見出し画像

【地理】東京を 離れて分かる その役目

 「中学時代の友達がね、高校時代の私を見て『解放された感じがする』って言ったの。で、高校時代の友達はね、大学時代の私を見て、やっぱ『解放された感じがする』って言ったのよ。高校からずっと私を見てきたあなたは今の私を見て、どう感じる?」私は好物の鯛のあら煮を丁寧にほぐしながら「解放された感じがする」と答える。「私って、何から解放されたわけ?」「えっ?」「ちょっとぉ、話聞いてないでしょ」
 
 出張先から思いがけず早めに帰宅できたため、荷解きと洗濯をしながら何となくテレビを視ていると、水戸黄門の再放送が流れていた。地方の放送局では、夕方は往年の時代劇と決まっているのだ。これが視始めると真剣になってしまう。印籠を出すまでの数分間にわたり杖で叩くだけ。誰も斬らない勧善懲悪に拍手を贈りながら私は早めの晩酌に入る。洗濯機の回転と共に酔いも徐々に回る。そういえば、仕事も出来ない体になり、カネも無く、競馬のない日は家に居るしかなかった晩年の父も、よくこうしてテレビばかり視ながらウーロンハイを呑んでいた。
 御老公御一行の後ろ姿が次の旅路へと消えていっても、まだ洗濯機が回り続けていたので、私は待ち時間にオナニーをすることとした。色魔の悪代官から手篭にされる町娘が、町娘という設定にも拘らず妙に窈窕だったことを振り返りながら、欲情が抑えきれなくなったのだ。きっと女性はバカにするだろうが、男というのは中年になるまでは環境が許せば自慰に奔る動物なのである。・・・絶頂を迎えようとする山の八合目あたりで携帯電話が鳴る。一度は無視するが、鳴り続けるので萎えてしまう。とどの詰まり、テレフォンにも出なかったが、サーメンも出なかった。・・・洗濯物を干し終えてから、私に寸止めを強いたタイミングの悪い電話の主(ぬし)を確認すると、何と秋恵だったのだ。瞬時にして主(ぬし)が主(あるじ)に変わる。折り返すと「いつもあなたが東京出張のついでに私に会ってくれるから、たまには私の京都旅行のついでに会ってくれてもいいんじゃない?」と言う。すでに近所まで来ているらしい。私はご主人様の言いなりだった。このちょっと生意気な高校時代の後輩に、当時の私は10年ぶりに再会したことが引き金となって、東京へ出張する際には必ず会うようになった。そして新幹線に乗って移動する回数に応じ、友情も恋心へと移動していった頃だった。そう、あの秋恵である。少しずつ異性として意識するようになった矢先、彼女のほうから口火を切り、「観光するには最高の街だけど、生活する場所としてはちょっと抵抗感があるの。別に京都が悪いわけじゃないの。こればかりは個人的な趣味の問題なの。」と言って、まだ私が何も彼女に気持ちを伝えてはいないというのに、一方的にフラれる結末となった、あの秋恵である。心の中に鈍痛だけを残したあの事件の数ヶ月前、私は彼女に呼び出されるがまま、出張疲れを一気に吹き飛ばし、嬉々として外に飛び出したのであった。
 
 選んだ居酒屋は魚料理が中心の店だった。刺身を食べたかったからである。秋恵は棘のある物言いで畳み掛ける人だったが、こっちは聞き手に徹していればよかったので、長く一緒に居ても楽だった。棘があるというのは、遠慮のない証でもあり、私に心を許してくれているのは間違いなかった。また、そう思えば、いちいち彼女の棘を気にして勝手にストレスを抱えるようなこともなかった。
 私が鰹のタタキを注文しようとすると「海なし県で生魚を注文するの?」と突っかかるので、鯛のあら煮に切り替えたのだ。不機嫌なつもりは無かったけれど、「何か元気ないね。私が鰹をイヤだと言ったから?ごめん、そんなこと気にしないで。」と言っては、上目遣いで私の表情をじっと覗き込む。ずるい人だ。こっちは棘を持つどころか、すっかり鱗まで取れて、彼女の俎板の上の鯉(恋)だ。それにしても、確かに彼女の棘にも一理あった。正しく言えば京都は海なし県では無いのだけど、洛中から若狭湾まではなかなかの距離だ。鯖街道はあるけれど、鰹街道なんて聞いたことはない。この街で食す刺身って大阪港辺りからトラックで運ぶのだろうか。物流のことなど気にも留めなかったが、よくよく思い返してみると、安くても新鮮でそこそこ旨い魚が所狭しと並んでいるようなスーパーをあまり見かけない。もちろん和食文化の最高峰を誇るこの地では、高くて旨い魚には事欠かないが、庶民の胃袋を満たす魚の種類が東京とは明らかに異なるのだ。・・・後悔したくなかったので、結局、鰹のタタキも注文した。鰹なんて久しぶりだ。光沢のある赤紫の身がいぶし銀の香ばしい焼き色に包まれた姿を想像していたが、その期待とは裏腹に、出てきたのはまるで「きんつば」だった。後悔しないための注文に後悔することとなった私は、先ほど「ごめん」と言った秋恵に「こっちこそごめん」と返した。
 美味しい食材には溢れているのだ。どちらかと言うと高級料理のイメージで東京の食卓には登場することのない鱧の落としやフグの薄造りなんかは簡単にスーパーで手に入る。長い間住み続けているうちに不思議と慣れてしまったけれど、私も当初は食べ物の違いに敏感だった。今、こうして飲んでいるウーロンハイのベース焼酎も甲類ではなく乙類だ。天丼を頼んでも、甘辛いタレではなく、天つゆに近い出汁が掛かっているパターンが多い。驚いたのは、何処のコンビニにも何種類ものポテトチップスが菓子棚を占拠しているというのに、「のりしお」を売っている店が極めて少ないことだった。それどころか、普通の塩味の袋にも「西日本エリア限定」とか「関西風味」と書かれている。全国津々浦々に同じ看板で出店しているコンビニという業態ですら、取扱う商品は地域によって分けている。転勤とはそういう当たり前のことを目の当たりにする好機なのだ。高校の地理の先生が「東京みたいな都会しか知らない奴は、地方都市の独自性に面食らうぞ。」と仰せだったのは本当だったが、「地元の習慣や食べ物に馴染んで、その土地ならではの生活を楽しみながら生きていく」姿勢が大切であることも先生の教えの通りだ。さすがに乙類のウーロンハイは今でもやや苦手だけど、ご当地の天丼やポテトチップスは、これはこれで美味しいし、東京でしか食べられないものがあるということは、それだけ東京に帰ったときの楽しみを残してくれているということでもある。
 逆に、東京には何でもあるから、一度東京に行ってしまうと、故郷に帰ったときの楽しみが薄れてしまうような気もする。東京には、北は札幌ラーメンから南は沖縄そばまで其処彼処に店がある。全ての道府県人会があり、全ての道府県の郷土料理店が揃っている。市場競争が激しいから、味も研究されているし、接客も洗練されている。少なくとも食べ物を目的にわざわざ地元を目指す必要がないのだ、東京という所は。一方、ひとたび関西へ来ると、東京では定番の鳴門と海苔の入った醤油味の中華そばを探すだけでも、意外と至難の業である。探しても手に入らないから欲しくなる。これだけ飛行機も新幹線も高速道路も整備され、人の往来が活発だというのに、三度の飯だけは全国で均質化しない。不便は不便だけど、これが実は結構ありがたいことなのかもしれないことを理解できるようになってきた。不便を楽しむくらいでなければ人生は味わい尽くせない。中央政府は地方創生が肝要だなんて安易に口にするけれど、人口の多い東京で世界中の料理を口にしながら、地元の票を集めるために口先だけで喧伝しているくらいが丁度良いのだ。誰が天下を統一しても、東京一極集中が変わらないことによって地方も脚光を浴びている側面は否定できないのだから。おそらく政治家の先生方もそんなことは予め承知しているだろう。東京を分散するなんて土台無理な上、天下に東京が何ヶ所もあったら、地方まで共倒れしてしまう。高校卒業から干支がひと回りするくらいの時が経過し、ようやく私は「地理」の授業の神髄に触れたわけである。
 
