2004年の記憶 欧州選手権と長谷部誠 ~南アフリカW杯へと続く物語~
プロローグ ~危機の最中、一条の光明~
Jリーグの再開が決まった。
危機が過ぎ去ったとは言い切れない状況だが、サッカーのある週末が戻ってくることに喜びを隠せない。
振り返ると、この間、良いこともあった。そのひとつが、過去の試合映像の公開が進んだことだ。
浦和レッズで言えば、2006年J1最終節のガンバ大阪戦が、NHKとDAZNで放映された。ご存じの通り、初めての、そして唯一のリーグ優勝を決めた試合だ。
当日はスタジアムにいたので、フルマッチで映像を見た記憶は薄いのだけど、やっぱり最高だった。特に後半38分、岡野と坪井が交代で入る場面でのWe are REDSは本当にしびれた。
JリーグのYouTubeチャンネルでやっていた、原副理事長と、当時の両チームの選手とのZOOM飲み会も楽しかった。トークではガンバ勢に完敗していたけれど。
この他、国際サッカー連盟(FIFA)は男女のワールドカップを、日本サッカー協会(JFA)も日本代表の親善試合を、それぞれYouTubeで公開している。
毎週、国内・海外で試合があったら、こうはならなかったのではないかと思うが、落ち着いてからもぜひ継続してもらいたい。
色々漁っていたら、欧州サッカー連盟(UEFA)が、2004年の欧州選手権(EURO2004)でのオランダ対チェコの試合を公開していることを発見した。
僕にとって、EURO2004は「海外サッカー」のデビュー戦。眠い目をこすりながら、空が白んでくる中で見た、最初の大会だ。
その中でも、このオランダ対チェコの試合は、強く印象に残っている。試合内容はほとんど覚えていないが、眠気も吹き飛び、とてもわくわくしたことを覚えている。
今日は、16年ぶりに見るこの試合をきっかけに、思い出を綴りたい。
初めて見た欧州選手権
EURO2004が開催された当時、僕は大学に入学したばかりだった。そして、第2外国語に選んだドイツ語のクラスで、サッカー好きのクラスメイトと仲良くなった。
彼はロンドンに住んでいた事もある帰国子女。マイケル・オーウェンが好きで、イングランド代表、そしてリヴァプールのファンだった。
一方の僕は浦和レッズのサポーター。お互いに、自分が知っているサッカーを語り合った。
その友人が薦めてきたのがEURO2004だった。今ほど手軽に海外サッカーが見られない時代だったが、この大会はTBSが一部の試合を中継してくれていた。
「サッカー好きなのに、EURO観ないとか、人生損してるよ!」
そこまで言うならと、早起きをして見ることにした。
衝撃を受けた。
ひとつひとつのプレーのレベルの高さもさることながら、何よりもシュートレンジの広さに驚かされた。
そこから打つんだ!しかも入るんだ!
特に強烈だったのが、大会ベスト4のオランダ代表。ウィンガーを置く攻撃的なスタイルに魅了された。好きだったのは、アリエン・ロッベンとエドガー・ダービッツ。弱冠20歳のロッベンは、スピードに乗った仕掛けやパンチのあるシュートが凄かった。一方のダービッツは、ゴーグル姿が目立つ上、その運動量と闘う姿勢が格好良かった。
もう1チーム、印象に残っているのがチェコ。必ずしも強豪という認識はなかったが、同じく準決勝に進出。パヴェル・ネドヴェドやトーマス・ロシツキーのプレーは魅力的だったし、身長202cmのヤン・コレルはでか過ぎた。相手DFが頭で競りに来たボールを胸でトラップするシーンは、まるで漫画のようだった。
このオランダとチェコは同組(グループD)で、グループステージで激突しているのだが、この試合を、UEFA.tv(UEFAが提供するネット放送)にて、フルマッチの映像で見ることが出来る。
16年ぶりだが、やっぱり面白かった。サッカーは日々進歩しているけれども、今観ても十分に楽しめる。
あらためて見直して目に留まったのは、オランダのフィリップ・コクーと、チェコのミラン・バロシュ。
