シチューかけご飯の真髄
シチューが好きだ。
木枯らしの吹く冷え切った外から、あたたかい家に帰り、おいしいシチューを飲むのが幸せの原義といわれている。
ホクホクのじゃがいも、彩を添えるにんじん、ジューシーな鶏肉、全ての具材に心がおどる。ときにはしめじなんかも入っていたりして、これまたおいしい。
ときどきネット上を騒がせる「シチューをご飯にかけるのアリかナシか問題」。
結論から述べると、「アリ」です。
濃厚なクリームシチューはご飯のおかずにもなり得る。単品で飲んでもよし、かけてよしの二刀流、攻守最強だ。
昨日、シチューをつくった。
いつも通り、ご飯にかけておいしく食べていたが、ふと考えがよぎる。
ご飯にかけるシチューって、カレーの下位互換でないか?
おなじみ、もはや本場インドを超えて日本の国民食となったカレー。小学生の給食から貧乏学生の自炊、もちろん家族団らんの食卓もこなせる、まさに最強。ぶっ壊れ、tier1である。
カレーとシチューの具材は、ほぼ同じである。
つまり、好敵手ということになる。
だが、実際のところ、そのパフォーマンスには大きな差がある。
ことご飯のお供として考えた場合、カレーがシチューをオーバーキルして試合終了だろう。
だから、ご飯にかけるシチューはカレーの下位互換ではないかと考えたのだ。
いくらシチューかけご飯の普及が進もうとも、その事実は決してくつがえせない。普遍的真理なのだ。
シチューかけご飯を食べるくらいなら、カレーライスを食べる。そうするべきだ。
ただ、シチューかけご飯には魔力がある。もともとかけるものではないシチューをかける背徳感が最たるものだ。
してはいけないことをしている───その実感こそが、我々をシチューかけご飯へ誘うのだ。
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