オーストリアの魅力は○○にあり ザルツブルグの音楽祭、チロルの山々、マッタースブルクのスタジアム
「旅とサッカー」を主題とするウェブ雑誌OWL magazine。今日の旅の舞台は、ヨーロッパの中央に位置するオーストリア。ハプスブルク帝国やクラシック音楽などで知られるが、近年では南野拓実選手が活躍した国でもある。文化や自然からサッカーシーンまで、交響曲になぞらえて4部構成でお送りする。
第1楽章 ザルツブルク
第2楽章 ザルツカンマーグート
第3楽章 チロル
第4楽章 マッタースブルク
第1楽章 ザルツブルク
7月になると思い出す旅がある。
今から6年前、2014年7月26日。
当時、オーストリアの首都ウィーンに住んでいた僕は、週末を使って小旅行に出掛けた。
行先はザルツブルク。
モーツァルトの生誕地、或いはミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として知られる。ただ、サッカーファンには、南野拓実選手が活躍し、奥川雅也選手が所属するFCレッドブル・ザルツブルクの本拠地と言った方がわかりやすいかもしれない。
地理的には、ウィーンから西に約300km、東西に長いオーストリアの中でほぼ真ん中に位置する。ウィーンからは車や電車で3時間ほどなので、小旅行にはぴったりである。
実はサルツブルクから一番近い大都市はお隣ドイツのミュンヘン。電車で片道1時半ほどなので、このあたりでサッカー旅をするなら、FCレッドブル・ザルツブルクとバイエルン・ミュンヘンのはしごも可能だ。
このときの旅の目的は、ザルツブルク音楽祭(Salzburger Festspiele)。
クラシック音楽が好きな人であれば知らぬ人のいない、世界トップクラスの音楽祭である。参加するのは2回目だったが、初めてで勝手がわからなかった前年と違い、この年は数か月前のチケット争奪戦から参加。無事、お目当てのコンサートのチケットを確保した。
そして、この日の夜がそのコンサートだった。
演奏は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
クラシック音楽のシーズンは10月~6月、サッカー的に言えば秋春制だ。シーズン中、ウィーン・フィルは本拠地の楽友協会で毎月コンサートを行っているが、夏のスケジュールは、サルツブルク音楽祭が中心である。
音楽祭では、1か月以上にわたって、毎日、様々な会場でコンサートやオペラ、演劇が上演される。世界中からトップクラスの奏者や楽団が出演するが、その中でも、地元オーストリアの、世界最高峰オーケストラであるウィーン・フィルのコンサートは、目玉中の目玉である。
この日の演目は、ブルックナーの交響曲第8番。
中学から大学まで部活・サークルのオーケストラで演奏をしていたこともあり、交響曲は好んで聴く。その中でもブルックナーの8番は、五指に入る、大好きな曲だ。
交響曲は、4つ程度の楽章から構成される大規模な楽曲で、演奏時間は短いものでも30分程度、長いものだと1時間を優に超える。ブルックナーの交響曲は長編で知られ、8番の標準的な演奏時間は80~90分、サッカーの1試合分に相当する。
長いことに加えて、構成や音の響きで勝負するタイプで、わかりやすいメロディなどがあるわけではないので、にわかファンにはあまりおすすめできない。華やかさではなくて渋さが魅力であり、あえてサッカーに例えるならば、シメオネ率いるアトレティコ・マドリードだろうか。オーケストラ全体から発せられる圧が凄い。
そして、この日の演奏は本当に素晴らしかった。当時、感情の赴くままに綴ったFacebookへの投稿を掘り起こす。
四半世紀と少しの人生の中で、間違いなく最高の演奏会だった。演奏中何度も鳥肌が立ち、また終演後も翌日まで体の奥深くに余韻が残っていた。すべてが素晴らしかった。
今振り返っても、この日が人生最高の演奏会だったことに変わりはない。
今後も、この日を超える演奏会に巡り合うことはそうそうないだろう。
しかし、この演奏会が特別なものになったのは、そこに至るまでの旅路があったからである。
今日は、当時の投稿に沿って、旅の追体験をしてみたい。
ブルックナーの足跡を辿る
コンサート前には、リンツ近郊アンスフェルデンにあるブルックナーの生家と、彼がオルガン奏者を務めていたザンクト・フローリアン教会に立ち寄る。ブルックナーのルーツ、原風景にも触れて、気力も充実。
アントン・ブルックナー(1824-1896)は、オーストリアの作曲家である。リンツ近郊で生まれ育ち、教員やオルガン奏者として生計を立てながら作曲を学び、宗教曲を多く残した。40代半ばにしてウィーン楽友協会音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)の教授のポストを得ると、いよいよ交響曲の作曲に力を注いだ。
