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【倫理】ミラー越し 知恵を授ける 車屋さん
タクシーの運転手さんはお話好きの人だった。こちらも酔った勢いと持ち前のサービス精神で盛り上げる。
「お客さんは若いけど、此間ねえ、学校給食が始まった頃の白黒映像やろか、大昔のをテレビやなんやで視ましてな。み~んな、しゃんとした姿勢で、右手にお箸、左手に茶碗をしっかり持って、行儀良うしてはったわ。ほんで、み~んな満面の笑みや。食事を頂く事の歓びゆうんかいな、モノクロ写真いっぱいに笑顔が広がっとるんですわ。」
――「お客さんは若いけど」って言うけれど、この運転手さんも見た目はそこまで年寄りで無い。ましてや学校給食法が制定された頃に小学生だったという程の年齢ではない。でも、些細な事は気にせずに相槌を打つ。テレビで視た「大昔」というのは「白黒映像」なのか「モノクロ写真」なのか、動いているのかいないのか、ハッキリしないまま物語が進んでいく。でも、些細な事は気にせずに相槌を打つ。
「今日日、日本人はねえ、あの教室の風景ゆうんかなあ、あの粗末な給食でも有難いゆう精神が欠けていますわ。モノが溢れてますやろ。せやけど、時代のせいだけともちゃう気がしますわ。そんなもん理由にならんくて、なんや魂の欠落やと思います。ほんでも、きちんとした子はきちんとしたはる。電車に乗っててもですわ、魂のある子は英単語集やら何やら開いて背筋伸ばして勉強しとんですわ。そうかと思えば同んなじ車両に周りの迷惑も考えんと騒いどる阿呆学生もおる。何や、最近その差が激しゅうて、何でも『二極分化』ゆうたらアカンけど、中間層がおらん感じやね、ホンマに。あの学生の時の過ごし方がそっくりそのまんまオトナになって社会に出た時の差になるんやね。昔は学校の先生が全員平等に躾しはったさかい、ようさんの中間層が社会を支えましたやろ。今は勝ち組と負け組が対立するような構造になってもうた。いや、どっちも悪いねんで。」
――学生の頃の過ごし方を決定づけるのは「魂」の有無か。これは妙に頷ける。それがどんな魂なのかは人それぞれなのだろうけど、こうして一丁前に深夜のタクシーに躊躇なく乗れる様になった私にも、学生時代に「魂」があった事は間違いない。少なくとも貧乏から抜け出したいといった魂は確実に燃やしていた。
また、オトナになった後の「勝ち組と負け組の対立」はどっちも悪いとの分析だが、これも妙に頷ける。勝ち組には、現在の「勝ち」を若い頃の自らの努力のみが結実したものと勘違いし、育った環境や幸運や周囲への感謝に欠けた節がある。一方、負け組には、現在の「負け」が他人のせいであるかのように勘違いし、卑屈で権利主張が過激で品性に欠けた節がある。運転手さんの見立ては、概ね斯様な内容だったように思う。因みに加えると、私は予て、「勝ち組が負け組に対して謙虚に振る舞うのは比較的容易だが、負け組が勝ち組に対して嫉妬せずに生きるのは極めて難しい」と感じていた。が、よくよく考えるに、やはりどちらもハードルの高い課題であることには変わりない。運転手さんによれば人数構成比が低下の一途を辿っているという「中間層」に位置する私自身が――蓋し、時と場によって「勝ち」「負け」双方の気持ちを味わえる私自身が――どちらの課題も克服していないからである。自らの日常を鑑みるに、とても誠実に生きているとは言い切れない。
