい。
しかも、朝の気温はマイナス2度。どこですかここは。そうか雪国か。
というかこの気温が普通なのであった。
どうしてもこの寒さは慣れるものではないらしく、毎度の如く薄着で来ては「サミゥェア」と凍える。学習能力がないとも言える。それもまた一興。
とはいえそろそろ厚着を覚えないと代謝が追いつかなくなって、凍えて本当に固まってしまう。

私は米沢に到着しても、高畠に運ばれても、なおこの寒さの中でさらし一枚で神輿を担ぐ現実を受け入れられないでいました。
去年体験しているからこそ、余計に意味がわからなかった。

「こんなに寒いのに、もっと脱ぐの?」

担ぐために風邪治したんだろうがよ。と、一人漫才をしていると公民館に到着しました。
一年ぶりの公民館は何の変わりもなく、法被姿のおじさんがもうすでに集まっているようでした。
入り口で法被を受け取り、羽織るともう私はチーム・わらじみこしのメンバーである。高畠も米沢も県外も関係ない。お祭りを盛り上げるチームの一員として、がっつり頑張っちゃうぜとアツい想いが込み上げてきた。

去年お世話になった人もチラホラと見受けられます。
意外と忘れないものだなぁとか思いながら、挨拶が始まります。
先に到着していたミウちゃんと、私と地元が近所のトモヤによっすと挨拶して隅っこに身を縮める。お札集めチームと、その他雑用のチームに分かれるようです。

一緒に来たメンバーが次々とお札集めチームに呼ばれ、私とミウちゃんが公民館に残された。お札集めは高畠のまちを回ってお守りやお札、正月飾りを回収する役割がありました。
高畠のおじさんと米沢メンバーがペアでどんどん抜けていく中、取り残される寂しさを感じながらも、
「あんまり無理するんじゃないぞ」
と、相田さんが通り過ぎざまに私の背中をぽんぽんされて、気がついた。

なるほどそうか、本番はお昼から。少しでも体力を温存させてもらえる配慮をしてもらったというわけでした。

風邪が治ったといえども病み上がり。病み上がりとは、治りがけという意味をなす。すなわち、まだ完全体ではないということだ。
確かにちょっと咳は出ているし、声もちょっと元気がない。確かに朝張り切りすぎて午後に倒れたら大変だ……。

ということでお言葉に甘え、お昼まで雑用チームは公民館でダラダラしたり、女子の着替え部屋であるおじさんの家——ナベさん家の掃除をしたりとのんびりゆったり過ごしていた。
ナベさん家には新しい家族、ミックス犬のリュウちゃんがいたのでしっかり友達になってきた。

「ンギャッッッカワイイッッッ」と首根っこを掴む私。もちろんソフトタッチである。

その後、愛犬家二人による「犬のいる暮らし」を熱烈プレゼンされて「仕事始めたら飼おうかな……」という気持ちにまでなった。

お金と、時間の余裕があって、責任が取れるようになったら家族が増えるのも視野に入れておいてもいいのかも知れない。
猛烈な犬派なのでいつかお迎えしたいなぁとはつくづく考えていたので、もしかしたらこれは「ワンコのいる暮らし」の一歩目になるのかもしれない。
と、ワンコの洗礼をうけ、公民館に戻るともうすでに熱燗のセットが始まっておりました。
去年を思い出すなぁ……。

去年は待機組が多くて外の手伝いも行っていたけれど、今回は二人だけなので、むしろご厚意でのんびり過ごさせてもらった。
もしかしたら私が「熱出した!!」と大騒ぎしたからみんな事情を知っていたのかもしれない。
それにしても、あと数時間後にはさらし一枚になるんだぜ……。いまだにその現実が受け入れられないでいた。

去年よりも新しい人と話すタイミングもなく、情報量も少ないが、確実にその場に根付いている感覚があった。そわそわせず、その場にいてもいいんだと思える安心感があったような気がする。

勝手に親近感を寄せているだけかもしれない。なんだかじんわりと「参入者」から「参加者」になっている感覚があった。
お客さんじゃない感じ。去年もそういう一体感があったけれど、より深いところで、焦らなくてもいい感覚があった。

なんだろうこれは……と、公民館でのんびりしていたら玄関から聞き馴染んだ声が聞こえた。
「いやあ、遅くなっちゃった遅くなっちゃった」どよどよと笑い声。

女の子だ。複数人いる。
この声は、絶対に忘れない、忘れるはずもない。

レイナの声!