リンツは、ウィーンとザルツブルクのちょうど半ばにある。演奏会は夜なので、ザルツブルクには夕方までに着けば良い。朝ウィーンを出て、ドライブがてら、ブルックナーゆかりの地を巡って行くことにした。
まず訪れたのはブルックナーの生家。
ひと気はあまりなかったが、綺麗に改修されており、立派な銅像もあった。
この日は天気にも恵まれ、黄色の壁面と、空の青さとのコントラストが鮮やかであった。
次に立ち寄ったのはザンクト・フローリアン修道院(Stift St. Florian)。ブルックナーが寄宿生として少年時代を過ごし、後にオルガン奏者を務めた場所である。
現在、修道院に面した通りはブルックナーの名前を冠している。
そして、ブルックナーが当時弾いていたオルガンは、今も変わらずにそこにあった。オルガンの音は聞けなかったが、ここが音楽家ブルックナーを形作ったところなんだなと感じ入った。
夏の陽気とにわか雨
夕刻ザルツブルクに着き、ホテルでゆっくりと身支度を整える。気持ちも引き締まったところで、にわか雨があった。おかげで涼しくなった中を歩いて祝祭大劇場へ。昨年は初めてだったので、華やかな雰囲気に気後れしたところもあったけれど、今年は自然と開演を待つことができた。
ザルツブルク音楽祭のメインホールは祝祭大劇場。旧市街の山際にあり、山をくりぬいて作られている。ウィーンの楽友協会やオペラ座は建物そのものが豪華絢爛だが、祝祭大劇場はさほど飾り気がない。
しかし、夏の陽気と音楽祭という特別感に包まれ、華やかな空気が漂っている。もちろん、艶やかなドレスの美女たちがもたらす彩りも忘れてはいけない。
こういう場なので、身だしなみは大切だ。気後れしては、楽しむものも楽しめない。古臭い言い方だけれども、一張羅のスーツを身に纏い、心を整える。
支度を整えていたとき、にわか雨が降った。ほどなくして晴れ間がのぞいたのだが、これが良かった。気温がぐっと下がり、夏の屋外ながら、スーツを着ていてもちょうど良いほど。祝祭大劇場のある川向こうの旧市街まで、歩いて向かった。
開演までホワイエで佇んでいると、隣の老紳士たちの会話から「今度バン・キムンにも話すのだけど」と聞こえてきた。バン・キムンとは、当時の国際連合の事務総長である。どこの国のどういう立場の人達かはわからなかったが、どうやら、国連本部のあるニューヨークからやってきたようだった。
前年に観たワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も祝祭大劇場での公演だったが、その時とは雰囲気が全く違う。世情に疎いのでわからなかったが、著名人も多数いたことだろう。さすがに、ザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルである。映画かなにかの登場人物になったような気分になりながら、静かに席に着いた。
余韻こそが至極の愉しみ
席は1階席後ろ目のど真ん中。木管後列より高いが、金管より低く、オーケストラ全体のアンサンブル、音の響きを堪能するには絶好の位置。
先にチケットの争奪戦に参加したと書いたが、それに関しては大勝利と言える。サッカーに例えるなら、チャンピオンズリーグ決勝のSS席とでも言えばよかろうか。
ステージすぐではないけれど、全体が良く見え、バランス良く音楽を愉しむことができる。ブルックナーは、奏者の個人技ではなく、オーケストラ全体でのパフォーマンスが醍醐味であり、これ以上ない場所に陣取ることが出来た。
指揮のヘルベルト・ブロムシュテットはとても素敵な老紳士で、87歳とは思えないほど気力・体力ともに充実していた印象。演奏も、奇をてらうようなことは一切せず、テンポも表現も全てにおいて説得力があった。ダイナミクスレンジ(編注:音の強弱の幅)も広く、オケ全体が本当に良く鳴っていた。緻密だが決して小さくまとまることはなく、ウィーン・フィルらしい優雅さも相俟って、全体のバランスが絶妙だった。
実はチケットを購入したときは別の指揮者が予定されていた。しかし、怪我により降板し、急遽代役に指名されたのがヘルベルト・ブロムシュテットだった。
クラシック音楽の面白さのひとつは、同じ曲を、様々な指揮者やオーケストラが演奏することだ。指揮者が違えば解釈や表現が違うし、オーケストラが違えば音色やアンサンブルが違う。
僕も、同じ曲の違う演奏を聴き比べるのは好きだ。多様な演奏に触れることで、曲の理解も深まる。ただ中には、独創的な解釈の演奏もある。驚かされたり、戸惑ったりもする。