「せやから、今日日『個性を伸ばそう』とか『何でも平等ゆう教育が優秀な子の才能を潰す』とかゆうてやな、好き勝手言うて学校を攻撃しはるのは自由ですけどな、『みんながみんなで助け合うて生きとんのが社会の仕組みやで』ゆう当たり前のことが分かっとらんのとちゃうかなあ。笑顔を忘れずに居ったらよろしいのや。あの給食を待ち遠しくしてはった子ォらみたいに満面の笑みで人に接しとるとねえ、世の中大抵の事は何とかなりますわ。お客さん、ええ笑顔しはりますなあ。いや、お世辞とちゃいますえ。さっきから、そう思っててん。せやし、ついつい給食の話をしてもうた。」
――今日日(きょうび)というコトバを普段使いする人、その人から漏れる声の響きが深夜ラジオの如く心地良かった。
「笑顔の素敵な人ゆうのは、そうそう居てはらしまへんえ。ただニコニコしてはるだけの人は結構おますけどな、笑いゆうのは表現力ですのや。明るい笑顔、楽しい笑顔、朗らかな笑顔、元気のええ笑顔、色んな笑顔を使い分けて相手に好印象を与える。これは、それなりの才能と場数と努力で築かはった、その人の得意技ですのや。表情が豊かなんは、言葉が豊かなんに匹敵する武器おすえ。『目は口ほどに物を言う』謂いますやろ。笑顔の素敵な人ゆうのは、眼尻がしっかり下がりましてな、口角がしっかり上がりますのや。正月に福笑いしますやろ。単純に三日月みたいな形のパーツが3つあるとしますやんか。パーツがその3つだけやったら、目隠ししてても誰かて“ニコニコマーク”作れますやろ。ほんでも、この3つの三日月を全部逆向きにひっくり返してもうたら、見事に笑顔とは正反対の不服そうな表情に変わりますやろ。そんなもんやってん。眼尻と口角だけ意識しとくだけで、大分と表情に差が出来ますえ。トイレ行きますやろ。今日日、男でもず~っと鏡と睨めっこしとる人おますやんか。化粧室ゆうくらいやから、化粧でもしはるのか思うたら、髪の毛を弄り倒しとるのや。『大丈夫やて。アンタはんの耳の横の毛が五度や十度変わったかて、アンタはんの第一印象は1ミリも変わらしまへんえ。それよりも、さっきから髪の毛ばっかり気にしてはるその表情、相当険しいで。じいっと鏡見とるけど、ほんまに直すべきなんはその表情のほうちゃうか。』てェ、思わず言いたなったわ。自分に自信の無い人ほど、ようけ鏡見てはる印象ありますなあ。笑顔の素敵な人ゆうのはね、いちいち鏡でチェックなんかせんでも、極々自然に笑みが零れましてな、周りを温かくしはるもんなんやね。
せやけど、笑顔だけと違いますえ。色んな角度の三日月を手元に握ってはるゆうことは、その分、怒った表情のパターンも沢山持ってはるゆうことですやん。ほんでも、怒りを抑えはる。自分の中に在る“陰”と“陽”の振れ幅を理解しているさかい、人の見てへん処で“陰”をちゃんとコントロールしてはるんやろね。逆に“陰”の少ない人は“陽”も少ないですやろ。振れ幅が小さいさかいに、いっつも表情がワンパターンになりがちですねん。表情の振れ幅だけと違いますえ。欠点の少ない人がおもんないのは長所も少ないからと違いますやろか。そら、持って生まれた性格や素質もおますさかい、無理して作り笑いする必要もあらしまへんけど、仏頂面はあきまへんな。アレは仏様に失礼や。確かに仏様もいっつも表情がワンパターンやけど、拝む者の心模様によって、喜怒哀楽どんな表情にも見えてしまうのが仏様ですやんか。人は仏には成れしまへん。生まれつき表情が硬いんやったら言葉を豊かにしはったらええし、兎にも角にもコミュニケーション能力を磨かへんのは、挨拶の出来ひんガキと一緒やね。そら、『私は人が苦手やし、独り山に籠って陶芸やら炭焼やらで暮らします』でもええで。せやけどな、田舎ほど人付き合いの濃ゆいコミュニティはあらしまへんえ。