思わず部屋から飛び出して廊下でレイナに飛びついた。
レイナ、びっくり。
私、涙目。

2024年のわらじ神輿で出会い、そこからだんだん仲良くなって、たくさんのことを話して、たくさん一緒に哲学した友達。

大好きな人。
いちばん会いたかった人!!

いつもタイミングを逃し続け再会ができなかったわけだが、数百キロを飛び越えてようやく、ようやく!
会うことができた!!
と大はしゃぎしていると後ろから頭を軽くはたかれる。
忘れるんじゃねぇとでも言わんばかりの笑顔をみせるマユミさん。どちらも会いたくて、会いたくて仕方がなかった大好きな人であった。
「マユミさん会いたかったオアオアアオ」
会いたい時に会えなくて、私が超絶ピンチの時は心配してくれて、支えてくれて、わらじみこしの時も配慮をしてくれて、もう本当に何から何まで至れり尽くせりで、何から話したらいいんだろうわかんないウワアアアとキャパオーバーになったところで、困惑気味のミウちゃんを忘れていることに気づいた。

そういえばミウちゃんはみんなと初対面だ。

「あの、紹介するね、私の好きな人で——

全部ミスった。

落ち着いて、色々と話したいこともあったけれど、全部「会えた!嬉しい!」でふっとび、なんでもない話をダラダラと続けていた。

もしかしたらお互いの近況とか、語らなくてもいいのかもしれない。
自分が経験してきたこと全部を話す必要はないのかもしれない。過去を話さなくても、触れなくとも、今この瞬間に触れ合って関わっていることが、何よりも幸せなことであった。

あの時ああだった、こうだったって話ももちろんしたかったけれど、それはまた別の日でもいいかなと思ったのだ。

もっとお酒を飲んでからとか、もっと夜が更けてからとか、もっと言葉を紡げてからとか、色々ある。
そんな色々な環境を、この大好きな人たちとだったらいつでも築けると信じているからこそ、「また今度でいいや」と思えるのであろう。

そんな幸せ時間を過ごしているとお札集め組が帰ってきて、昼食の準備。去年と同じ、唐揚げカレーの弁当。ビールが振る舞われたけれど私はセーブ。

そうそう、病み上がりなのである。
淹れたての熱いお茶を飲みながら、カレーを食べる。
むぎやのんぞの話を聞きながらだんだん眠くなってきた。そういえばウチら、3時間睡眠とかじゃん。

レイナは「この公民館の主になるのが目標!」と、人一倍働いている。弁当の他にも漬物を準備したり、お菓子を出したりと大忙しだ。きっと良い主になるだろう……。

米沢メンバーで昼寝なんかしちゃったりしていると、ナベさんに「おぅい、そろそろ~」と起こされる。
あんまり大きい声じゃないのにしっかり聞こえるのっていいよな……と心で呟きながら、準備へ。

いよいよお着替えだ。

去年と同じ要領だからとダラけながら、さらしを巻いてもらう。
もう恥ずかしさとか、何の感情もない。
むしろ遠慮なくお化粧などしている。場に慣れ過ぎている。

さすがに最低限の羞恥心と倫理観とマナーは忘れてはならないなと思いつつも、実家みたいな安心感に抗えずにいた。リュウちゃんもいるし。

「お前、ちょっと太ったな」
さらしを巻いてくれるおじさんが笑う。
去年の体型を覚えているのかぁー!と思いながら、確かに太ったのでぐぬぬとなりながら「寒さ対策ですわ」とアザラシみたいなことを言う。
それでも恥ずかしいので来年(こそ)はそれなりに絞っておじさんをびっくりさせたい。