コクーは、メンバー発表では4-3-3のアンカーと表示されていたが、守備とビルドアップの局面では、3-4-3の3バックの中央だった。相手を押し込んだ時には中盤に上がり、ダービッツとセードルフを高い位置に押し出す形だった。
今でこそ、攻守でシステムを変えることは一般的だが、コクーがいた2004年のオランダ代表は、16年前に既に可変型システムを実践していた。
一方のバロシュは、この大会の得点王に輝いた選手。ただ、得点能力以上に、ボールの引き出し方が絶妙。上背はないのだけれど、よく収まる。相棒のコレルも当然ボールを収められるので、攻撃が安定する。
バロシュの当時の印象は「よく点取るな」程度だったので、この16年間で自分のサッカーを見る目が養われたことを実感した。
ただ、やっぱり不満が2つある。
まず、前半29分のウィファルシのプレー。あれはファン・ニステルローイに対するホールディングで、オランダにPKだっただろう。この日は手を使ったらすぐ笛吹いていたのに、ペナルティエリア内では基準が違ったように見える。
そして、後半14分のロッベンの交代。コンディションとかあったのかもしれないけれど、守りに入るのが早過ぎた。
まぁしかし、これらの不満を差し引いても面白い試合だった。
余談になるが、オランダ代表には、ファン・ニステルローイ、ファン・デル・サール、ファン・デル・ファールト、ファン・ブロンクホルストなどがおり、オランダ人には”ファン"(van)が多いことを学んだ。
1998年のワールドカップでは、クロアチアに〜ッチさんが多いことを知ったように、サッカーは世界を学ぶきっかけにもなる。
ルイ・コスタと若きスター達
EURO2004の開催国はポルトガルだった。地元開催で躍進が期待されたが、必ずしも下馬評は高くなかった。
しかし、黄金世代のルイス・フィーゴやマヌエル・ルイ・コスタに、19歳のクリスティアーノ・ロナウドが加わったチームは、準々決勝でイングランドを、準決勝でオランダを破り、決勝に進出。最後は伏兵ギリシャに敗れるという波乱の結果となってしまったが、魅力あるチームだったと思う。
個人的にルイ・コスタには惹かれた。典型的な10番、トップ下の選手。現代サッカーでは絶滅危惧種になりつつある、ファンタジスタという人種だ。大会中、ブラジルから帰化したデコにポジションを譲り、交代出場が多かったが、なんだか印象に残った。
ちなみに、今年のサッカー本大賞受賞作『欧州 旅するフットボール』には、「リスボンでルイ・コスタと10番について語る」という一編がある。先日の書評ではさらりとしか書かなかったのだが、これがとても味わい深いので、是非おすすめしたい。
また、クリスティアーノ・ロナウドのみならず、この大会には若きスター達が揃っていた。
オランダには、ロッベンに加えて、ファン・デル・ファールト(21歳)や、後に長友の親友となるスナイデル(20歳)がいた。
イングランドでは、18歳のウェイン・ルーニーが、マイケル・オーウェンと新旧ワンダーボーイの共演を果たした(友人は興奮していた)。
ドイツのルーカス・ポドルスキとバスティアン・シュバインシュタイガーはともに19歳。シュバインシュタイガーは名前が格好良すぎてすぐ覚えた。
チェコのロシツキーは23歳で、スウェーデンのズラタン・イブラヒモビッチは22歳で、それぞれ10番を背負っていたし、スペイン代表の9番は20歳のフェルナンド・トーレスだった。
この時に覚えた選手たちは、僕がその後のサッカーシーンを楽しむ礎となった。
奇跡は色褪せない
海外サッカーの魅力を知ったEURO2004から1年後、あの友人が再度、「これを観なかったら人生損する」という試合を薦めてきた。
それは04/05シーズンの欧州チャンピオンズリーグの決勝。
友人が大好きなリヴァプールが、ACミランと激突した試合だ。
この時まで欧州CL決勝を観たことはなかったが、両チームとも、EURO2004に出た選手たちが多くいると聞き、観ることにした。
友人には悪いが、僕はミラン寄りだった。なにせメンバーが豪華。
