「ディープな維新史」シリーズⅦ 癒しのテロリスト❹ 歴史ノンフィクション作家 堀雅昭
西野文太郎
陸上自衛隊山口駐屯地近くの真言宗寺院の神福寺を訪ねた。
本堂の裏手の山が墓地になっていて、目的はそこに鎮座する西野文太郎の墓参りである。
明治22(1889)年2月11日の憲法発布の式典当日の朝、永田町麹町区永田町の文部大臣邸にいた森有礼を訪ね、その場で森を刺し殺した青年こそが西野であった。
この話は国学院大学教授の中西正幸が『伊勢の宮人』で詳細を記している。
それによると西野が面会を求めたとき、森は大礼服姿だったという。高御座で明治天皇が勅語を下し、それを黒田清隆総理大臣が受ける憲法発布式に文部大臣として主席するためであった。
その姿で森が階下に降りて来たタイミングで西野が応接室から飛び出し、森の腰部を抱えて右手に持った出刃包丁で右下腹部を突き刺したのだ。西野はその場で護衛に斬り殺され、森も翌日、息絶えた。
興味深いのは森文部大臣暗殺に際して西野が携えていた斬奸状の中身であった。
そこには森が皇室最高の神を祀る伊勢神宮に参拝した折、「靴ヲ脱セズ杖ヲ以テ神簾ヲ掲ゲ其ノ内ヲ窺ヒ膜拝セズシテ出ズ」と記されており、これを暗殺理由としていたのだ。
靴を脱がず、杖で神簾を持ち上げて中を伺っただけで参拝せずに出て行ったというのは、むろん欧化主義者の森に対する比喩に満ちた悪口であろう。背景には尊皇攘夷で多くの犠牲を払って新時代を迎えたにもかかわらず、幕を開けた新政府が欧化一辺倒にすり替わえられた恨みがあったとみるべきだ。少なくとも、多くの民衆も、そう感じていたのだ。
暗殺は、時代の裏切りへの憤りだったという証拠に、斬奸状には「文明開化ト称ス」欧米主義によって「皇室尊奉ノ精神、漸ク将ニ萎靡(いび)スル」との不満が記されていたことでもわかる。
かつて脱隊兵騒動を扇動した大楽源太郎や明治9(1876)年の萩の変を首謀した前原一誠と同じナショナリズムの延長線上に、西野もいたようだ。簡単に言えば、明治のグローバリズムに抗する反時代的精神の発露として、西野は森の暗殺に踏み切ったのだ。
だからであろうか、西野の人気は日本中で絶調だった。
よくやったという拍手で迎えられたのだ。
出身地の山口県では、なお一層のフィーバーぶりで、山口県文書館には西野の義挙を称え、鴻城新聞社が発行した記念絵葉書が「其一」から「其四」まで保管されている。
例えば「其一」はイケメン風の西野の肖像写真だ。
ちなみに、この肖像写真の原本は宇部市厚東の井上家(井上春彦さんのお宅)に残されている。士族の西野家が、持世寺(温泉)の鍵元だった旧家の井上家と親戚関係にあったからだ。
「其二」は「山口町神蓮寺境内」の西野の墓の写真である。
墓を絵葉書にしてどうすると思うが、当時の人気の証であろう。
また、この墓は鎮座していた「神蓮寺」が現在の神福寺であった。名称変更の理由は、昭和8年版の『山口市史』に大正5(1916)年5月に、神蓮寺と妙福寺が合併して神福寺になったとある。
そして「其三」が西野の遺墨だった。
もはや偉人の扱いだ。
最後の「其四」が一番面白い。驚くなかれ、斬奸状と暗殺に使った出刃包丁の写真が堂々と掲載されている。
西野の墓は最初、谷中(東京都台東区)にあったようで、明治22(1889)年2月24日の『読売新聞』は「別品の墓詣」と題し、「西野の墓にハ香華を手向ける者絶ず 中にハ年まだ若き令夫人とも覚しきが回向するを見受し者ありし」と報じていた。
芸者の墓参りが多く、人気も衰えることなく、『西野文太郎略伝』(佐野金之助発行)、『古今百家伝西野文太郎』(浅賀鉄次郎発行)、『故西野文太郎辞世』(鶴田富三発行)、『西野文太郎君肖像』(小河寅松発行)などの評伝書籍も次々と出版された。西野は、テロリストのアイドルだったのだ。
これに対して政府が黙っているわけもなかった。
「治安に妨害あるものと認め昨十三日 内務大臣より其発売頒布を禁止されたり」と明治22年3月14日の『読売新聞』が報じている。
つづいて、5月26日には、神田の西貝徳之助が発行した『西野文太郎略伝』も発売禁止にしたとの記事が見える。テロリストの西野関連の出版物が出されては、それを政府が発禁処分にしていくという状況が続くのだ。
神福寺の墓地を歩き回るうちに、中ほどに「西野家の墓」を中央にして、向かって左手に「西野文太郎之墓」、右手に「西野義一夫婦之墓」と刻まれた堂々たる3基の神道墓を見つけた。 実は西野義一が文太郎の実父で、山口の豊栄神社の神官であった。
前出の『伊勢の宮人』によると、旧長州藩士の西野義一は豊栄神社の境内に別殿に毛利敬親を奉祀する尽力もしたと記されていた。
まさしく憂国のテロリストだったのだ。 尊皇攘夷で討幕を成し遂げた長州藩主を祀る神社神官の息子のテロリズムは、グローバリズムの暴力にくさびを打ち込んだ英雄として、民衆の支持を得ていた実際が見えてくる。
その意味で、 山口市の神福寺は反グローバリズムの聖地なのだ。
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