「ムギは大人びたけど、おめぇ(私)は前髪作ったから幼くなったな」
「そんなぁ、今年で二十代後半戦始まるのに幼いなんて」
「俺の前で年齢の話はダメだ」

マユミさんに前の髪型覚えてもらってるの嬉しいですな

一年ぶりに再会するミナコが、去年参加していた私とムギを覚えていてくれて、はちゃめちゃに嬉しかった。

「みんなツインテールにしよ、絶対可愛いから」
「そうかなぁ」
「そうよ〜〜〜!」

テンション爆上げなミナコは小田切ヒロのモノマネをしてくれた

そんなミナコにそそのかされて、みんなお下げスタイルで挑むことに。
お下げの皆々様、可愛いがすぎる。

「直毛だなぁ、難しいなぁ」と言いながらもレイナが結んでくれたので私は非常にハッピーになった。

手拭いをねじって頭に巻いて、あとは始まるのを待つのみ。

景気付けに日本酒を水みたいに飲んで、いよいよ出発。
前々では日本酒やら焼酎やらの美味しさを知らないままであったけれど、気がついたらぐびぐび飲めるようになっている。
これが大人になるっていうヤツなのかもしれない。

とはいえ、酒の弱さは相変わらずなのでこれはセーブしないと飲み過ぎちゃうヤツだようなぁと心の隅っこで考える。
なんせ、まだまだ私は病み上がりなのだから。

外に出ると、お酒ブーストなのか、心地よい冷たさを感じながら走る。
またちょっと遅れた。

なんか色々と遅刻してばかりだなぁとのんびり考えてしまう。
おじさんが結んでくれた草鞋を踏み締めて、小走り。
去年は寒過ぎて、足も冷た過ぎて、全ての感覚が消え去っていたけれど、今回はどこか落ち着いて周りを見ている。ような気がしているだけであった。

お経の読み上げが終わって、いよいよ神輿を担ぎ上げる。

「女子は前!!」負担の少ないところにマユミさんが誘導してくれる。30人のさらし姿の男女が、300キロの神輿を担ぐのであった。

去年よりも10人ほど少ないらしい。
だがしかし熱量は100倍!

なんだか去年よりも、私はあったかい気持ちでいっぱいだし、なにより楽しいぞ!

慣れもあるのかもしれない。
不思議とみこしも軽い気がするし、今回は元気いっぱいに、そして記憶も全部保持したまま終えられるかもしれない!
と、意気込んでいたら視界の端に水鉄砲を構えたアメリカ・ガールたちが。

それを皮切りに、思ったよりもはやく、思ったよりも多く水が降りかかってきた。

「女子はそんなに水かけられなかった気がする」とか去年の曖昧な記憶を頼りに熱弁していたが、開幕数歩で前方に固まっていた女子はビショビショに。

絶望の顔をした初参加・のんぞがこっちを見てくる。ごめんて。

どれくらいビショビショかと言いますと、ディズニーランドのスプラッシュマウンテン、USJのジョーズとか。
の、100倍くらいの水が頭から降りかかってくるのを想像して欲しい

もしかして、担ぎ手が減って、水をかける人が増えたのだろうか。
みんなも担いでくれぇ……。

わらじみこしでは、健康とお清めを行うために、担ぎ手に柄杓やバケツや水鉄砲などなどで水をかけるのだ。決して嫌がらせではない。

降りかかる水は空中で凍ってしまったのか、身に降りかかる瞬間は痛みが先にやってくる。
それは過剰な幻覚であるわけだが、水は水。
もちろん冷たい。外気は大体2度とか3度。
思いっきりブルルと震えた。その瞬間に私は思い出すのだ。

「なぁーーんでこの寒さ忘れちゃうんだろう!!」

もう絶対来ない。この寒さ、この冷たさ、いつか絶対ヒートショック的なものになって倒れる。
なんで雪国育ちじゃない私が雪国のお祭りに参加していますの?
そもそもすぎる疑問が、突然現れた。
答えは「私がトチ狂っているから」でファイナルアンサーだろう。クウッッ!!ぜってぇに来てやるものか、ぜってぇに忘れてはならぬ、そうやって書き記しておかねば……と心の文豪が顔を出した頃、何度目かの休憩でもう一人の私が顔を出した。

「お祭り、楽しいーーーーーっっっ!!」

そう、楽しいのである。あまりにも、楽しいがすぎるのである。

「なんで雪国育ちじゃない私が雪国のお祭りに参加していますの?」

答えは、この祭りが、楽しいから、なのだー!!

