噛むことは生きるいのちの証。よく噛んで腰を治したわたし。
のっけから意気込んでいるようで申し訳ないのだが、この頃まことにそう思うことが多い。
きっかけは春先に高校生のころのフットボール選手時代の古傷が動き出し、椎間板ヘルニアになったことだった。
ある日をさかいにとにかく痛い。しびれて動けない。
痛くて長時間座っていることが出来ない。
カンヌ映画祭に法螺貝持って行くはずが、医師から「この状態で行ったら向こうで入院。帰ってこれなくなりますよ」と言われ、断念。
ご縁で知り合ったゴッドハンドの強烈に痛くて勇気がいる治療を受けながら、友人に「こうなっちゃったこと」を伝えると、彼は「あ〜それは覚詮さんが普段あまり噛まないからだよ」と言い放ったのである。
読んで下さっている方はどうだろうか。
「噛むことと腰になんの関連性が?」
と思われた方も多いのでは無いだろうか。
わたしも一瞬何を言ってんだコイツは?と思ったのだが、次の瞬間あごの関節と股関節がオーバーラップして !!!💡💡💡
と感じてしまったのであった。
腰椎椎間板ヘルニア・股関節関節変形症・腰椎狭窄…と診断され、股関節もまともに動かず、山ではただただテクニックと身体操作術で誤魔化してきたことに青ざめ満身創痍だった私に光が射してきた。
あご関節沢山動かすことは、きっと腰椎・股関節と連動して、その動きが良くなるに違いない。そう思い込んだのである。
するとその日から、食事の時間が変わった。
大体一口口に入れて、100回は噛むことを始めた。
噛むたびになんだか股関節や腰椎が軽くなっていくことを感じながら。念じながらかみかみして行く。
するとどうだ。
食事の時間のクオリティと満足感が大幅に上がっていった。
わたしは日本テレビでお笑い番組を中心に30年以上ディレクションをしてきた。
現場では「飯が早い。徹夜が出来る。トイレが短い」ことは重要な能力とされていた。本来ゆっくりするべき時間を短縮することで時間を削り出し、コンテンツのクオリティを上げることに使う。という文化、習慣があったのだ。
5分あれば弁当食べれちゃうよおれ。←すげ〜みたいなアホな世界です。
しかし、このことは身体に対して非常に失礼な態度なのである。
だれもが人体のしくみを学校で習う。咀嚼もそのなかのひとつ。しかしそれはさらっと流れて言ってしまう情報だった。
たなつもの 食べ物はそのままの姿で人間の身体に取り込むことは出来ない。
口の中で咀嚼をし、唾液と混ぜ、かみ砕き、成分を変化させ、消化しやすい形で呑み込み、内臓が消化し吸収する。
中でも、100回かみかみ噛むことで、気がついたのはその個体は「活発に生きている」という情報を常に脳が感じているということだ。
凄いぞ脳。凄いゾ人体。
かみかみすればするほど、口の中でたなつものがどろどろの液体化するほどに、「わたしはいのちを生ききっている個体なのだ!」という幸せが得られるのである。
そしてそれは呑み込むときにえもいわれぬ恍惚感となって、まるで万能の薬のようになって食道を下がり、胃に入り、腸に向かう。噛むことで活性化した腰の辺りに、リンパや血管を通って「自家製の万能薬」が癒やしに行く。
そんなイメージで過ごしたところ、もう難しいと言われた症状が治ってしまったのである。そんなあほな。
みんなが噛むようになれば、健康が進み、多幸感が得られる。
噛むことで使ってしまう時間は、消化吸収が早まることでトントンでは無いのか。
みんなが時間を使ってかみかみするようになるとバラエティ番組の食レポも変わるだろう。
味とか見た目は関係ない。
みながその混じり合った口の中の感覚やいのちの躍動を口にし始めるという予感がする。
「このドロドロとした口の中の食材が混じり合った食感が素晴らしいです!」
「呑み込むのがためらわれるような奇跡的な混じり具合です!あと200回噛ませてください!」とか…
そんなものをオーディエンスが聞きたいかどうかは知らないが。
この習慣を極力続けて行こうと思うわたしであった。
唾液はだれもが身体から分泌することが出来る不老不死の成分である。と誰か言った人がいたような…