おかえりモネと東洋の哲学

おかえりモネのことばかり考えている

連続テレビ小説「おかえりモネ」がどんどん面白くなっている。
最近はもう続きが気になって気になって気もそぞろな私。
放送のない土日の長いこと長いこと。
正直勉強どろこじゃない。(おい)

見ようと思ったきっかけは、主題歌がBUMP OF CHICKENだったから。
私は中学の頃からかれこれ15年、バンプの音楽を聴き続けている。
5月から中医学の研修塾に通うから、これを機に朝出かけるギリギリの時間まで寝てしまう癖を直したいし、
リアルタイムで朝ドラを見るのを目標に、起きる時間を設定しよう!
そんな軽い気持ちで見始めた。

結果、8月現在ほぼ欠かさず毎朝起きて見ている。完全におかえりモネを見るために起きている。
つい一年前まで、家を出る10分前まで寝ていた私が、である。

あぁ、終わらないでほしい…
NHKの発表では10月末で終了予定なので、あと一か月ちょっとしかない…
11月から何を目的に朝起きれば良いのだろうか…(勉強するためという目的を忘れている)
Twitterで #うちのモネ や #俺たちの菅波 を検索して
「ああああ!あそこ良かったよねえええええ!!」
「なるほどあれはそういう演出だったのか見返さなきゃ!!!」
「うわあああそれ良い妄想ですううううスピンオフで見たいいいいい!!!」
とかずっとやっていたい…

いかん、つい感情がだだ漏れてしまった。

さて、おかえりモネの好きなところはたくさんあるのだけど
(登場人物のあたたかさ、心理描写や関係性の描き方の丁寧さ、光や音楽の美しさ、などなど)
今回は私が今学んでいる中医学に通ずる部分について書いてみようと思う。

おかえりモネに見る、整体観念と陰陽学説

主人公、永浦百音は気仙沼の島に生まれ登米で林業を経験する。
そんな中、気象予報士の朝岡と出会い、空と海と山が全部水で繋がっていることを知り、気象の仕事に惹かれていく。
この「空と海と山が繋がっている」という考え方が、中医学の根底にある「整体観念」そのものだと思うのだ。

整体観念というのは、
人間を含む世界のあらゆるものはすべて繋がっていて、絶えず影響しあっている
という考え方だ。

例えば、森の中にある一本の木が枯れかけてるとする。
このときに、その枯れかけた木だけを治療するのではなく、
栄養をもらうための土の状態はどうか、
水分が十分かどうか、空気が澄んでいるか、
周りの木の状態はどうか、
そうやってその木を取り巻く全てのものが影響を与えていると考える。
これが整体観念。(たぶん)

山や海で暮らす人々は、この「繋がっている」ことを本能的にわかっている。(そういう描写が多いと感じる)
機能的で便利な生活が当たり前になってしまった今、こういう感覚が薄くなっているということを教えてもらっているような気がする。

さらにもうひとつ。
登米でモネの面倒を見ていた山主のサヤカさんが、能を舞うシーンがある。
サヤカさんはモネに「舞を舞うことは、能では物事の陰と陽のバランスを整えること」と話すのだが、
これも陰陽学説といって中医学の根底にあるものなのだ。

陰陽学説は、
世界のすべては陰と陽に分けるとこができる
という考え方。
この陰陽というのは相対的なものなので、無限に分けていくことができる。
例えば、昼は陽、夜は陰と分けられるが、
昼だけを切り取れば夜明けから真昼までが陽、真昼から日が落ちるまでを陰という風に分けられる。

陰と陽は、それ単独で存在することはできない。
それぞれが強くなったり弱くなったり、ゆらゆらとバランスを変えながら、
片方に極端に偏りすぎないように、ともに存在している。
(Twitterの感想の中に、モネと菅波先生の関係性を陰陽に例えている方もいらっしゃって胸が熱くなった…あぁ、良い…)

おかえりモネでは「この問題に対する絶対的な正解はこれだ」というような物事の描き方はされていない。
一つの物事について、それに対する考え方が様々な立場から語られる。
そんな中で、モネをはじめとした登場人物たちが葛藤し続けながら、自分なりの道を見つけていく。
陽であることも陰であることも押し付けられない。
どちらも抱えたまま、自分だけのバランスを見つけようとする様が丁寧に描かれている。
そこがとても心地良いのだ。

明日の放送分からは、モネが中継キャスターとしてデビューし、
自ら情報を発信していく立場になっていく。
そんな中でまたきっと躓くこともあるのだろうけど、
ドラマの温かい世界観の中で、葛藤しながら進んでいくモネの姿を、最後まで見届けたいと思う。

あーーーでも終わってほしくないーーーー!!!!!

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