魂の奥底に眠っていたお祭り娘が酒で叩き起こされた。
自分の面白さよりも、誰かの面白さ。
その場で一番のエンターテイメントを考えるテンションぶち上げマンになっていたのであった。

お酒の酔い、その場所の空気、人の表情、いろんな要素が絡まり合って、その場の一番の「最高」を考えることが私の幸せになっていた。

町内を練り歩き、いろんな人の笑顔が見える。
バケツを構えてハラハラしている人を視界が捉えた。
この人は初めて水をかけるのかな、人に水をかけるのはどんな気持ちなんだろう……色々想像するとなんだかとっても楽しくなってきてしまうのであった。

なんだこの感じ。

小さい子供が、たぷたぷのバケツを持ってやってくる。
思わず身を低くして頭を差し出した。
ぶっかけられる水。
冷たい。寒い。絶対風邪ひく。なんて馬鹿なことを。

なんだこの感じ。

それよりも何よりもその子の楽しそうな笑顔と、「よかったね~」と喜んでいる周りと、水をかける/かけられるというお祭りでしか起こり得ない関係性の表出が、あまりにも面白かった。

寒さを誤魔化すために余計に飲みまくった日本酒ですっかり出来上がり、私はベロベロに。

なんだこの感じ!

ことあるごとにレイナに抱きついたり、
水鉄砲のアメリカ・ガール達に英語で絡みに行ったり(I’m very drowningって「酔っ払い」のつもりで言っていたけれど、和訳は「私は溺れています」ですよね。溺れていました。酒に)、
YouTuberっぽい人に「絶対チャンネル見に行きます!」と言ったり(記憶なし。故にチャンネル登録できない)、

※執念の検索によって見つけました。

結構写ってて恥ずかしいので、興味がある人だけ


観に来てくれた友達に「生きてたのね!!キャー!!」みたいなとんでもなくぶっ壊れたテンションで絡みに行ったり(後述するけれど記憶なし)、
最後は神輿の上でハイテンションにカメラにポーズとったりと大変元気なお姿を披露してしまった。

全部ふわふわとした夢の中の記憶である。
もっと派手な記憶だったかもしれないし、もっと地味な記憶だったかもしれない。

ただ、いろんな人に出会い、話し、大笑いした記憶が、あまりにも楽しすぎて強烈なインパクトとして残っているのであった。
カメラで標準を合わせたような記憶ばかりで、全体的な、つながりみたいなものがあんまり思い出せない。

どうしてこうなった??

そんな楽しい時間もあっという間に終わり、ふと我に帰るとまた寒さがやってきた。
慌ててみんなと走って風呂に飛び込む。今回は少人数。
なのでゆったり肩までつかって「ヒュルヒュルヒュル」と魂の抜ける音がした。

外の寒さとお湯のあったかさが絶妙で、火傷しないように体を揉みながら、あったかさを感じるのであった。
「寒いね」「でも、楽しかった」また来年も行こうって思ってしまうのであった。

「行かぬ」と渋い顔をしていた私はもうどこにもいなくて、もう来年の今頃のことを考えてしまう。

ミナコの首にはじゃらじゃらと木札がかかっている。
毎年もらえるお祭りの木札だ。私も去年の分を首から下げて、新しいものももう下がっている。札には干支が印刷されていて、紐はその動物のモチーフカラーである。
去年は辰年で深いグリーン、今年は巳年で淡いグリーンだった。

来年は馬だから茶色?いやでも猿とか猪も控えているから何色なんだろう?と、考えると全干支コンプリートしたくなってきた。
ぐるっと一周。12年。
2年分はもう出たからあと10年。あっという間の10年だろうか、それとも長い長い10年になるだろうか。

わからないけれど、それでもどうせ来年の私も「もう来ない!でもやっぱ楽しいから行く!」ってなっているだろうし、それをあと10回繰り返すだけなのかもしれない。
そう考えると干支一周なんてあっという間だな。
もう一周したくなっちゃうのかもしれない。

お風呂に入って、しばらくすると、今度はお斎灯焼きのための松明パレードへ。
水こそかけられないものの、日の落ちた町内を松明片手に練り歩き(時に駆け足)、最後は朝から準備していた正月飾りと竹のタワー、お斎灯を松明で燃やすのである。