マルディーニ・スタム・ネスタ・カフーの後ろにジダが構える守備陣。ピルロの両脇をガットゥーゾとセードルフが固める中盤。シェフチェンコとクレスポの2トップを、カカが操る攻撃陣。ベンチにはルイ・コスタもいた。
ただリヴァプールにも、バロシュをはじめ、EURO2004で覚えた選手が多くいて、純粋にわくわくしたした。
この試合、今はYouTubeで見ることが出来る。2018年に、実況に八塚浩さん、解説に水沼貴史さんを迎え、14年の時を経て蘇っている。DAZN様様である。
「イスタンブールの奇跡」として知られる伝説的な試合だが、本当に色褪せない。
最初の見どころはコイントス。両チームのキャプテンは、パオロ・マルディーニとスティーブン・ジェラード。在りし日のレジェンドが握手を交わす瞬間はしびれる。
また、個人的な注目は、ガットゥーゾとリーセのマッチアップ。当時の中継でも「ファイターとファイターの戦いです!」といった実況が入っていたと思うが、まさにその通り。サッカーは11対11のチームスポーツだが、2人のまわりだけ、ピッチの上にリングがあった。
同じく、違う競技だろと思ったのは、交代出場をライン際で待つジブリル・シセ。面構えはどう見てもリングインする格闘家のそれだが、戦わなければいけない試合だということが伝わってくる。
今回の映像では、当時よりも現地の音声が大きめな気がする。あらためて観直すと、リヴァプールのサポーターが何度も歌うYou'll Never Walk Aloneに耳を奪われた。
結局イスタンブールでは、「魔の6分間」を経て、リヴァプールが劇的な戴冠を果たした。
しかし、物語にはまだ続きがあった。
イスタンブールから横国へ
激闘から2年後、06/07シーズンの欧州CL決勝で、両雄は再び相まみえた。そして今度はミランがリベンジを果たした。
この試合、多分テレビで見ていたと思うのだが、正直、ほとんど記憶にない。
なぜなら、この年は、浦和レッズが、クラブ史上初めてAFCチャンピオンズリーグを戦っており、そちらの印象が強烈だったからだ。
2005年の天皇杯制覇で出場権を掴み、1年間かけて準備をしてきたアジアの舞台。アウェイ遠征には行けなかったけれど、ホームは全試合、スタジアムに行った。そして浦和レッズは、準決勝・城南一和(韓国)との死闘などを乗り越え、Jクラブで初めて、アジアを制した。
林立する大旗に注目!(ACL2007城南一和とのPK戦の現地映像)
迎えた2007年末。日本で開催されたクラブワールドカップにアジア王者として臨んだ浦和レッズは、準決勝に駒を進めた。相手は欧州王者、ACミランに決まった。
「イスタンブールの奇跡」のわずか2年後に、「あの」ミランと対峙する。しかも親善試合ではなく、賞金も掛かった公式戦。僕も横浜国際総合競技場に馳せ参じた。
浦和レッズを中心にサッカーを観てきた僕にとって、いわゆるワールドクラスの選手をスタジアムで見たのは、この時が初めてだった。
ミランのスタメンは、実に6人がイスタンブールのピッチに立った選手達だった。
結果は0-1。この年のJリーグMVPで、絶対的な司令塔のロブソン・ポンテを欠きながらも善戦したと思う。
しかし、力の差も見せつけられた。
最も衝撃を受けたのはブラジル代表GKジダ。ワシントンのゴール隅へのシュートは、弾くだけでもナイスセーブと言われるような軌道だったのに、あっさりキャッチされた。試合中だったが、どうやったらコイツから点が取れるんだ、、、と正直思った。
あとはやはり、この年バロンドールを受賞したカカ。元々好きな選手だったが、ドリブルのスピードや強さは印象に残った。
ワシントンのシュートは3:00過ぎ
和製カカ 伝説のゴール
この試合、浦和レッズには"和製カカ"と称された選手がいた。
その選手の名は、長谷部誠。
今のプレースタイルからは想像がつかないと思うが、当時のポジションはトップ下か攻撃的なボランチ。中盤から持ち上がるドリブルとスルーパスが持ち味だった。
長谷部のドリブルといえば、2004年の磐田戦だ。少し前に「Jリーグもう一度見たいあの試合」にも選ばれていた。