その点ブロムシュテットは堅実な音作りをする正統派。過去に率いてきたオーケストラ(シュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)も含めて、僕の好みのタイプの指揮者だ。
ザルツブルク音楽祭は観客のレベルも高い。昨年鑑賞したワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」では、いまいちな歌い手には容赦なくブーイングが飛んでいるのに驚かされた。しかし今年は、最後の残響までしっかりと愉しんだあと、割れんばかりの拍手とブラボーの嵐。観客も演奏会のつくり手だということをあらためて実感した。
この日の観客には本当に感銘を受けた。まだ音の響きが残っている間に拍手を始めた人がいたのだが、周りから「シッ!」とストップがかかったのだ。
まだ終わっていないだろう、と。
こんなこと、僕の人生ではこの時だけだ。心の中で「拍手するのが早い」と呟くことは多々ある。しかし、まさかそれを実際の行動で示せる時があるとは思わなかった。ここは特別な空間なのだ、と強く感じた。
終演後、小腹がすいたので、ホーエン・ザルツブルク城と旧市街を望む川べりのカフェに入った。落ち着いた雰囲気の中、ワイン片手にひとしきり余韻を愉しんだ。対応してくれた年輩の女性も物腰柔らかく素敵だったし、細やかな心遣いに心から感謝。
終演後のことは今でもよく覚えている。夢見心地のまま歩いて帰ったのだが、ホテルの近くで別のコンサートをやっていたのだ。漏れ聴こえる調べに、折角の余韻が掻き消されそうで、慌てて踵を返した。
川べりに戻ると、いくつかあるレストランはどこも賑わっていた。小腹がすいた程度であったし、求めていたのは静けさだったので、遅い時間ながらあえてカフェを選んだ。
空いている店内を抜けると、奥は川に面したオープンテラスになっており、そこに腰を下ろした。ソーセージとワインを頼むと、少しだけネクタイを緩め、小一時間、体の奥に残る余韻に耳を傾けた。最高に贅沢な時間だった。
第2楽章 ザルツカンマーグート
翌朝目覚めても演奏会の余韻がまだ残っていたので、この日は旅程を切り上げて帰った。しかし、当初はザルツブルク郊外の湖水地方ザルツカンマーグート(Salzkammergut)に立ち寄るつもりだった。
ザルツカンマーグートは、山と湖とに囲まれ、都会の喧騒を離れるにはもってこいの場所であり、オーストリアの夏の休暇の定番だ。日本からここを目当てに旅することはないかもしれないが、ザルツブルクを訪れるなら是非足を延ばしてもらいたい場所である。
このエリアの中心地はザンクト・ヴォルフガング(St. Wolfgang im Salzkammergut)。ザルツカンマーグートで最も大きなヴォルフガング湖畔にあり、山岳鉄道として名高いシャーフベルグ鉄道の出発地点だ。
赤と緑のコントラストも鮮やかに、急峻な斜面を登っていく。
頂上に着くと、目の前に絶景が広がる。思わず叫びたくなるが、いい大人なので自重する。
方角を変えると、モンド湖(Mondsee)が見える。モンドは月。たしかに、やや不格好だが、三日月に見えないこともない。ちなみに左側の頂上にある建物はホテルで、なんと宿泊ができるらしい。
中心地はザンクト・ヴォルフガングながら、知名度ならハルシュタット(Hallstatt)だろう。世界で最も美しい湖畔の町とも言われる。
ハルシュタットは本当に素晴らしい。オーストリアの中でも好きな場所の1つだ。湖の際まで山が迫っていて、なんとも趣がある。
朝、起きぬけの散歩の際に遭遇した、船が入港する瞬間は、レンズ越しに切り取って、壁紙にしている。
余談だが、このハルシュタット、中国人に大人気。中国から観光客も多いのだが、現地を訪れるに飽き足らず、広東省にそっくりコピーした場所を作ってしまったらしい。
第3楽章 チロル
ザルツブルクからさらに西に向かうと、チロル(Tyrol)の山岳地帯がある。ヨーロッパで山岳地帯というとお隣のスイスの方がメジャーだが、どうせならオーストリアを隅々まで楽しもうと思い、2013年に夏の休暇で訪れた。
これが大正解。観光客でごった返すこともなく、大自然を堪能できた。
チロル地方の中心地はインスブルック(Innsbruck)。郊外には、クリスタルの有名ブランド、スワロフスキーがある。ただし、インスブルックまでは、ウィーンから車で5時間ほどかかる上、山岳地帯はさらに西だ。
どうにか移動時間を短縮できないかと思案していたが、オーストリアの西端にほど近いフェルドキルヒ(Feldkirch)まで、夜行列車が出ていることを知った。そこで、一気に西に行ってから少しずつ東に戻ってくることにした。
夜行列車と山岳ドライブ
ウィーンからの夜行列車には車を積むことが出来た。人は寝台車で、車は貨車で、連なっていく。朝駅に着くと、降りたホームで、車を下ろすための順番待ちをする。