さらし姿で外に出ると、今度こそ痛みを伴う寒さがやってくる。
「もう無理!出たくない!」と縮こまる私の手を取り、連れ去るミナコ。さすがである。
松明の近くにいると、暖かいから、少しの間寒さを忘れる。
とはいえ近づきすぎるとあまりにも暑すぎて「ウワオッ」となってしまうので注意が必要。

さて、夜の御祈祷が終わると、いざ出発!
元山大生で二年前のわらじ神輿に出た経験のあるタツキと、タツキに連れられて「なんか面白そうだから来た」コーセーとワッチャワッチャしながら練り歩く。今度はシラフの時に会いたいものだ。
あまりにも寒いし、雪で滑らないように、火も消えないように慎重に進む。「わっしょい!」の声も忘れずに。
寒いし、というか、寒さの感覚すらも怪しいけれど、一周を回って松明をお斎灯につけた時、一気に炎が燃え上がって私たちの顔を熱く照らした時、ものすごい達成感に包まれたのであった。

すげぇ、熱い。
楽しい。
なんだこれ。
この「なんだこれ」の感動がすごく大きくって、楽しくって、アツくって、好きなのだ。

燃え盛る炎を見て、「来て良かったなぁ」と心から安心するのであった。
別にこの場所に私なんて者がいてもいなくてもお祭りには関係ないのだけれども、私の意思でこの場を選んで、私の気持ちでこの場の人と関わりを持てていることが、嬉しくて仕方がないのであった。

すんごい炎

大盛り上がりで帰ってきて、着替えをして、またくつろぐ。
大団円は公民館で打ち上げだ。

それまでの時間、酔いつぶれてしまった友達を心配したり、リュウちゃんと遊んだり、高畠のことを語ったりとそれぞれの時間を過ごす。

私は以前としてベロベロだったのでリュウちゃんに絡みつく。

木札をギュッッッってしてるのが可愛いですよね。このあざといお顔があまりにも可愛いがすぎる。

迫真の顔面で木札に齧り付くリュウちゃんに「こら~ジャーキーにするぞ~」と意味不明な恐喝をしながら齧らせ続ける私。

ジャーキーを緊急回避するリュウちゃん。可愛いねっっっっっ。

あとは背中に乗せたりしたり遊んでいた。
愉快な友達が増えたもんだ。
また来年、リュウちゃんに会うためにも来なきゃなぁ。

打ち上げは、また楽しくて、ミナコの仕事の話を聞いたり、米沢に住むお姉さんの、高畠でのご縁の話を聞いたりした。

私はベロベロに酔っ払いながら過去のことを話してみたり。ずっとベロベロですね、この人。

レイナとも、ミナコとも、たくさんの話ができた。それからお別れの時間が来て、またちょっと寂しくなってしまう。

「また来年待ってるよう!」の一言で、どうしようもなく嬉しい気持ちをもらって、また会いに来なきゃ、またここに来なきゃ、と思うのであった。

こんなにも「またね」が辛い人がいるなんて、なんて僕は幸せなんだ……ってプーさんが言っていた気がする。私も同じ気持ちだ。
来年を知っているし確信しているからこそ、「またね」が言える。
永遠にこない「またね」じゃないって信じているけれど、もしかしたらこの別れで最期になってしまうかもしれない。そんなの悲しすぎるし寂しすぎる。
そんなにも別れが惜しい、大切な人がいるって、なんてなんて素敵な事なんだろうと思うのだ。

レイナもミナコも、マユミさんもナベさんも大好き。
「また」が来月なのか来年なのか、何十年後かなのかは今この瞬間にはわからない。
けれど、好きだから、超大切だから、それを「またね」にしたい自分がいるのであった。私が「またね」にしたい人が、同じ気持ちだと嬉しいな。

同じくベロベロののんぞと半分潰れ、半分元気でいながら、比較的元気な残りの米沢メンバーが私たちを引きずって、帰路につくことができた。
たくさんのヤクルト1000と、一人一本の記念のお酒をもらって、帰ることにした。

もうほとんど記憶をなくしながら、帰りの車で米沢に住むお姉さん…マミさんの話を聞く。
恋だったり愛だったり、結婚だったりの話。私はどちらもまだまだわからない。
わからないけれど、わからないなりに、誰かと関わって、知っていくものなんだろうなぁとぼんやり思った。