やっぱり人は、人と交わる事からは生涯逃れられまへんのやから、それを怠るのは人生の反則行為なんやて、そこら辺のとこを学校でビシッと教え込まなあきまへんな。イヤな奴とも接触せなアカンのが世の中や。その『イヤな奴』てェ、一体どんな奴なんやて、たったの一言で解説するとしたら、鯔の詰まり『コミュニケーションの下手な奴』ゆうことですやんか。ほんなら、はじめから『イヤな奴』を世の中に送り出さん教育をしたらええですやんか。今日日、学校や無うて親も悪いんですわ。『人と話したなかったら、別に話さんでもええで』ゆう教育は、何や『個性の尊重』を履き違えてますなあ。ほんなもんが罷り通ったら、『おはようさん』『おおきに』『おこしやす』もよう言わんようなオトナが増えてまうだけですやろ。子供の個々の能力を伸ばすのは大いに結構。やけど、それは自分一人で伸ばすもんとちゃう。それを弁えているだけで、人生が勝ち組やろうと負け組やろうと、ほんなどうでもええもん気にせんと、自分も周りも笑顔に出来る人に成れるのと違いますやろか。いや、勝ち負けは大事おすえ。勉強も仕事もカネも名誉も大事やと知った上で、それが人生の1つの側面を測る物差しに過ぎひん事も合わせて知っとったら、『しょうもな』てェキッパリ言い切れますやんか。要は、社会の仕組みに対する向き合い方、心得の問題ですわ。」
――福笑いで遊んだのは保育園児だった時が最初で最後の気がする。うん、違いない。画用紙にクレヨンで顔の輪郭を描き、折込チラシとか色紙とかをハサミで切り抜いてパーツを作ったのだった。それを憶えている私も大したものだと、後部座席で酒に飲まれ気味の自分を多少は褒めてやる。
当時の私は今では信じられないくらい人見知りで寡黙な子だった。“陰”の性分を変えてくれたのは、やはり保育園から中学校にかけての先生の御力によるところが大きかったものと振り返る。何がきっかけだったのか、小学校に上がってから突然“陽”に転じ、あまり好きで無かった給食の時間が待ち遠しくなり、表情も豊かになっていった。否、運転手さんの仰せに従い正確に云うと、そもそも私は陰陽双方の要素を所有している。そして、双方の調整領域――換言すれば、画面の「明るさ調整」や音声の「ボリューム調整」における最小と最大の幅の様なもの――を広げる訓練をしてくれた場所が、保育園や義務教育だったのかもしれない。音域を広げるボイストレーニングや可動域を広げるストレッチ等々と例示したほうが適切なのかな。いずれにせよ、師や仲間との触れ合いを通じ、必要最低限の社交性の幅は、精々中学を卒業する頃合いまでには身に付けろということだ。
私は、本日この時刻にこの運転手さんに出会うまで「社交性の幅があまりに狭いと、本人が社会で出てから苦労するため、教育を受ける」ものと捉えていた。ところが、彼は「そうでは無い。社交性の幅があまりに狭い人間を世に放ってしまうと周囲が迷惑だから、本人のためというより全員のために教育を施すのである。」という持論を披露した。そりゃそうだ。他人と異なる個性を鍛えるのは、まず他人と同じ事が出来るようになってから。協調性の中でこそ個性は光る。基本ありてこその応用。至極当然の事だ。