僕はこの年初めて浦和レッズのユニフォームを買ったのだが、それが17番の長谷部だった。
欧州のサッカーシーンを教えてくれる例の友人に、日本には長谷部誠がいる、と熱弁した。
今でも折に触れて、あの伝説のゴールを収めたこの動画、特にギド・ブッフバルトの言葉を見返す。
長谷部はまだ20歳
しかし、この試合に限らず、シーズンを通して見せてくれたもの
20歳とは思えないくらいすごいものだった
彼はシーズンを通して完全に信頼を勝ち取った
チャンスメイクするだけでなく、自分でもゴールを奪う
サッカーに必要なあらゆる技術を持っている
さらに良いのは負けず嫌いだということ
心技体ともにすぐれ、
将来、レッズだけでなく、日本サッカー界全体として、
こういう選手がいてよかったと言われる時代がくると思う
そして、南アフリカW杯へ
2007 年のACミランとの一戦を最後に、長谷部誠は、ドイツへと旅立った。
最初に所属したヴォルフスブルクでは、08/09シーズンに優勝を経験。日本代表にも定着した。
そして2010年6月14日。南アフリカW杯の初戦となるカメルーン戦で、長谷部は、腕にキャプテンマークを巻いて、日本代表の先頭でピッチに入ってきた。
僕はテレビで見ていたが、思わず熱いものがこみ上げてきた。
キックオフ直前、携帯にメールが届いた。
こんな大事な時に、何て間の悪いやつだと思いながら開くと、差出人はあの友人だった。
「長谷部、ついにきたな!ワールドカップ、頑張ろう!」
2004年の記憶は、たしかに刻まれていた。
エピローグ ~長谷部誠の現在地~
南アフリカW杯はスペインの初優勝で幕を閉じた。決勝の相手は、僕がEURO2004で魅了された、ロッベンとオランダ代表だった。
日本代表は、そのオランダと同組になりながら、グループステージを突破。しかし、PK戦の末、ベスト16で敗退した。
敗退した直後の長谷部のインタビューが話題になった。
「ほとんどの選手がJリーグでプレーしているんで、Jリーグの方にも、ぜひ足を運んで、盛り上げてもらいたいなと思います」
その長谷部は、ヴォルフスブルクからニュルンベルクを経て、今はフランクフルトにいる。12年間、ドイツで戦い続けてきた。日本代表では、南アフリカ、ブラジル、ロシアの3大会でキャプテンマークを巻いた。
相手のファウルに激高していた若武者も、世界で戦う経験を重ねるにつれ、ポジションを後ろに下げながら、心を整えていった。
ロシアW杯を最後に代表を引退したが、昨シーズンはフランクフルトでキャリアハイとも言える活躍を見せた。ポジションはなんとリベロ。2004年当時、まさか長谷部が3バックのセンターをやるとは、夢にも思わなかった。まるで、EURO2004チェコ戦のコクーのようだ。
最近、長谷部はフランクフルトとの契約を2021年夏まで延長した。契約の中には、引退後のクラブ残留も含まれていると言われている。
契約延長後のインタビューで、長谷部は、ドイツに残って指導者を目指す希望を述べていた。あれだけのキャリアを残した選手が、現役引退後も欧州で活躍できるなら、日本サッカー界にとっても、大きなことだろうと思う。
しかし同時に、こんな言葉もあった。
「1年終わった後にやめるかどうかは、まったく決めていない。来季、このチームではなく他の国、たとえば日本などで選手を続けることはチームも認めてくれた」
今こそ、声を大にして言いたい。
僕は、もう1度、Jリーグで、赤い17番を背負う長谷部誠が見たい。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。最後はただの願望の吐露になりましたが、長谷部は、少なくともあと1年はフランクフルトにいることが決まりました。ここからの有料部分では、14/15シーズンの観戦記を基に、フランクフルトでのサッカー情報を、写真付きでお届けします。
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