夜はあまりにもへとへとで、みんな即就寝……とはもちろんならず、少し話をする。

酔いつぶれた友達がすごく凹んでいたので、私の大失敗飲酒話を、相田さんがする。相田さんが、する。まぁ、相田ハウスでぶちまけてしまったという話なんですが。
自分の家を汚されても、こうやって面白話として昇華できるのも一種の才能だよな、と思う。

私は私で恥ずかしいのだけれども、まぁゲロの一つや二つ、成人していたらなんてことはない。吐いて強くなるのである。メンタルとかが。

一回やらかしたらもう二度と繰り返さないように反省するのみ。
次はないぜ!みたいな酷い失敗はないので(どれもポップな失敗なので)、そういう事に陥っていないことをラッキーに思いながら、それでも面白話として受け取ってくれている相田さんにはハイパービック感謝しかない。

それで友達も元気が出たらしく、いつもの調子に戻っていた。
よかったよかった。

わらじ神輿はこれにて終了!去年よりも大きな一体感と、大事にしたい気持ちをもらいました。

これで帰る……こともできたが、私たちにはまだやり残したことがあった。

相田さんへサプライズ

第二章である。
実は、わらじ神輿の前日と後日を使って相田さんの50歳バースデーをお祝いする企画を暗躍していたのであった。
主導はのんぞ。
年の節目をせっかくだったら盛大に祝いたいんだよねと相談を持ちかけられていた。

わらじ神輿で人が集まるから、その時にサプライズでお酒とアルバムを渡すのがいいね、と。

その日は関西でミウちゃんと会っていたものだから、3人で計画を進める。
「どうせだったら、みんなもお祝いしたいんじゃね?」
誰かの発言から「グループに招待しまくろう!」「お祝いメッセージのテンプレ用意して項目埋めてもらおう!」とポンポンアイデアが膨らんで、実現していった。さすが文殊である。

その日から全国の、相田さんにお世話になったピーポーを集めてメッセージを募った。

米沢に到着した人たちでメッセージを手書きで複写し……。アルバムを用意して、直接書ける人にはお願いして書いてもらう。

風邪で米沢に前々乗りすることができなくなり、「このまま病欠はイヤッ!」と這ってでも行きたかったのはこれを決行したかったのもあった。

めっっちゃ時間をかけ、それでいて相田さんに勘付かれないようにしながらみんなでうまいことうまいこと時間を作り(相田さんが寂しそうだった)、サプライズを決行することに!

わらじ神輿の次の日、むぎが相田さんと竹あかり(来月は雪灯篭祭り!大忙し!!)の作業で出る間に私、のんぞ、ミウちゃんの三人でmamenokiへ。

ここはあったかい空気と、秘密基地みたいな内装が素敵なお店。
これで通うのは三度目くらい。何回来てもドライフラワーの良い香りは変わらない。

ランチセットのオムライスを食べながら段取りを始めて、段々数時間のうちに終わらせるべき作業量を確認して、「これは終わるのか…?」という空気の中、いろんな話をしながら作業にとりかかる。
そして気付いた。

「これは三人では終わらない」と……。

ミウちゃんが「もう人の顔見たくない!」と叫ぶくらいみんなの写真を切り抜いて、ノンゾが「絶対間に合わないかも!」と泣くくらい動画を編集していて、私が「レイアウト決まりません!」と頭を抱えるくらいアルバムの整理をする。

相田さんへのメッセージが数日でこんなにも集まったのが、かなりびっくりである。なんとその数全国のメンバーで23人。
米沢メンバーを含めたら30余人。大変に大所帯なアルバムだ。
こんなにも祝われる50歳がいるだろうか。

これはなんとしても大成功させたい!
できないじゃない、やるんだー!とかけ声。

いろんなところから助っ人を呼びかけて、卒論で大忙しアベちゃんと笑顔が超絶素敵なアイちゃん、修論で大忙しトモヤ、と続々と到着して四人がけの空間にぎゅうぎゅうになりながらみんなで作業を進めていった。

タイムラプスからのスクショ。これはアイタのAの文字。
(昨日のお祭りにもアベちゃんは見にきていた)(私はとんでもなく絡みにいったのですが、覚えていませんでした(アベちゃんは覚えていた))