すぐに山に向かいたいところだが、折角ここまで来たのだから、オーストリアの西端、ブレゲンツ(Bregenz)に立ち寄る。オーストリア・ドイツ・スイスに跨るボーデン湖畔にあり、こちらも有名な音楽祭の開催地である。
ブレゲンツから、いよいよ山に向かう。遠くに山々が見えてくるだけで、テンションが上がる。
山道に入ると、緑が実に鮮やか。ガラス越しに見るのが勿体なくて、クーラーをつけずに、窓を全開にして走った。
窓を開けていると、時折、カラン、コロン、と音が聞こえてくる。放牧されている牛たちのカウベルの音でである。もれなく、糞の匂いもついてくる。
山間にも村や集落が点在しているのだが、どんな小さな集落でも必ず教会がある。尖塔が見えてくると、人の営みが近い印だ。
雄大な自然に囲まれて
最初の目的地はレッヒ(lech)。オーストリアの北側、ドイツとの国境に近くにあるリゾート地だ。
冬はスキーで有名だが、夏の醍醐味はトレッキング。リフトで一気に上がることができるので、手軽に絶景が楽しめる。
次に訪れたのはオーバーグルグル(Obergurgl)。今度はオーストリアの南側、山の向こうはイタリアだ。
オーバーグルグルは、この時の旅の中で最も本格的な登山が楽しめる場所だと聞いていた。休暇中、一度くらいはしっかり山を歩こうと思っていたので、ここではリフトを使わずに自分の足で歩くことにした。
出だしから、素晴らしい景色が広がっている。この日の折り返し地点は奥に見える氷河なのだが、この絶景に足取りも軽い。
山の稜線に出た。ここからは尾根づたいなので、上がった呼吸も落ち着かせられる。
ようやく氷河に着いた。遠目にはきれいだったけれど、近づいて見るとなかなか地味。
下山途中に山小屋のレストランに入る。最高の眺望に思わずビールを頼みかけるが、まだ先があると言い聞かせて我慢する。
結局この日は10時間超の山行だった。歩いている最中は疲れを感じなかったが、宿に戻り、素朴なチロル料理を食べ、ビールとワインを嗜むと、溜まっていたものがじわっと全身に広がっていった。雄大な景色に思いを馳せながら、心地よい疲労感に身を委ね、眠りについた。
第4楽章 マッタースブルク
今日の主題は、オーストリアの魅力は○○にあり。
これが国語のテストの穴埋め問題だとしたら、○○にはどんな言葉が当てはまるだろうか。
音楽。文化。自然。
どれも正解である。
しかし、僕の模範解答は別にある。
そして、昨年の秋、久しぶりにウィーンを訪れた際に、サッカーを絡めて、その答え合わせのような小旅行をした。終楽章ではその模様をお届けする。
オーストリアの魅力を体現するスタジアム
ウィーンには2つのクラブがある。SKラピド・ウィーンとFKオーストリア・ウィーンである。ラピドは北川航也選手が所属していることで知られるが、OWLデビュー前の記事で触れた通り、僕はウィーンに住んでいたときから、ラピドを密やかに応援している。
2019年の秋にウィーンを訪れた際、久しぶりにラピドの試合を観に行こうと思ったが、生憎この日はアウェイゲームだった。しかし、対戦相手SVマッタースブルクの本拠地はウィーンから1時間ほどのところらしい。これは行くしかない!
マッタースブルクへは、ウィーンから国鉄ÖBBでウィーナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)に行き、そこからローカル線に乗り換える。
外国の鉄道での乗り換えは一筋縄ではいかないことも多いが、このときは、ラピドのマフラーを身に着けた人たちがちらほらいたので、彼らの後を追っていけば迷うことはなかった。
ローカル線のホームにたどり着くと、なんと2両編成。写真を撮りそびれてしまったのだが、車内はほぼ全員がラピドサポ。普段はがらがらなのかもしれない。
マッタースブルクの駅は駅舎も小さく、田舎感が半端ない。
とてもスタジアムがあるようには思えず、道もわからないが、やはり緑のグッズを身に着けた人たちが遅れを取らないように歩き出す。
線路沿いを歩いていくと、突如スタジアムが現れた。
すぐには中に入らずに、あたりを散策すると、クラブハウスらしき建物と、ラピド・ウィーンのチームバスが見えた。
この建物、スタジアムの中から見るとコーナー付近にある。VIP席かと思いきや、メディアの席のようだ。
ホームゴール裏には席がなく、芝生が広がっている。シュート練習などがあったらボール飛んでくるだろうなと思っていたら、案の定、バンバン飛んできた。しかし、それを子供たちが競うように追いかけていて、なんともいい感じの雰囲気だった。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?