「タクシーの客取り合戦にも、リズムゆうんがありますんえ。こうゆう商売はスポーツと一緒でリズムがカギを握っとんのですわ。いっくら実力があったかて、ゲームの流れが変わった途端に、得点――まあ私らで言うたら稼ぎ――のチャンスを逃してまう。トイレは要注意やて、よう謂うね。トイレに行くと流れが変わりますんえ。」「ええっ?まさか我慢するんですか?」「ハハハ、そら、カラダに毒ですやんか。リズムの悪い時に済ませて、流れを変えるんですわ。」「成程!」「成程てェ、こないな事で感心してもろうては困りますよ。お客さん、ええ人にも程がありますえ。それにしても、ええ笑顔しはりますなあ。」「そんなに良い笑顔ですか?寧ろ顔には自信が無くて、ちっとも女性にモテないんですよ。帰ったら、どんな顔なのか、鏡で一度確認してみますわ。鏡なんて滅多に見ないんですけどね。いや、髭を当たる時を除いたら、まったく見ないですね。ああ、でも『自分に自信の無い人ほど、ようけ鏡見てはる』って仰ってましたね、ハハハ。」「髭を当たるゥて、お客さん、江戸っ子だねえ!」「いやいや、東京出身だというだけで、まさか『てやんでぃ、べらぼうめ』なんて言いませんよ。もう転勤して20年になりますけど、お陰様で京都の人とも仲良く暮らしています。引っ越し前に『京都人は余所者に冷たい。特に東京人にはな。』って、京都出身の先輩から真顔で言われたもんで、最初は正直ビクビクしてたんですよ。」「その先輩もえらい“いけず”やなあ。京都人が閉鎖的ゆうのは、関西の近隣、特に大阪人が自分らの陽気さと比べて作ったイメージと違いますか。人間、誰かて裏表くらいありますやん。別に京都だけが陰気な訳とちゃう。ホンマに閉鎖的やったら、こないに外国人観光客を持て成しまへんえ。私なんか、もう気取って生きるの已めましてん。生きてても死んでてもええんですよ。守るべき家族が居てる訳でもあらしまへんし。ただ、世間に少しばかり気ィ遣うて、一応まだ生きとるフリをしとりますねん。やけど、そうゆう心境に辿り着いたら、どうゆう道理なんか、急に水揚げが増えましてな。」「それじゃあ、トイレに行く暇がありませんね。」
――私にも守るべき家族は無い。私も世間に少しばかり気を遣って、一応まだ生きているフリをして、毎日を送っているだけ。そうであるが故に、今宵この運転手さんに出会えて良かった。人は自分と同じ境遇の他人に出会うと、烈々たる親近感と共に元気が漲ってくるのが必定。まるで「とりあえず今のオマエはこのタクシーに乗っておけ」と神が導いて下さったかのようだ。どうやら神が私を見捨ててはいない状況のため、私が自分自身を見捨てている場合では無い。
あっという間に家路についた。「勉強になりました。これは感謝を込めた授業料です。」とお礼を告げて、メーターよりも千円乗せて支払った。
玄関を入って直ぐさま灯りを点ければ良いものを、酔っているのでドアを閉めてしまった。真っ暗な部屋の中、ビデオデッキの赤い電源ランプと緑掛かった時刻表示だけが煌々として、傍に在る焼酎の瓶を照らしている。壁伝いにスイッチを手探りする。すると、前方から物音がするではないか。台所に誰か隠れて居るのだろうか。――否、明るくなった廊下で確認したが、不安定な状態で立ててあった紙袋が自然の力でバサッと倒れた。たかがそれだけの事であった。しかしながら、これは利用の価値があるぞ。他にも、ハンガーのギリギリにタオルを吊るしておいたり、机の端ギリギリにボールペンを置いたりしておけば、“彼女達”が落ちていく音によって、恰もそこに人肌が同棲しているかの様な気配を感じることが出来、この薄ら寒い部屋にあっても、誰かと一緒に住んでいるかの様な心持ちに成れるではないか。
そんな薄気味悪い演出を考案しているうちに眠っていた。そういえば春代が言っていた。「本当に怖いのは、お化けよりも人間よ」と。使い古された科白だが、ホラーを愛しホラーを知り尽くした彼女から絞り出された悟りの一言である。それなりの威力を帯びていた。彼女という人も、稀に見せる笑顔が素敵ではあったけれど、その一方で“陰”の代表格みたいな人だった・・・つづく