ミウちゃんが切った写真をアベちゃんが選別し、アイちゃんがみんなの名前をアレンジして、トモヤが糊をつける。
私がそれを貼って、たまにノンゾに指示を仰ぐ。

ノンゾは動画を編集して、細かいこだわりも入れている最中。やはりクリエイターは何かをつくっている時にしか出せないオーラがありそうだ。

のんぞはYouTubeで活動していたりもする。

なんとか閉店ギリギリに完成させて、相田ハウスへ引き返す。
相田さんと一緒にいたむぎが、逐一相田さんの行動を教えてくれて「そろそろ誤魔化しきれないかも!」と連絡してくれたからデットタイムを設けられたのだ。
むぎがいなかったらサプライズまで到達しなかったかもしれない……。
全てのところでみんなが役割を持って、一人一人動いていた。

「相田さん、お寿司食べに行っちゃうかも!」むぎからの連絡に、「せめて5分だけでも!」と相田さんを引き留める。

アイちゃんを始めとするフルメンバーに、サプライズを聞きつけた相田さんの甥っ子マサトォとその弟もやってきて、相田ハウスはかなりの大所帯に。
「なんでこんなにいるの……」とタジタジの相田さん。

さっきまでみんなに怪しいそぶりで「ちょっと今日忙しくて~」とされていたのに、びっくりされておりました。

さて、サプライズ作戦はこうだった。
二年前の雪灯篭のニュース番組が発掘されたから見よう、とみんなで見る会をセッティング。
それから、ニュース番組を見ていると突然画面が切り替わり、相田さんのスライドショーが始まる。
何かを作っているような動画が流れ、豆の木で全員が作業をしているタイムラプスが流れて、最後にプレゼントを持ったアベちゃんが部屋に乱入、と。相田さんが「アリガトー!」と感極まっている最期の最後にマサトォ兄弟がクラッカーをぶっ放して大成功、と。

最後の最後まで動画を作り、調整してくれたのんぞが先に部屋に入り準備を進める。
なんとなく相田さんをのろのろ引き留めながら、「みんなで見ようの会、したくって!」と部屋の座布団を敷いてそれっぽくシアターのようにしてしまう。

二年前の雪灯篭といえば、私も初めて参加したお祭りだったなぁとしみじみ。
相田さんのインタビューと、当時のアクセルリンク代表コバ、そしてのんぞがそれぞれ雪灯篭祭りに対する想いや、竹あかりと米沢の関係を言葉にしている。
うわぁ、懐かしい。私も引き込まれていると、カットが入った。

サプライズムービーが始まり、「え!? なにこれ!?」と大慌ての相田さん。

緊張しっぱなしののんぞ、イントロから号泣している私、もらい泣きしたミウちゃん。
カオスだ。

映像が終わると、アベちゃんの入場。
テンパる相田さん。
アベちゃんの手にはみんなのお誕生日メッセージがびっしり書かれている青森のお酒「青天の霹靂」。お米もあるよね、確か。

さらに矢継ぎ早にアルバムのプレゼント。表紙はのんぞ、背表紙はノドさんの力作だ。

クリソツである。

アクシデントなく、全てのサプライズができて、相田さんからも一言もらう。

「もう、パニックすぎて、全然わからない……もう一回見たい!」

なるほど、確かに情報量が多すぎたよな。一通り見終わると、ようやっと把握できたのか、「みんな、もう、本当にありがとうっ!」とめっちゃ嬉しそうに、幸せそうに、想いの丈をぶちまけてくれました。
うわぁ嬉しい。人を喜ばせるのってこんなにも心が満たされるんですかと、心の中にキラキラした感情が芽生えた。

「俺、やっぱ今日はみんなと飲みたい!」と、先約をキャンセルするために家を飛び出す相田さん。
こういうパワフルなおじさん、すごく胸を打たれてしまう。

元気に断りに行っている間に、みんなで「よかったねぇ」と胸を撫で下ろし、全部の進行をリードしてくれたのんぞに感謝を述べる時間に。
のんぞが発案してくれなかったらこんなにメンバーが集まることもなかったし、誘ってくれたからこの場にいることができた。
ほんとすげぇ奴。みんなを巻き込んで、役割を割り振って、一人一人の良いところを良い分だけ引き出すのって早々にできることじゃないもんなぁ。