 「えっ?話?聞いてるってば。何から解放されたって、そりゃ悪代官か何かから解放されたんだろ?」「何よ、それ、時代劇の感想?私は『私が何から解放されたのか?』ってお訊ねしているのですが!」今度は膨れっ面で私の表情をじっと覗き込む。ずるい人だ。私はウーロンハイを呑みながら、町娘という設定にも拘らず妙に窈窕だった先ほどの水戸黄門の登場人物と秋恵を重ね合わせていた。だが、私の心を手篭にしていたのは無論彼女のほうだった。
 「それはそうと、珍しく家にいたのねえ。いっつも忙しそうにしているのに。」と秋恵が訊くので「組合の出張会議が早めに終わったんだ。」と応えると、いつもの棘が鋭さを増す。「ウチはユニオンショップじゃないからねえ。偏屈な幹部と大喧嘩になった挙句、脱退しちゃった。職場ではすんごく少数派だけど、もう周囲から腫れ物みたいに扱われたとしても、そういうの、意に介さないことにしたの。父と合わなかったからかもね。ウチの父も何ちゃら総連の役員で、選挙の度に電話作戦とか集会動員とか、ハッキリ言ってそんなことに熱心な連中のほうが腫れ物よ。あれだけ母が居ないと何も出来ない人が『2年間限定で単身赴任だ』なんて、怪しいなあと思っていたら、家族にも内緒で専従を引き受けていたのよ。その父親が今は自民党員っていうのが、もっと信じられないわ。」・・・今夜くらい暫くぶりに会ったのだし、込み入った話題なんて興味ないよと言いたくもなったが、正直なところ、話の内容はどうでも良かった。組合や身内の悪口ですら、秋恵に会ったときでないと楽しめない彼女独自の「味」なのだ。「あなた、何を食べても美味しいって言うわねぇ。」って、畳み掛ける彼女。鯛の目玉を舌で転がしながら頷くだけの私。こんな私だが、普段は実によく話すし、他人からは頗る社交的と言われていた。でも、それは人前に出るとサービス精神が旺盛になるという性分によるものであり、本当は聞き手にまわる役目のほうが落ち着くのだった。
 
 京都だから和食というのは観光客の先入観だ。実はこの街には焼肉屋がとても多いので、魚の店はご無沙汰だったのだが、つくづく再認識した。いつもの焼肉屋さんのほうが安くて美味しい。カッコつけてご馳走したが、1泊2日の出張中よりも財布の中身を費やしてしまった割に、彼女がこの街の食に満足してくれたのかどうかが疑わしく、それがお金以上に痛手だった。次に秋恵が遊びに来てくれたときには気取らずに、あの煙の充満した店に誘ってみよう。・・・しかし、とうとうその日はやって来なかった。今にして思えば、私は秋恵と七輪を囲む前から、彼女の煙に巻かれてしまっていたわけだから。
 駅まで彼女を見送ると、酔いが洗濯機のように急激に回り始めた。彼女が何から解放されたのかは分からずじまいだったが、どうやら私は緊張感から解放されたようである。秋恵の前では常にしっかりしていたというのに、酒というのは複数の顔を持っているところが魅力でもあり恐怖でもある・・・つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?