ここで、修論、卒論で大忙しのアベちゃん、トモヤ、アイちゃんが帰り、夕飯を買いにのんぞとミウちゃんが出る。

むぎとアルバムの最終調整をして、改めて相田さんにプレゼントして、飲み会が始まった。

誰かのサプライズをするのってやっぱり楽しい。

相田さんは、嬉しそうにずっとアルバムを眺めていた。
「ダメだ! みんなと話したいのに! ついつい読んじゃう!」

北は米沢南は島根まで(かな?)。相田さんの裏表ないそのまんまの姿に何人の人が救われたんだろうか。私はその一人。

自分の思った事をそのまま言うことが、「そのまんま」ではない。
自分の感じた事をそのまま表現することが、「そのまんま」ではない。
相手を思い、相手に届くを考えて、発する。
正直なエネルギーを、忖度で加工せずに、相手に伝える事を第一に考える。
欲とか、自分が得してやろうみたいな邪な心を(そりゃ多少はあるだろうけれど)届けない、そういう言葉を発するのって、すごく思慮深い行為じゃないかなと思うのだ。

相田さんがアルバムを捲るたびに、「好きやなぁ」と思う。
素直に、好きであると思え、認めることができるのがとても幸せなのだ。

相田さんがしんみりしているので、私たちは昨日のわらじみこしの振り返りをしたり、明日の計画を立てたりと、普段通りキャッキャと話していた。
気がついたらあっという間に真夜中に。時間を忘れて話すことができるのは、とっても幸せだ。
数百キロの距離を感じさせない友達がいること、本当に嬉しく思う。

ちょっと余談
みんなが寝静まる頃に、酔っ払った相田さんに「さよには人の痛みがわかるパートナーができると、いいなぁ」とポツリとつぶやいたのを聞いて、涙が決壊。
まだ起きていたノンゾに泣きついて、慰めてもらった。
ちなみに、その泣き声でミウちゃんが起きた。

こういう、何気ない言葉がスルッと出るような人になりたいな

きっと翌日には覚えていないんだろうけれど、心の中で相田さんはいろんな人のことをずっとずっと考えているのだ。

だから大好きだし、何度でも会いたくなる。
米沢が実家みたいな気がしている、きっとみんなそうだ。
だからたくさんの人がお祝いをするんだろう。

米沢の、高畠の、私が「好きやなぁ」と思う人は、みんな美しいのである。

何かのために一生懸命な人は美しい。
誰かのために心を砕く人は美しい。
その美しさをみるために、私は米沢に行くのかもしれないね。

思いっきり泣いたのがトドメとなったか、私の声は枯れ、一月下旬現在もオダウエダ植田ボイス、もしくはビートたけしボイスで過ごしている。
一回壊れたものは治すのに時間がかかる。
治るんでしょうかね。

翌日はむぎ、のんぞ、ミウちゃんと福島までドライブをして、そのまま新幹線に乗って帰っていった。
私は中部、ミウちゃんは関西へ。
車でカラオケ大会したり、新幹線を見逃したり、電話で相田さんに送り出してもらい、ギリギリまでむぎとのんぞが見送ってくれて、東京の乗り換えでミウちゃんとはぐれながら解散し、私たちはまたそれぞれの日常へと戻っていくのであった。
やっぱり米沢も高畠も、第二の故郷だぁ。

この数ヶ月は高頻度で帰っていたけれど、きっとこれから(雪灯篭以降?)は、頻度が落ちていくだろう。

私はまたやりたいことが、できてしまったので。
故郷に帰るのはまた数ヶ月間が開くけれど、またあの場所で待ってくれている人の事を思い出して、頑張り続けていきたい。

「またね」がいつになるかはわからない。
思ったよりも早く再会できるかもしれないけれど、それがもっと先の未来になるかもしれない可能性だってあるだろう。

もっと先になったとしても、また同じように「会いたかったよー!」「待ってたよ!」と伝えられたら、とってもハッピー。
そんないつかのハッピーを楽しみにしながら、今日も頑張ろうと思うであった。
いつかのためのハッピーを心にしまっておくというのは、存外自分の心を豊かにするものなのかもしれない。


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堀尾さよ
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